第187話 女神が定めた一か月
祝宴を終え、迎賓館へ戻ろうとしていた俺は、王家の世話役に呼び止められた。
「アレス・アークハルト様。リシア殿下がお呼びです」
「リシア様が?」
「はい。セレスティア様も、すでにお待ちです」
この時間に、二人がそろって俺を呼ぶ。一昨日の模擬戦についてだろうか。それとも、昨日の《勇聖奉告式》と人質救出について、何か話しておきたいことがあるのか。
「分かりました。すぐに伺います」
世話役に案内され、王宮の奥へ進む。やがて立ち止まった先には、近衛騎士と侍女長が控えていた。扉の装飾を見て、足が止まる。
「ここは……リシア様の私室ではありませんか?」
「そのとおりでございます」
「私が入ってもよい場所なのですか?」
「国王陛下より、今夜に限り特別に許可が出されております。室内へ入るのは、御三方のみ。私どもは扉の外でお待ちいたします」
王女の私室へ、夜に男を入れる。しかも、侍女すら同席させずに三人だけで話せという。ただごとではない。
「失礼します」
扉をくぐると、淡い白と薄緑で整えられた小さな応接間へ出た。壁際の白い女神像には、新しい花が供えられている。華美な装飾を抑えた、リシアらしい穏やかな部屋だった。
中央の卓を挟み、リシアとセレスがそれぞれの長椅子に腰掛けている。卓の端には、二人を横から見渡せる一人掛けの椅子も置かれていた。
「お待ちしておりました、アレス様」
「遅かったね、アレス君」
二人が立ち上がる。リシアは宝飾品をいくつか外し、銀白の髪を背へ流していた。セレスも髪飾りを外し、長い青髪を肩へ落としている。祝宴の時よりくつろいだ装いなのに、二人とも、どこか落ち着かない様子だった。
目が合うと、リシアの頬がわずかに赤くなる。よほど話しにくいことがあるのだろうか。
「ひとまず、お座りください」
リシアに促され、卓へ近づく。
「こちらへ」
「こっちに座って」
二人が同時に、それぞれの長椅子の空いた場所を示した。互いの手に気づき、顔を見合わせる。
「セレス。今夜はわたくしからお話があるのです」
「隣じゃないと話せないわけじゃないでしょ?」
「……それは、セレスも同じではありませんか」
どちらへ座るべきなのだろう。少し考え、卓の端の一人掛けへ腰を下ろした。
「ここならば、お二人の顔が見えます」
「……そうですね」
「うん。話しやすいと思う」
二人は顔を見合わせ、そろって腰を下ろした。
「それで、私を呼んだ理由を伺ってもよろしいでしょうか」
問いかけると、二人の表情が変わった。セレスから笑みが消え、リシアは一度、深く息を吸う。
「お話しする前に、少々お待ちください」
リシアが卓の側面へ手を伸ばし、埋め込まれた魔道具へ触れる。淡い魔力が室内を包み込んだ。この感覚には覚えがある。父上の執務室にも備えられている、盗聴と探知を防ぐ結界だ。
「これからお話しすることは、この部屋の外へ決して漏らしてはなりません」
先ほどまでの戸惑いを収めた、静かな声だった。少女ではなく、女神の言葉を預かる聖女の声。
「父上にも、でしょうか」
「ガレス様は、今頃お父様から同じお話を聞いているはずです。レオナルド様もご一緒です」
国王陛下、レオナルド辺境伯、父上。そして、この部屋にいる三人。わざと二つの部屋に分けられたのか。
「承知しました。決して口外いたしません」
「私も約束したよ」
セレスが言う。リシアはうなずくと、壁際の女神像へ目を向けた。
「今日の夕刻、祝宴が始まる前のことです。わたくしはこの部屋で、女神ルミエラへ祈りをささげておりました」
《勇聖奉告式》を無事に終えられたこと。人質となっていた者たちを救えたこと。セレスと俺が、リシアと共に戦ったこと。それらを報告し、祈りを終えようとした時、リシアの聖女の印が光を放ったという。
「その瞬間、部屋からすべての音が消えました。風の音も、廊下を歩く方の足音も、自分の呼吸さえ聞こえなくなったのです」
周囲の時間から、自分だけが切り離されたような静けさ。俺が女神ルミエラと対面した時も、世界は同じように音を失った。
聖女の印が光り、俺の知るあの静寂が訪れた。リシアにも、女神が語りかけたのだろう。
「その静けさの中で、女神様の御声が聞こえました」
リシアが胸元へ手を添える。
「女神ルミエラは、こうおっしゃいました」
一言も間違えまいとするように、ゆっくりと告げる。
「『来たる年の秋、勇者と聖女をアークハルトの地へ』」
アークハルトの地。父上が治め、家族やニーナ、仲間たちが暮らす俺の故郷。そして、魔の森と境を接する土地だ。
「『九月十五日より十月十五日まで、彼の地に留まれ』」
その言葉を聞いた瞬間、全身から熱が消えた。
十月十日。
指定された一か月の中に、その日がある。
前の歴史で、大規模スタンピードが起きた日。魔の森からあふれた魔物の群れが、アークハルト領をのみ込んだ日。
何一つ備えなかった俺が、故郷のすべてを失った日だ。
「アレス君?」
セレスの声で、意識が部屋へ戻る。俺は、無意識に椅子の肘掛けを強くつかんでいた。指へ込めていた力を緩める。
「どうしたの?」
「……考えていました」
「何を?」
答えようとした瞬間、魂の奥を冷たい鎖が締めつけた。
《時律の禁約》。過去へ戻ったことも、前の歴史をこれから起こる未来として明かすことも許されない。破れば、俺も女神も消える。
喉まで出かかった言葉をのみ込む。
言えない。
十月十日に、前の歴史では大規模スタンピードが起きたとは。
「アレス様。この期間に、何か心当たりがあるのですか?」
リシアが不安そうに尋ねる。
「確かなことは、何もありません」
同じ日に、同じことが起きるとは限らない。だが、心当たりがないわけではなかった。
目の前の二人は、俺の異変に気づいている。それでも、あの日に何があったのかを伝えることはできない。
「ただ、場所だけでなく、始まりと終わりの日まで定められています。何の意味もないとは思えません」
「わたくしも、女神様へお尋ねしました」
「何と?」
「なぜアークハルト領なのか。その一か月に何が起きるのか。わたくしたちは何をすればよいのか。ですが、お答えはありませんでした」
女神は、俺があの日の記憶を明かせないことを知っている。だから、場所と期間だけを示したのか。俺なら、その意味に気づくと考えて。
だが、それだけでは分からない。なぜ、勇者と聖女を俺の故郷へ向かわせるのか。
「女神のお告げには、まだ続きがあります」
リシアが一度、息を整える。セレスも姿勢を正し、膝の上で両手を握った。
「『勇者と聖女は、アレス・アークハルトと共にあれ』」
「私と?」
「はい。アレス・アークハルトと、はっきりおっしゃいました」
場所も、期間も、共にいる相手までも。ここまで定められて、偶然だとは思えない。
俺が故郷を失った十月十日。その日を含む一か月に、今度は勇者と聖女も、俺と共にあの地にいる。
あの大群を迎え撃つためか。
それとも、二人の力まで必要になる何かが、今度の故郷を襲うのか。




