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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第二章 勇者、聖女の誕生編

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第21話 勇者に選ばれた日2

勇者セレスティア・グランベル視点


 その日の夕方、王都から伝書魔鳥で急報が届き、私とお母様は執務室へ呼ばれた。母のローズ・グランベルは、社交界でも名の知られた美しい人だ。


 おだやかで優しく、辺境伯夫人として領政にも携わる一方、礼儀には厳しい。私が窓から抜け出した時だけは、お父様よりもずっと怖かった。


「王都でも、今日、鑑定の儀式が行われた」


「リシアも今日でしたね」


 リシア・フォン・アルトリアは、私と同じ十二歳のいとこだ。お父様の妹である第二王妃アリアーヌ様の娘であり、ルミナリア王国の第一王女でもある。


 王女と辺境伯家の娘。住む場所も立場も違うけれど、幼いころから姉妹のように育ってきた。私が青空や太陽にたとえられるのに対し、リシアは月光のようだと言われる。静かで不思議な美しさを持ち、人形のように整った顔で大人しくほほ笑んでいるだけなら、誰もが物語に登場するお姫様そのものだと思うだろう。


 けれど、実際のリシアは意外と頑固で、私に負けないほどの負けず嫌いだ。私がしかられた時には、いつも涼しい顔をして一緒に謝ってくれる、私の一番の親友でもある。


「リシアには、どのようなスキルや魔法が表示されたのですか? やはり治癒魔法ですか?」


「聖女だよ」


「……え?」


「リシア・フォン・アルトリア第一王女殿下の鑑定板にも、【職業】が表示された。そこに、聖女と記されていたそうだ」


 私は思わず、お父様の手から手紙を受け取った。


「セレスティア。人の手から物を奪ってはいけません」


「ご、ごめんなさい」


 お母様に注意され、すぐに謝った。けれど、その時は礼儀を気にする余裕などなかった。


 手紙には、確かにそう書かれていた。第一王女リシアが聖女の職業を授かり、鑑定板から聖なる光が放たれた、と。


「すごい……! 私が勇者で、リシアが聖女なのですね!」


 胸の奥にあった不安が、一瞬で小さくなった。自分だけではない。リシアも一緒なら、何があっても大丈夫だと思った。


「早く会いたいです。いつ王都へ行くのですか?」


「まだ決まっていないよ」


「では、リシアにこちらへ来てもらいましょう」


「それも、すぐには難しいだろうね」


「どうしてですか?」


 お父様はすぐには答えなかった。代わりに、お母様が私の隣へ座り、そっと手を握ってくれた。


「セレスティア。勇者と聖女が同じ日に現れたことには、きっと大きな意味があります」


「はい」


「けれど、それを喜ぶ人ばかりではありません」


 その言葉を聞き、私にも意味が分かった。グランベル辺境伯領の東には、王国と長く争ってきた帝国がある。全面戦争には至っていないけれど、国境では帝国兵との小競り合いが何年も続いていた。


 森の中で斥候同士が遭遇し、砦の近くでは互いの弓兵が矢を射かける。村へ入り込もうとする帝国兵が見つかることもある。この一年だけでも、グランベルの兵士が何人も命を落としていた。


「帝国も、勇者が現れたことを知るのですか?」


「いずれは知るだろうね」


 お父様が静かに答える。


「勇者と聖女は、王国にとって大きな希望になる。同時に、敵国から見れば、成長する前に消しておきたい存在でもある」


「消すというのは……殺すということですか?」


「そうだよ」


 お母様の手に、わずかに力が籠もった。


 勇者に選ばれれば、皆が喜んでくれると思っていた。強くなって、人々を守り、悪い魔物を倒す。幼いころに読んだ物語では、それだけだった。その勇者を殺そうとする人がいることなど、考えたこともなかった。


「セレスティアは怖いかな?」


 お父様の声は、いつもと変わらず優しかった。私はすぐに首を横へ振ろうとした。勇者が怖いと言ってはいけない。そう思ったからだ。けれど、お父様は私の目を見ている。きっと、うそをついてもすぐに見抜かれてしまう。私はうつむき、小さくうなずいた。肩から流れ落ちた青い髪が、逃げるように私の顔を隠してくれた。


「少し、怖いです」


「そうか」


「……がっかりしましたか?」


「どうして?」


「勇者なのに、怖がっているからです」


 お父様は椅子から立ち上がると、私の前へ来て膝をついた。大きな手が、私の青い髪へ優しく触れる。


「怖さを知らない者は、勇敢なのではないよ。ただ、危険を知らないだけだ」


「では、勇者とは何ですか?」


「怖くとも逃げず、自分が何を守りたいのかを考えられる者だと、私は思っているよ」


「守りたいもの……」


「今すぐ答えを出す必要はない。それに、勇者である前に、セレスティアは私たちの大切な娘だ。王国や神殿が何を求めようと、それだけは変わらないよ」


「はい」


 私がうなずくと、お父様は満足そうに笑い、そのまま私の頭をなで回した。


「お父様、髪が乱れています!」


「勇者なら、これくらいは耐えられるだろう?」


「勇者でも気にします! ミレイユが一生懸命整えてくれたのですよ!」


 私が抗議すると、お母様が声を上げて笑った。その笑い声を聞いて、ようやく私も笑うことができた。


 翌日から、私の生活は大きく変わった。まず、護衛が増えた。部屋を出れば二人の騎士がついてくる。中庭へ行く時も、食堂へ向かう時も、馬小屋へ馬を見に行く時も一緒だ。


「少しだけ離れてくれない?」


「できません」


「一人で馬小屋へ行くだけよ」


「同行いたします」


「馬に乗るだけだよ?」


「馬にも細心の注意を払います」


「まさか、私の馬まで尋問するつもり?」


 護衛の騎士は笑いもしなかった。きっと、お父様から厳しく命じられているのだ。


 屋敷の者たちの接し方も変わった。それまではセレスティア様と呼ばれていたのに、勇者様と呼ぶ者が増えた。廊下ですれ違う使用人が深く頭を下げ、年上の騎士まで私へ敬礼するようになった。


 王都の神殿や貴族、商人から、贈り物と手紙も次々に届いた。勇者様のために剣を用意したい。勇者様へ我が家の騎士を仕えさせたい。勇者様と、ぜひ親しく付き合いたい。ほんの数日前まで、私のことなど知らなかった人たちばかりだった。


 そんな中でも、家族とミレイユ、そして剣術の指導役ローガンだけは以前と変わらなかった。ローガンはグランベル騎士団でも特に優れた剣士で、お父様が強く信頼する根っからの騎士だ。口数が少なく、真面目で、私がどれほど笑顔を向けても訓練を軽くしてくれたことが一度もない。私が勇者に選ばれた翌朝も、ローガンはいつもと同じ無表情で木剣を差し出してきた。


「百回、素振りを行います」


「勇者になったんだから、五十回でも十分じゃない?」


「では、百二十回に増やします」


「どうして増えるの!」


「勇者になられたからです」


 言い返せず、私は木剣を振った。


 長い青い髪を高い位置で結び、木剣を振り下ろす。動くたび、髪が青い尾のように宙を舞った。鑑定板に表示された四属性の魔法は、まだ一つも使えない。


 《闘気》も、《限界突破》も、《無敵時間》も、発動の仕方さえ分からなかった。けれど、以前とは身体の感覚が明らかに違う。同じ木剣が軽く感じられ、踏み込む足の位置や剣の道筋が自然と分かる。疲れても少し休めば、すぐに動けるようになった。三日目には、百回の素振りを終えても腕が上がらなくなることはなかった。


 その日の午後。さすがに護衛へ一日中つきまとわれる生活に我慢できなくなった私は、二階の窓から木へ飛び移って逃げようとした。勇者の力に目覚めた今なら、少しくらい高い場所から下りても問題ない。そう考えたのだ。窓枠に足をかけ、枝へ飛び移り、青い髪を風になびかせながら地面へ着地する。自分でも見事な身のこなしだったと思う。けれど、顔を上げると、そこにはミレイユが立っていた。いつもの優しい笑顔を浮かべている。だからこそ、私は一歩後ずさった。


「セレスティア様。何をなさっているのですか?」


「勇者に必要な潜入訓練よ」


「奥様へご報告します」


「ミレイユ、待って。ちゃんと話し合おう?」


「お部屋の窓には、明日から鉄格子をつけるよう進言いたします」


「それだけはやめて!」


 必死に謝ったことで、鉄格子だけは免れた。けれど、護衛は二人から四人へ増えた。


 護衛から逃げようとしたのに、結果として二倍に増やしてしまった。大失敗だった。


 勇者に選ばれてから三日。力は少しずつ増えている。その代わり、自由な時間は減り、周囲の人たちから向けられる期待も日に日に大きくなっていた。それでも、この時の私はまだ、勇者という役目の重さを本当の意味では分かっていなかった。



 鑑定の儀式から四日目。国境の砦から、負傷した兵士たちが戻ってきた。帝国の斥候部隊と東の森で遭遇し、戦いになったらしい。死者はいなかった。けれど三人が重傷を負い、その中には、私が幼いころから知っている兵士もいた。


 知らせが届いた時、私は朝の剣術訓練を始めたばかりだった。訓練場の向こうから、馬の激しい蹄の音が聞こえてくる。いつもなら正門へ入る前に速度を落とすはずの馬が、そのまま中庭へ駆け込んできた。


「けが人だ! 治療院へ知らせろ!」


 誰かの叫び声が響いた。私は木剣を置き、中庭へ向かって走り出した。


「セレスティア様、お待ちください!」


 背後から四人の護衛が追ってくる。昨日までなら、どこまで逃げられるか試してみたくなったかもしれない。けれど、その時はそんなことを考える余裕などなかった。


 中庭には、土と汗、それに濃い血の匂いが満ちていた。二台の荷馬車が止まり、鎧を赤く染めた兵士たちが次々に担架へ移されていく。苦しそうにうめく者。意識を失ったまま動かない者。折れた脚を板で固定され、歯を食いしばって痛みに耐えている者。


 物語の挿絵で、負傷した騎士を見たことはあった。訓練中に擦り傷や切り傷を負ったこともある。けれど、本物の戦いで傷ついた人を見るのは初めてだった。


「オーウェン……?」


 荷馬車の端に座っていた男が、私の声に顔を上げた。国境守備隊の小隊長、オーウェン・ハインツ。日に焼けた顔と赤茶色のひげを持つ、熊のように大きな兵士だ。城へ報告に戻るたび、私を肩車してくれたり、木の枝で小さな動物を彫ってくれたりした。笑うと目尻に深いしわができる、私の好きな兵士の一人だった。


 けれど今は、その顔から血の気が失われている。矢はすでに抜かれていたものの、左肩に巻かれた布は赤黒く染まり、腕は力なく垂れ下がっていた。


「お嬢様……いえ、勇者様。ご心配には及びません。こんなものは、かすり傷です」


「そんなに血が出ているのに、かすり傷なわけないじゃない」


「では、少し深いかすり傷ということで」


「言い直しても同じよ」


 いつものように笑おうとしたオーウェンの顔が、痛みにゆがんだ。それでも、私を安心させようとしている。


「こちらへ! 早く!」


 治療師の切迫した声に、私たちは同時に振り返った。別の担架に、まだ若い兵士が横たえられていた。わき腹に巻かれた布から血がにじみ、閉じたまぶたはぴくりとも動かない。


「その方は……」


「生きています。ですが、すぐに治療が必要です」


 年配の治療師は短く答え、担架を運ぶ者たちへ指示を飛ばした。私は何かしなければと思い、横たわる兵士へ手を伸ばした。

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