第2話 役立たずの体術使い
鑑定水晶へ手を置く。冷たい感触が、十二歳の小さな手のひらへ伝わった。透明だった水晶の中心に、淡い光が灯る。やがて光は幾つかの文字となり、神殿に集まった者たちの前へ浮かび上がった。
【スキル】
体術
【魔法】
無属性
【耐性】
無
神殿内が静まり返った。誰も声を発しない。
「……体術?」
誰かが、ぽつりとつぶやいた。
「しかも、五属性の適性が一つもない……」
この世界は、剣と魔法の世界だ。剣術、槍術、弓術、斧術など。強力な武器を扱うスキルは、戦闘において大きな価値を持つ。
一方、《体術》は戦闘系スキルの中でも最弱とされていた。剣と魔法が支配する世界で、素手のまま戦うなど無謀に近い。
そのうえ、《体術》を持つ者が武器を手にすると、本来の動きが阻害され、身体能力に負の補正までかかる。剣を持てば弱くなる。槍を持っても弱くなる。
だからといって、素手で武装した敵へ挑めば、普通は死ぬ。世間で外れ扱いされるのも無理はなかった。
また、人族が扱える基本属性は五つ。火、水、土、風、雷。一つでも属性適性を持っていれば、魔法士としての道が開ける。二属性なら秀才。三属性なら天才。それ以上ともなれば、国が保護するほどの才能だ。
例外として光属性と神聖魔法が存在するが、それらは選ばれた者だけに許された特別な力である。
そして、俺の適性は無属性。
世間では、攻撃魔法を持たない外れの属性だと思われている。最初のつぶやきを合図に、抑えた声が神殿内へ広がっていった。
「アークハルト家の嫡男が、武器系統のスキルを持っていないとは……」
「五属性の魔法適性もないようだ」
「無属性魔法というのも、何とも……」
「耐性まで無しか」
中には、声を抑えて笑う者もいた。
「ご当主様は、あれほど優秀な方なのに……」
ああ。言いたいことは分かる。期待外れ。無能。アークハルト家は、王国北部に広がる魔の森を監視する武門の男爵家だ。歴代当主は剣や槍を得意とし、騎士団の先頭に立って魔物を討伐してきた。
その嫡男が、剣も槍も扱えない体術使い。魔法は、五属性のどれにも属さない無属性。耐性もない。落胆し、軽蔑する気持ちは分からなくもなかった。
神官が気まずそうに鑑定水晶へ顔を近づけた。表示された文字を何度も確認し、最後には水晶の側面を軽くたたく。結果は変わらない。水晶をたたいたところで、授けられた能力まで変わるはずがない。神官というより、壊れた魔道具を前にした職人の仕草だった。
「アレス・アークハルト」
神官が気まずそうに俺を見る。
「以上が、あなたに授けられた能力です」
「分かった」
俺が素直に水晶から手を離すと、神官が目を瞬かせた。祭壇の下にいる父上も、わずかに眉を動かす。母上は胸元へ手を当て、心配そうに俺を見ていた。俺の専属メイドであるニーナに至っては、いつでも謝れるように頭を下げかけている。何も悪いことをしていないのに、謝罪の準備が早すぎる。
まあ、原因は俺なのだが。かつての俺は、この結果を見た瞬間に激怒した。鑑定水晶が壊れていると騒ぎ、神官へ再鑑定を要求し、周囲の子どもたちをにらみつけた。
屋敷へ戻ってからは、ニーナが用意した食事を床へたたき落とした。弟のカイルに八つ当たりし、妹のリリアを泣かせた。思い出すだけで、今すぐ過去の自分を殴りに行きたくなる。今回は、同じ過ちを犯すわけにはいかない。
「アレス」
父上――ガレス・アークハルト男爵が俺を呼んだ。低く、よく通る声だ。厳しい表情をしているが、そこに失望も、見下す気持ちもなかった。ただ、俺が傷ついていないかを見定めている。
かつての俺は、そんなことにも気づかなかった。優しい父だったのだな。六十年以上かかって、ようやく分かった。
「鑑定によって判明するのは、あくまで可能性だ」
父上は、周囲にも聞こえる声で続けた。
「剣術を得た者が、必ず剣豪になれるわけではない。体術であろうと、鍛え上げれば民を守る力となる。努力次第では、後天的に新たなスキルを獲得することもできる」
「はい、父上」
父上の眉が、またわずかに動いた。母上が驚いた顔をする。ニーナは、えっ、と小さく口を開けた。まあ、無理もない。俺は誰もが認めるほど、怠惰で傲慢なクズ野郎だったからな。
「父上のおっしゃるとおりです。力の価値は、これから私が努力で証明します」
「……そ、そうか」
父上は短く答えた。予想外の返答だったのだろう。その顔には、まだ戸惑いが残っている。鑑定の儀へ向かう前の俺なら、父上の言葉を慰めだと決めつけ、怒鳴り散らしていた。一日で人間の性格が変われば、誰でも不気味に思う。実際には、一日ではない。六十年以上かかっている。
「ア、アレス様……」
祭壇を下りた俺へ、ニーナがおそるおそる近づいてきた。栗色の髪を肩口で切りそろえた、琥珀色の瞳を持つ十五歳の少女。
改めて見ると、かなり整った顔立ちをしている。かつての俺は、ニーナの顔すらまともに見ようとしなかった。専属メイドだったというのに。まったく、自分が情けない。そして、鑑定の儀からおよそ二か月後。彼女は盗賊に誘拐される。
正確な日付は覚えていない。場所も知らない。犯人が何人いたのかも、どこへ連れ去られたのかも知らなかった。
当時の俺は、その事実にすら興味を示さなかったからだ。報告を聞こうともせず、――代わりのメイドを用意しろ。そう言い放った。思い出すたびに、胸の奥が冷たくなる。
今度は違う。事件そのものを防ぐ。もし防ぎきれなかったとしても、今度は必ず見つけ出す。
「どうした、ニーナ」
「その……いえ、何でもございません。申し訳ありません」
ニーナは視線をさまよわせ、深く頭を下げた。悪いことなど何もしていないのに、俺へ謝ることが習慣になっている。これも、以前の俺がそうさせたのだ。
「ニーナ、頭を上げろ」
「……はい?」
「お前は何も悪いことをしていない。謝る必要はない」
「へっ?」
ニーナは頭を上げ、きょとんとした顔で俺を見た。そんなに驚くことだろうか。かつての俺を考えれば、驚くことなのだろう。
「ですが、皆様がいろいろと……」
「好きに言わせておけばいい。俺は何も気にしていない」
俺はもう一度、鑑定水晶に表示された結果を振り返る。体術。無属性。耐性無し。表面だけを見れば、完全な無能だ。
だが、《体術》は俺が六十年以上をかけて磨き続けた道だ。剣は折れる。槍は砕ける。魔道具は壊れる。拳なら、失ってもまた生えてくる。少なくとも、俺の場合は。
無属性魔法も役立たずではない。鑑定魔法。契約魔法。生活魔法。そして、空間への干渉。使い方さえ知っていれば、どの属性よりも便利な可能性を秘めている。世間が知らないだけだ。
そして何より、この水晶には俺の本当の力が映っていない。
ギフト《超再生》。傷を治すだけではない。損傷の原因を解析し、傷つく前より強い状態へ肉体を作り替える力だ。そして、その枝の一つである《追憶》は、意識の奥へ沈んだ記憶を鮮明に呼び戻す。一度目にした光景や文字であれば、脳内でほぼ完全に再現することができる。
滅びた未来で得た知識も。目にした魔法書やスキル書の内容も。俺の中に残っている。この力がある限り、俺は再び強くなれる。いや。今度こそ、全盛期の俺さえ超えてみせる。
「見えないものほど、価値があるものだ」
「はい?」
「何でもない」
ニーナが首を傾げた。今はまだ、知らなくていい。少なくとも、ここで全員に話すようなことではない。




