第24話 聖女に選ばれた日2
聖女リシア・フォン・アルトリア視点
「歴史に残る鑑定結果です」
大神官長がつぶやいた。その直後、消えかけていた鑑定板の光が再び強く輝いた。白銀の光が天井へ立ち昇り、大神殿を満たしていく。大きな力が身体の中を通り抜けた。
苦しくはない。けれど、あまりにもまぶしくて目を開けていられなかった。光の中で、一瞬だけ誰かの姿が見えた。長い髪を揺らし、こちらへ手を差し伸べる女性。
おだやかで、どこか悲しそうなまなざし。その顔を確かめるより早く、光は消えてしまった。誰も声を出せない中、鑑定板の一番下に新たな文字が浮かび上がる。
【職業】聖女
「聖女……」
自分の声が、ひどく遠くから聞こえた。神聖な光をまとい、鑑定板の前に立つ白銀の髪の少女。その姿は、大神殿に飾られた聖女の絵さえかすむほど美しかった。
後にこの場にいた者たちは語ることになる。
女神ルミエラが地上へ降り立ったのだと思った、と。大神官長がその場へ膝まずき、震える手を祈りの形に組んだ。
「女神ルミエラよ……我らの祈りへお応えくださったこと、心より感謝いたします」
神官たちが一斉に膝まずく。国の大切な仕事を担う者たちまで、深く頭を下げていた。先ほどまで自分を見守っていた人々の目が、まったく違うものへ変わっている。第一王女リシアではない。
女神に選ばれた聖女を見ている。ある者は心からうやまい、ある者は奇跡が起きたと涙を流していた。しかし、その中には聖女が第二王子の本当の妹であることを思い出し、王選への影響を考えている者もいる。あまりにも多くの感情が一斉に向けられ、急に恐ろしくなった。
「お母様……」
振り返ると、母だけは変わらない目で見つめていた。兄もまた、驚きながらも、いつもと同じように妹を見ている。母がすぐに歩み寄り、冷たくなった手を握ってくれた。
「大丈夫です。お母様がここにいます」
「本当に、聖女なのですか?」
「鑑定板には、そう示されていますね」
「でも、まだ何もできません」
「今日示されたのは、完成した力ではありません。あなたがこれから歩むことのできる道です」
「聖女なのに、できないことがあってもよいのでしょうか?」
「聖女である前に、あなたはまだ十二歳です。最初から何もかもできる者などいません」
母の言葉を聞き、張り詰めていた息をゆっくりと吐いた。それでも、周囲の視線が元に戻ることはなかった。
儀式を終えた後、大神殿の奥にある待合室へ通された。隣の会議室では、父と母、大神官長、そして国王を支える大臣の長である宰相や、国の大切な仕事を担う者たちが今後について話し合っている。扉は閉ざされていたが、時折、強い声が聞こえてきた。
「聖女様には、大神殿でお暮らしいただくべきです」
「王女殿下の安全を考えれば、王宮からお移しするべきではありません」
「しかし、聖女は王国だけのものではない。女神教にとっても――」
「聖女様が第二王子殿下の本当の妹である以上、次の王選にも大きな――」
「今、その話を持ち出す必要がありますか?」
母の冷たい声が、発言を遮った。
「娘が聖女に選ばれたばかりのこの場で、もう王選に利用することを考えているのですか?」
「そのような意図では――」
「では、どのような意図です?」
答える声はなかった。聖女が第二王子のそばにいれば、女神が兄を次の王に望んでいる、と広めることができる。反対に、聖女を大神殿へ移し、第二王妃や第二王子から引き離したいと考える者もいる。大神殿で暮らすべきだという意見も、純粋に女神を信じる心だけによるものではないのだろう。
「リシアは、王冠を飾る宝石でも、神殿へ差し出す物でもありません」
母の声には、はっきりとした怒りが込められていた。
「聖女である前に、あの子は私の娘です」
「そのとおりだ」
父の低い声が響き、会議室が静まり返る。
「聖女として必要な教育は受けさせる。しかし、大神殿へ住まわせるつもりはない。リシアはこれまでどおり王宮で暮らす」
「陛下。しかし、聖女様には多くの民が救いを――」
「今日、聖女に選ばれた十二歳の子どもが、明日からすべての民を救えるとでも思っているのか?」
答える声はなかった。
「それに、聖女をどこで暮らさせるかという話と、王選は無関係だ。リシアの存在を利用して、女神が特定の王子を選んだかのように言い広めることも許さぬ」
父は国王として話している。それでも、その言葉の奥に、娘を守ろうとする意思があることは分かった。胸が少しだけ温かくなる。しかし、同時に冷たい不安も残っていた。
聖女となった自分へ、多くの人が救いを求めている。まだ治癒魔法を一度も使ったことがないのに、すでに救わなければならない人がいる。会議が終わると、母が一人で待合室へ入ってきた。向かい側へ座り、静かに顔をのぞき込む。
「話を聞いていたのですね」
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません。あなた自身に関する話ですから」
「大神殿で暮らすことにはならないのですか?」
「ええ。お父様が認めませんでした」
「では、今までと同じですか?」
「すべて同じというわけにはいかないでしょう。護衛も教育も増えます。王国中の人々が、あなたを聖女として見るようになります」
母の表情がわずかに曇る。
「そして、王都の貴族たちは、聖女となったあなたを王選へ利用しようとするでしょう。お兄様を支持する者も、敵対する者も近づいてきます」
「お母様は、お兄様に王になってほしくないのですか?」
「我が子が国王にふさわしい人物となるなら、母として支えます。ですが、あなたを犠牲にして得る王冠など、あの子も望みません」
母の手が、頬へ優しく触れる。
「聖女だからといって、苦しい時までほほ笑んでいる必要はありません。怖ければ怖いと、嫌なら嫌だと言ってよいのです」
「聖女になることが嫌だと言ってもよいのでしょうか?」
「もちろんです」
「そうすれば、聖女ではなくなれますか?」
母は、すぐには答えなかった。
「鑑定板に示された結果を消すことはできません。けれど、どのような聖女になるかは、あなた自身が決められます」
「自分自身で……」
「誰かに言われるまま、すべてを背負う必要はありません。あなたの力も、あなたの人生も、まずはあなたのものです」
その意味を、まだすべて理解することはできなかった。それでも、母の前では無理にほほ笑まなくてもよいのだと思えた。
「少し、怖いです」
「ええ」
「皆を救えなかったら、どうすればよいのでしょう」
「救えなかった人のために悲しみ、それでも次の人へ手を差し伸べられるよう学び続けるのです。それしかできないのは、聖女も王妃も同じですよ」
母は何も言わず、娘の小さな身体を抱き寄せた。
その日の夕方。グランベル辺境伯領から、王家の伝書魔鳥が到着した。執務室へ呼ばれると、父が一通の手紙を持っていた。普段は厳しい表情を崩さない父が、珍しく驚きを隠せずにいる。
「リシア。落ち着いて聞きなさい」
「はい」
「本日、グランベル領でも鑑定の儀式が行われた。セレスティアの鑑定板にも、特別な【職業】が表示されたそうだ」
胸が大きく跳ねた。
「セレスは、何になったのですか?」
「勇者だ」
「勇者……」
あのセレスが、勇者に選ばれた。驚くと同時に、胸を占めていた不安が少しだけ薄れていく。
「一人だけでは、ないのですね」
「ああ。同じ日に、この王国へ勇者と聖女が現れた」
「セレスも、怖がっているでしょうか?」
「レオナルドからの手紙には、そこまでは書かれていない。しかし、平気ではないだろう」
セレスは強い。負けず嫌いで、何でも自分でやろうとする。きっと皆の前では、怖くないと言うはずだ。けれど、本当に何も感じていないわけではない。
「セレスへ手紙を書いてもよいですか?」
「もちろんだ。ただし、鑑定結果の詳細は書いてはならない」
父の表情が、再び国王のものへ戻る。
「お前が聖女に選ばれたことは公表する。しかし、《神託》を含め、詳しい能力は秘密にする。耐性についても同様だ」
「なぜですか?」
「知られていない力は、お前を守る盾になる。特に毒や精神誘導への耐性を持っていることを、敵へ教える必要はない」
「分かりました」
「セレスティアの詳しい鑑定結果も、こちらから尋ねてはならない。勇者の力もまた、グランベル家と王国にとってとても大切な秘密となる」
勇者や聖女になっただけで、隠し事が増えていく。少し寂しいと思った。それでも、セレスも同じ立場にいる。もう、一人ではなかった。
翌日、第一王女リシアが聖女に選ばれたことが正式に発表された。それまでリシア様、王女殿下と呼んでいた者たちが、一斉に聖女様と呼ぶようになった。
廊下を歩けば、使用人たちは今まで以上に深く頭を下げる。大神殿へ向かう馬車の周囲には、多くの民が集まっていた。
わずかに窓幕が揺れ、白銀の髪と青紫の瞳が見えただけで、人々の間からため息が漏れた。女神に選ばれたという事実と、人のものとは思えない清らかな美しさ。その二つが重なり、人々は、まだ何の奇跡も起こしていない十二歳の少女に、救いそのものを見ていた。姿を見るだけで涙を流し、その場へ膝まずく者までいる。
「聖女様、どうか息子の病をお治しください!」
「妻が三年も床に伏せているのです!」
「聖女様、どうかお救いを!」
閉ざされた馬車の外から、いくつもの声が聞こえてくる。窓へ手を伸ばそうとすると、護衛の騎士に止められた。
「危険です。窓を開けてはなりません」
「ですが、皆さんが……」
「聖女様を狙う者が、民に紛れている可能性もございます」
手を下ろすしかなかった。助けを求める声を聞きながら、何もできずに通り過ぎていく。胸が苦しかった。
大神殿では、その日から聖女としての教育が始まった。
「鑑定板に表示された力は、すぐに使いこなせるという意味ではございません」
指導を任された老神官が、最初にそう説明した。
「スキルとは、進むべき道を身体と魂へ示すもの。魔法の才能とは、その魔法を学ぶための扉が開かれているということです。扉の先へ進むには、殿下ご自身の学びと訓練が必要となります」
「治癒魔法もですか?」
「もちろんです。傷の状態を正しく見極めずに治癒魔法を使えば、かえって悪化させることもあります」
折れた骨を間違った位置のままつなげれば、その後も手足が動かなくなる。傷口に矢尻や汚れが残っていれば、それごと塞いでしまう。治癒魔法は奇跡のように見えても、何も考えずに使えるものではないという。
「神聖魔法は、治癒魔法とは違うのですか?」
「神聖魔法は悪しき力や呪いを払い、魔族や不死者へ対抗するための魔法です。水属性と土属性も、攻撃に用いるだけのものではありません。清らかな水を生み、崩れた地を固める力は、多くの命を救います」
「すべて覚えます」
「焦ってはなりません。一つずつです」
そう言われても、焦らずにはいられなかった。大神殿には、王国中から聖女宛ての手紙が届き始めていた。病に苦しむ子ども。魔物に襲われ、腕を失った兵士。目が見えなくなった老人。
原因不明の熱に苦しむ村。すべてを読むことは許されなかった。それでも、机へ積み上げられた手紙を見るだけで、その向こうにいる人々の姿が浮かんだ。早く治癒魔法を使えるようになりたい。祈れば力が目覚めると思っていた。けれど、現実はそれほど簡単ではなかった。




