第27話 勇者の父と武王の父
ガレス・アークハルト男爵視点
執務室へ戻ると、机の上に一通の手紙が置かれていた。封蝋に刻まれているのは、グランベル辺境伯家の紋章だ。先ほど届いたばかりらしく、封筒には伝書魔鳥の羽毛が一本残っている。
内容は、セレスティア・グランベルが勇者に選ばれたことを正式に知らせるものだった。同じ日、王都では第一王女リシア殿下が聖女に選ばれている。勇者と聖女が同じ日に現れた。それだけでも、王国の歴史に残る出来事だ。
だが、私にとっては、もう一つ無視できない事実がある。その日、アレスも《超再生》というギフトを明かし、まるで別人のように変わった。
三人の十二歳の子どもに、同じ日、常識では測れない何かが起きている。偶然と片づけるには、あまりにも出来すぎていた。
手紙には、勇者誕生の報告だけが書かれていたわけではない。国境ではヴァルガ帝国との小競り合いが増え、数日前にも帝国兵の一隊が森へ侵入した。
王都と大神殿からは、近く使者が派遣される予定だという。その前に、今後の守りについて相談したい。信頼できる友として、私とエレナに来てほしい。形式を整えた文章の最後に、見慣れた筆跡で短い一文が加えられていた。
『娘が勇者に選ばれたことを、私は誇りに思う。けれど、父親として喜んでいるだけではいられない。ガレス、君の考えを聞かせてほしい』
あの男らしい。レオナルドは普段、何事も楽しむように笑い、珍しい魔法を見れば子どものように目を輝かせる。だが、自分の家族や領民に危険が迫れば、誰よりも早く最悪の事態を考える男だ。
アークハルト家は、王国北東部に広がる魔の森から現れる魔物を食い止める。グランベル家は、東の国境でヴァルガ帝国軍の侵攻を防ぐ。
相手にしている脅威は違う。だが、領地を接するどちらか一方が崩れれば、もう一方も無事では済まない。魔物が増えた時には、グランベル家が兵と食料を送ってくれた。帝国が国境を越えた時には、アークハルト家が助けの兵を出した。両家は、代々助け合ってきた。
そして今の当主である私とレオナルドは、家同士の関係だけでは語れない間柄だった。レオナルド・グランベル辺境伯。貴族の地位を示す爵位も、仕事上の立場も、男爵である私より上だ。
それでも私にとって、彼はさんや様をつけて遠ざける相手ではない。レオ。そう呼べる、ただ一人の親友だった。
「ずいぶんと難しいお顔をなさっていますね」
顔を上げると、エレナが扉の前に立っていた。
「レオからだ」
「やはり、私たちを招くお手紙でしたか」
「知っていたのか?」
「ローズから先に便りをもらっていました。勇者の母となった喜びと、不安を誰かに聞いてほしかったのでしょう」
エレナとローズは、互いが当主の妻となる前から親しい。夫同士だけでなく、妻同士にも長い付き合いがある。
「明朝に発とうと思う。レオもローズ夫人も、君に来てほしいそうだ」
「分かりました。一週間分の支度をしておきます」
「護衛は八人。ダリオとルークは領地へ残す」
「ええ。今のアークハルト領を任せるなら、あのお二人が適任です」
「子どもたちも留守番だ」
「今回は友人の娘を祝うだけの訪問ではありませんものね。帝国や王都についてのお話に、子どもたちを同席させても退屈させるだけです」
危険な旅というわけではない。両領を結ぶ街道はよく整備され、互いの騎士が定期的に巡回している。八人の護衛がいれば、道中を案じる必要もほとんどなかった。
「それに、今のアレスを訓練から一週間も引き離したら、馬車の中で身体を動かし始めそうです」
「否定できんな」
朝の訓練試合を思い出し、私は腕を組んだ。
「あの子は、近いうちに私たちを追い越す」
「あの子があなたにそんな事を言わせるなんてね」
「まったくだ。想像すらしてなかった」
エレナは小さく笑った。
「とてもうれしそうですね」
「父親としてはな」
「戦う者としては?」
「まだ負けられん」
「それで、帰ってきたら朝の訓練を増やそうとお考えなのですね」
私は思わずエレナを見た。
「なぜ分かった?」
「長い付き合いですから」
おだやかにほほ笑む妻を前に、隠し事は難しいらしい。
◇
夕食の席で、翌朝から私とエレナがグランベル辺境伯領へ向かうことを子どもたちへ伝えた。カイルは勇者を見てみたいと残念そうな顔をし、リリアは自分も馬車に乗りたいと頬を膨らませた。
「お土産は買ってきてくださいますか?」
「ああ、ちゃんと買ってくるさ」
「わーい」
リリアが無邪気に喜んでいる。その隣でカイルもガッツポーズをしている。
アレスだけは、静かにうなずいた。
「分かりました。お気をつけて」
「不満はないのか?」
「ありません」
「同い年の子どもが勇者に選ばれたのだぞ。会ってみたいとは思わないのか?」
私が尋ねると、アレスはわずかに考えた。
「興味がないと言えばうそになります。ですが、今は訓練の方が大事ですから」
「そうか」
「それに、国境で帝国兵との戦いが増えていると聞きました」
十二歳の子どもへ詳しい事情は話していない。それでも、限られた情報から自分で考えたらしい。
「領地にはダリオとルークが残る。何かあれば、二人の指示に従いなさい」
「わかりました」
「訓練も、予定を崩さずに行うように」
「もちろんです。食事と休息まで含めて訓練ですから」
迷いのない返事に、私は苦笑した。
「それから、カイルとリリアのことも頼む」
アレスは弟と妹へ目を向けた。
「はい。二人には、俺がついています」
以前のアレスは、二人を守るどころか、気に入らないことがあるたびに八つ当たりしていた。カイルは兄の前で余計なことを話さなくなり、リリアは姿を見ただけで母親の後ろへ隠れていた。そのアレスが、今は自分から二人を守ると言っている。
「領地を守るのは、ダリオたちの役目だ。お前一人で何もかも背負う必要はない」
「分かっています。俺にできることが、まだ少ないことも」
アレスは真っ直ぐに私を見た。
「それでも、兄として二人の傍にいます」
「そうか。頼んだぞ」
「はい」
一週間ほど留守にするだけだ。大げさな別れの言葉は必要ない。それでも、こちらへ向けられたアレスのおだやかな眼差しを見ていると、以前よりずっと近くに息子を感じられた。
◇
翌朝。私とエレナは、八人の護衛騎士を伴ってアークハルト領を発った。アークハルト領からグランベル辺境伯領までは、街道を東へ進めば三日ほどで着く。
両領を結ぶ道には、共同で使う見張り台や、食料や武器を置く場所があった。魔の森で大規模な異変が起きた時も、帝国軍が国境を越えた時も、この道を兵と食料や武器が行き交う。
道中はおだやかだった。すれ違う商人たちは馬車を止めて私たちへ頭を下げ、街道沿いの畑では領民たちが手を振っている。共同の見張り台では、アークハルトとグランベル、双方の騎士が並んで警戒に当たっていた。
私自身、これまでに何度この道を通ったか分からない。初めて通ったのは、まだ互いに家督を継ぐ前だった。あのころの私とレオナルドは、今よりも若く、自分たちなら何でもできると思っていた。魔の森へ入って死にかけたことも、帝国兵の追撃を受けながら一晩中走り続けたこともある。
男爵家の跡継ぎと、辺境伯家の跡継ぎ。地位も背負うものも違っていた。それでも、命を預け合う戦場では関係なかった。
私は剣を振るい、レオナルドは魔法を放った。火、風、雷。三つの属性魔法を自在に操るレオナルドは、若いころから王国最強の魔導士と呼ばれていた。中でも雷魔法の威力は凄まじく、戦場を白く染める雷撃で帝国兵を退ける姿から、帝国には《雷帝》と恐れられている。
剣士である私とは、戦い方も立場も違う。だからこそ、互いに足りないものを補い、何度も生きて帰ることができた。そして、共に戦場を駆けた日々が終わっても、私たちの関係は変わらなかった。
日が西へ傾き始めたころ、グランベル城の城壁が見えた。到着を知らせる先触れは出してある。正門の前には、辺境伯家の騎士と使用人たちが整然と並んでいた。
その先頭に立つ男の姿を見て、私は思わず笑みを浮かべた。陽光を受けて輝く金髪。年齢よりもはるかに若く見える、中性的で美しい顔立ち。戦場で《雷帝》と呼ばれる男には、とても見えない。レオナルドは私たちの馬車が止まるのを待つと、列から離れ、弾むような軽い足取りでこちらへ歩み寄ってきた。
「辺境伯自ら、城門まで迎えに出る必要はないだろう」
馬車を降りた私が言うと、レオナルドは楽しそうに笑った。
「何を言うんだ。ガレスとエレナが来たのに、執務室でじっと待ってなどいられないよ」
「久しぶりだな、レオ」
「ああ。よく来てくれた、ガレス」
差し出された腕をつかむ。レオナルドも私の腕をつかみ、私たちは顔を見合わせて笑った。少し後ろでは、エレナとローズ夫人も手を取り合い、久しぶりの再会を喜んでいる。
横から、不思議そうな視線を感じた。長い青髪の少女が、目を丸くして私たちを見ている。セレスティア・グランベル。この少女が、勇者に選ばれたのだろう。
「お父様が、そのように笑うところを初めて見ました」
「私だって、いつも笑っているだろう?」
「いつもの笑い方とは違います」
セレスティアは少し考えた後、真っ直ぐに父親を見た。
「とても、うれしそうです」
レオナルドは一瞬きょとんとし、それから先ほどよりも楽しそうに笑った。
「そうかもしれないね。セレスティア、紹介しよう。ガレス・アークハルト男爵だ。若いころから何度も共に戦った、私の唯一無二の親友だよ」
「お父様の、親友……」
セレスティアは私を見上げ、姿勢を正した。活発な子だと聞いていたが、客人への礼はきちんと身につけているらしい。
「初めまして、ガレス様。セレスティア・グランベルです。遠いところをお越しくださり、ありがとうございます」
「初めまして、セレスティア様。勇者に選ばれたこと、心よりお祝い申し上げます」
「ありがとうございます」
礼を返したセレスティアの青い瞳には、年齢に似合わない強い光があった。力を得たことだけで、この子が勇者なのではない。何を守るために力を使うのか、自分で考え始めている者の目だ。
「まずは中へ入ろう」
レオナルドが城を振り返った。その笑みが、わずかに薄れる。
「再会をゆっくり喜びたいところだけれど、先に君へ見せなければならないものがある」
「帝国のことか?」
「それだけなら、まだよかったのだけれどね」
声はおだやかなままだった。だが、その目はすでに、親友のものから国境を守る辺境伯のものへ変わっている。
「勇者が現れたことで、帝国だけでなく、王都も動き始めた」
勇者の誕生は、王国にとって希望だ。同時に、その力を利用しようとする者や、脅威と見なす者を呼び寄せる。私はレオナルドと並び、城の中へ足を踏み入れた。久しぶりの再会を喜ぶ時間は、どうやらもう少し先になりそうだった。




