↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第三章 ニーナ誘拐事件編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/82

第32話 ニーナを狙う男

 不意に、ニーナが足を止めた。俺は太い木の陰へ身体を滑り込ませる。ニーナが、ゆっくりと後ろを振り返った。


 気づかれたか?


 呼吸を浅くし、気配を完全に沈める。ニーナはしばらくこちらを見つめていたが、やがて首を傾げた。


「気のせいでしょうか……」


 危ない。どうやら、視線を感じたらしい。相手を見る時、わずかに意識を向けすぎた。戦場であれば、殺気も敵意も隠せる。だが、守る相手を見失わないよう注意を向け続けるというのは、思った以上に難しい。相手に気づかれずに後を追うことは、奥が深い。


 ニーナが再び歩き始めた。今度は直接姿を見続けず、音と足跡を頼りに追う。ほどなくして、前方から水の流れる音が聞こえてきた。斜面の間を通る小さな沢だ。


 ニーナは沢沿いで足を止め、地面へ膝をついた。葉の形を確かめ、根元へ指を差し込み、若い芽を傷つけないよう外側の葉だけを摘んでいく。手当たり次第に採るわけではない。来週も、その次の週も採れるよう、必要な分だけ籠へ入れている。


「この若葉なら、スープに使えそうですね」


 ニーナが一人で小さくつぶやいた。摘み取った葉を鼻先へ近づけ、香りを確かめている。


「こちらは、お肉と一緒に……アレス様は苦みが強くても召し上がりますから、少し多めでもよいでしょうか」


 誰も聞いていないと思っているのだろう。屋敷の皆が楽しみにしていると言っていたのに、最初に考えるのは俺が食べる料理らしい。胸の奥が、わずかに温かくなる。


 以前の俺は、こうして採られた山菜を当然のように口へ運び、味が気に入らなければ料理人へ文句を言っていた。その一皿のために、誰がどれほど手をかけたのかなど、考えたこともない。見えていなかったのではない。見ようとしていなかったのだ。


 ニーナは沢を少し上り、別の草の前で足を止めた。


「よかった。こちらにもありました」


 うれしそうな声を聞き、その草を使った料理を想像する。すると――。


「ぐぅ……」


 腹が鳴った。しまった。俺はとっさに腹を押さえた。朝食から、まだ大して時間は経っていない。だが、《超再生》で身体を作り直し続けているせいか、最近の俺の腹は時間など気にしてくれない。


 ニーナが立ち上がり、周囲を見回す。


「今の音は……?」


 まずい。ここで見つかれば、人生で初めての仲間への尾行は空腹によって失敗したことになる。


 その時、俺のすぐ横にある茂みが揺れた。一匹の野ウサギが飛び出し、沢の向こうへ走り去っていく。ニーナは目を丸くした後、小さく笑った。


「驚かせないでください」


 野ウサギへ向かって言い、再び山菜を摘み始める。助かった。帰ったら、あの野ウサギへ人参でも供えておこう。


 ニーナが採取を続ける間、俺は周囲の地形を確かめた。裏口からここまでは、大人の足なら四半刻もかからない。


 木々が多く、身を隠せる場所はいくらでもある。沢の音が足音や話し声を消すため、少し離れれば何が起きても気づかれにくい。巡回する騎士の靴跡も残っていたが、新しいものではない。


 安全な屋敷の敷地内。危険な魔物はいない。だからこそ、警戒が薄い。ニーナをさらう場所としては、あまりにも都合がよかった。


 その時だった。沢の向こう側。木々の奥から、ほんのわずかに気配が漏れた。ニーナではない。小動物でもない。人間だ。


 俺は顔を動かさず、視線だけを足元の水面へ落とした。流れの緩やかな場所に、木々と空が映り込んでいる。


 その端に、不自然な影があった。灰色がかったマントをまとった男が、太い木の後ろに身を隠している。距離は、およそ四十歩。手には短弓を持っているが、獲物を探している様子はない。弓へ矢もつがえていなかった。男の目は、ニーナだけを追っていた。


 偶然ではない。やはり、山菜採りが狙われていた。胸の奥から、冷たい怒りが湧き上がる。だが、俺は動かなかった。今すぐ距離を詰め、男の意識を刈り取ることはできる。身体強化だけでも、あの程度の相手なら一息で倒せるだろう。


 しかし、あの男が一人とは限らない。ここで捕らえれば、戻らないことを不審に思った仲間が姿を消す可能性がある。別の者がニーナを狙い続ければ、危険を先延ばしにするだけだ。必要なのは、目の前の一人を倒すことではない。ニーナを狙う者を、一人残らず見つけることだ。


 俺は気配をさらに薄くし、待った。男も手を出さない。時折周囲を見回しながら、ニーナがどこで足を止め、どの道を通るのかを確かめている。誘拐の実行ではなく、下見か。ならば、事件までおよそ一か月という記憶とも合う。すでに準備は始まっていたのだ。


 半刻ほどして、ニーナの籠が山菜で満たされた。


「これくらいあれば、足りるでしょうか」


 満足そうに中身を確かめ、来た道を戻り始める。男も、木陰からゆっくりと移動した。だが、ニーナを追って屋敷へ近づくことはせず、沢の途中で別の獣道へ入っていく。


 俺はすぐには追わなかった。木々のすき間から、ニーナの姿を見守る。やがて裏口が見える場所まで戻り、門のわきにいた兵士がニーナへ手を上げた。ニーナも頭を下げ、無事に屋敷へ戻っていく。これで、ひとまず安全だ。


 俺はかかとを返した。沢へ戻り、男が消えた獣道へ入る。柔らかな地面には、大きな靴跡が残っていた。歩幅は広いが、急いではいない。自分が誰かに追われているとは、少しも考えていないようだ。


 当然だろう。男が見張っていた少女には、護衛の姿はなかった。そのさらに後ろから、十二歳の子どもが自分を見ていたなど、想像できるはずがない。


 距離を詰めすぎず、足跡を追う。獣道は裏山の外れを通り、今は使われていない炭焼き小屋へ続く古い道と重なった。しばらく進むと、前方から低い話し声が聞こえてくる。俺は道を外れ、斜面を上った。


 腹ばいになって岩陰から見下ろすと、先ほどの男が二人の男と合流していた。三人とも、汚れたマントの下に剣や短刀を隠している。狩人でも、木こりでもない。


「どうだった?」


 身体の大きな男が尋ねる。


「今日も一人だ。裏口を出た後は、沢沿いを上る。見回りが通るのは、あの娘が来るより前だ」


「毎回同じか?」


「これで三度目だ。七日に一度、時刻も道もほとんど変わらねえ」


 三度。少なくとも二週間以上前から、ニーナは見張られていたことになる。


「屋敷の使用人にしちゃ、ずいぶんと大事に確認するんだな」


 もう一人の痩せた男が、面倒そうに吐き捨てる。


「男爵家の敷地だぞ。失敗すりゃ、騎士が何十人も出てくる。頭が慎重になるのも当然だ」


「手を出すのは、予定どおりか?」


「ああ。買い手の馬車が来るのは、次の月だ。それまでは見るだけにしろと言われてる」


「若くて傷もねえ。屋敷勤めなら、礼儀作法も身についてる。高く売れるだろうよ」


 三人が、下卑た笑い声を上げた。指先が、地面へ食い込む。


 怒りに任せて飛び出すな。ここにいる三人を倒すだけなら簡単だ。だが、こいつらは「頭」と言った。買い手の馬車とも言った。この先に、まだ仲間がいる。


 以前の歴史で、父上が騎士や兵士を動かしてもニーナを見つけられなかった理由。それを突き止める機会が、目の前にある。


 三人の男が話を終え、山の外側へ続く古い道を歩き始めた。俺は岩陰から立ち上がる。


 初めは、ニーナの行き先を確かめるだけのつもりだった。だが、もう疑う余地はない。こいつらが、ニーナを奪う者たちだ。ならば、帰る場所まで案内してもらおう。ニーナを獲物に選んだことを、必ず後悔させる。


 足音を消し、三人の後を追う。こいつらがどこへ戻り、誰とつながっているのか。必ず突き止める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。