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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第二章 勇者、聖女の誕生編

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第28話 勇者を巡る策謀

ガレス・アークハルト男爵視点


 城内へ入った私たちが案内されたのは、客間でも宴の席でもなかった。グランベル城の北棟。その二階にある作戦会議室だ。


 窓は厚い板戸で閉ざされ、扉の外には辺境伯家の騎士が二人立っている。中央の大机には国境一帯の地図が広げられ、その周囲に報告書と手紙が積まれていた。


 私とエレナ、レオナルドとローズ夫人が席につく。先ほどまで一緒にいたセレスティアは、夕食まで魔法の訓練があると言われ、名残惜しそうに部屋を出ていった。


「到着したばかりですまないね。本当なら、先に旅の疲れを癒やしてもらうべきなのだけれど」


「水入らずで昔話をするために、私たちを呼んだわけではないのだろう」


「もちろん、それも大事な目的だよ」


 レオナルドはいつもの調子で笑ったが、その手はすぐに地図の東端へ伸びた。国境沿いの森に、赤い印が六つつけられている。


「この二週間で、帝国兵が確認された場所だ」


「六か所か」


「それも、すべて別の場所でね。多くても十数人ほどの小隊だ。砦を攻めるでもなく、村を襲うでもない。こちらの巡回隊と出会えば、少し戦ってすぐに退いている」


「守りを探っているように見えるな」


「私もそう考えている」


 レオナルドの指が、一番西側の印で止まった。そこは数日前、オーウェン小隊が待ち伏せを受けた森だった。


「幸い、こちらに死者は出なかった。重傷者も全員、命は取り留めている。ただ、敵は国境を越えただけではない。こちらの巡回経路を知ったうえで、待ち伏せていた可能性が高い」


「内側から情報が漏れていると?」


「まだ断定はできないよ。森に慣れた斥候なら、足跡から巡回経路を読むこともできる。けれど、それだけでは説明しにくい動きもある」


 レオナルドが一枚の報告書を差し出した。受け取って目を通す。国境近くを往来する商人からの聞き取りだった。帝国側の検問で、荷物や目的地だけでなく、グランベル家の動向を細かく尋ねられたとある。中でも繰り返し聞かれたのは、青い髪の少女についてだった。


「勇者のことを探っているのか」


「おそらくね」


「知らせが早すぎる」


 鑑定の儀式から、まだ三週間も経っていない。王都と大神殿への報告には伝書魔鳥が使われた。だが、王国の東端で生まれた勇者の情報が、帝国の国境部隊へすでに届いている。不可能ではない。それでも、あまりに動きが早かった。


「神殿に、帝国からひそかに入り込んだ者がいたとは限らないわ」


 ローズ夫人が静かに口を開いた。


「鑑定の儀式には、神官だけでなく領内の貴族や騎士も出席していました。翌日からは王都の商人も出入りしています。どこから伝わったのかを突き止めるのは、簡単ではありません」


「すでに、セレスティア様を狙う者が領内へ入っている可能性は?」


 エレナが尋ねる。


「否定できません。ですから、あの子の護衛は四人へ増やしました。城内の使用人も、身元を改めて確認しています」


「セレスが窓から逃げ出そうとしたおかげで、護衛を増やす理由には困らなかったけれどね」


「あなた」


 ローズ夫人がほほ笑みながら名を呼ぶ。それだけで、レオナルドは口を閉じた。どうやら、辺境伯家でも妻に敵わないのは同じらしい。


「帝国が近く攻めてくると思うか?」


 私の問いに、レオナルドの表情から笑みが消えた。


「大軍が動いた跡はない。兵糧も集めていなければ、国境の砦を強くしている様子もない。すぐに大軍による侵攻が始まるとは考えていないよ」


「だが、勇者の存在を知り、こちらの出方を探り始めた」


「そういうことだろうね。成長する前に殺すべきか。さらって利用すべきか。それとも、今は刺激せず監視だけに留めるか。帝国の中でも、まだ方針が決まっていないのかもしれない」


 十二歳の少女を前に、大国が動く。勇者という存在が持つ重みを、改めて思い知らされた。


「問題は、帝国だけではないよ」


 レオナルドは地図から手を離し、机の上に積まれた封書へ目を向けた。


「この十日ほどで届いたものだ」


 王家の紋章。大神殿の聖印。それ以外にも、王国の有力貴族たちの封蝋が並んでいる。


「ずいぶんと多いな」


「娘が人気者になったようでね。父親としては喜ぶべきかな?」


「中身によるだろう」


「まったくだ」


 レオナルドは一番上の封書を手に取った。


「国王陛下からは、正式な祝意と、セレスティアを王国全体で守るというお言葉をいただいた。近く、王家と大神殿から使者が来る」


「そこまでは、当然の対応だな」


「大神殿は、神官と聖騎士を派遣したいそうだ。光魔法や勇者に関する古い記録も持参してくれるらしい。こちらも、受け入れるつもりでいる」


「問題は、その下にある手紙ですね」


 エレナが、別の封書へ視線を向けた。レオナルドは苦笑し、一通の手紙を私たちの前へ置いた。差出人は、王都に大きな影響力を持つ侯爵だった。


 言葉だけを見れば、勇者の身を案じる丁寧な手紙だ。だが、長々と飾られた文章の中で求めていることは一つだった。勇者を辺境へ置いておくのは危険である。王都へ迎え、王家と高い地位の貴族に守られて育つべきだ。


「まるで、セレスティア様を王都へ差し出せと言っているようだな」


「『王国の希望は、一つの家だけが所有するものではない』そうだよ」


 レオナルドの口元は笑っていた。だが、右手の指先からかすかな魔力が漏れ、机の上で青白い火花が弾けている。


「ずいぶんと勝手な言い分だ」


「完全に間違っているとも言い切れないのが、厄介なところでね。勇者の力は、いずれ王国全体を守るために必要となるかもしれない」


「それだけが理由ではないのでしょう?」


 エレナの言葉に、レオナルドの指先から火花が消えた。


「グランベル家へ、力が集まりすぎる。そう心配している貴族もいるのではありませんか?」


「さすがだね。おそらく、それが彼らの本音だよ」


 レオナルドが薄く笑う。グランベル家は、ヴァルガ帝国との国境を守る辺境伯家だ。当主であるレオナルド自身も、《雷帝》の異名を持つ王国最強の魔導士である。そこへ、娘のセレスティア様が《勇者》に選ばれた。さらに、《聖女》となったリシア殿下の母、第二王妃アリアーヌ様はレオナルドの実妹だ。


 勇者と聖女は従姉妹であり、姉妹同然に育ったと聞いている。外から見れば、王国に現れた二つの大きな力が、どちらもグランベル家へ近いように映るだろう。


「私に王都で権力を振るうつもりがなくても、それを信じない者はいる。勇者と聖女を通じて、グランベル家が王家を上回る力を得るのではないか――とね」


「本気で王国の均衡を案じている者もいるのでしょう」


 ローズ夫人が言った。


「ええ。ただ娘を利用したいだけの者ばかりだと決めつければ、こちらも判断を誤ります。けれど――」


「だからといって、十二歳の娘を親元から引き離してよい理由にはなりません」


 ローズ夫人の声音はおだやかだった。しかし、その目には夫以上の怒りが宿っている。


「ええ。セレスティア様を今すぐ王都へ送るべきではありません」


 エレナも迷わず言った。


「帝国が動き始めた今、長い道のりを移動させる方が危険です。それに、王都なら絶対に安全だと、誰が保証できるのでしょう」


「私も同意見だ」


 王都には国王がいる。王国最大の騎士団も、大神殿の聖騎士たちもいる。城壁は高く、兵の数もグランベル領とは比べものにならない。


 だが、人が多ければ、それだけそれぞれの考えも増える。誰が味方で、誰が勇者を利用しようとしているのか。戦場の敵より見分けにくい相手に囲まれることになる。


「すべての申し出を断れば、グランベル家が勇者をひとり占めしようとしていると言われる。ならば、王都から来る者をこちらで受け入れればいい」


「教師も、神官も、護衛も、必要な者だけを選んで、グランベル領へ置くということかい?」


「ああ。陛下と大神殿には、国境情勢を理由にセレスティア様を動かせないと伝える。定期的に成長を報告し、王家の者が視察を望むなら受け入れる。王国へ隠していないと示せば、少なくとも今すぐ連れ出す口実は与えずに済む」


「やはり、君を呼んで正解だった」


「それくらい、お前も考えていただろう」


「もちろん。ただ、同じ答えを君の口から聞きたかったんだよ」


 昔から、この男はそういうところがある。自分の中ですでに答えを出していても、信頼する者へ問いかける。自分が見落としているものがないか確かめるためだ。独断で動かず、異なる意見にも耳を傾ける。それが、レオナルドが多くの兵や領民から信頼される理由の一つだった。


「もう一つ、気になる報告があります」


 ローズ夫人が、封書の山から薄い紙束を取り出した。王家の紋章も、貴族の封蝋もない。各地を行き来する商人や冒険者から集めた、出所の定かではない情報らしい。


「国境とは関係のない話ですが、王国各地で、黒いマントをまとった者たちが目撃されているそうです。廃屋や使われなくなった礼拝所へ集まり、何かの儀式を行っている、と」


「盗賊か?」


「その可能性もあります。ただ、魔王を神のように敬う言葉を口にしていたという証言が、いくつかの土地で出ています」


「魔王を?」


「一部では、《魔王教》などと呼ばれているようだよ」


 レオナルドが紙束へ目を落とした。


「もっとも、本当に一つの集団なのかも分からない。黒いマントなど、どこでも手に入るからね。怪しげな信仰へ傾いた者たちを、同じ名で呼んでいるだけかもしれない」


「帝国や、勇者の誕生と関係があるのか?」


「今のところ、結びつける証拠は何もない」


 レオナルドは首を横へ振った。


「ただ、帝国兵とは違い、どこにいるのかも、何を望んでいるのかも分からない。正体をつかめない相手は、どうにも気味が悪くてね」


「噂だけで領民を不安にさせるべきではない。だが、無視する理由もないな」


「ああ。商人や冒険者から、引き続き情報を集めるつもりだ」


「こちらでも、似た話がないか確認しよう。街道の見張り台にも、不審な一団を見かけたら報告するよう伝える」


 私は魔王教という名を頭の片隅へ留め、それ以上考えることをやめた。今はまだ、何も分からない。現時点では、王国の各地に何やら怪しげな者たちがいるらしい――その程度の噂にすぎなかった。

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