第181話 守り抜いた朝
王宮の小会議室へ、国王陛下、宰相アルフォンス、ヴィクトル団長、レオナルド辺境伯、父上、セレス、リシア、俺が集められた。窓の外は、すでに白み始めている。全員、一睡もしていない。
机の上には、灰鐘堂から回収した品が並べられていた。燃え残った紙、空の薬瓶、毒を塗った短剣、煙を発生させた瓶の破片。首謀者につながる手掛かりがないか、調査が続いている。
「救出された六人は、全員無事です」
ヴィクトル団長が報告する。
「ヨアヒム神官は祭服と身分を奪われた後、灰鐘堂へ監禁されていました。南門の役人と大神殿の書記官は、家族を人質に取られ、書類へ署名し、印章を使うよう強要されたとのことです」
「つまり、書類が本物だったのは、内部に魔王教徒がいたからではないのだね」
レオナルド辺境伯が言った。
「少なくとも、今回の三人は違います」
ヴィクトル団長が答える。
「彼らは脅され、利用されただけです」
犯人たちは顔を隠し、互いを番号で呼んでいたという。三人の証言を合わせても、素顔や名前は分からなかった。
一方、《勇聖奉告式》へ呪物を持ち込んだ男は、所持していた宿の鍵から滞在先が判明し、宿帳の名と私物の記名が一致したことから、ザムドと名乗っていたことが確認されていた。
「ザムドは?」
国王陛下が尋ねる。
「意識は戻っておりません。リシア殿下のお力で呪いは抑えられておりますが、再び尋問すれば命を落とす恐れがあります」
「無理に聞き出すな」
国王陛下がすぐに命じた。
「ザムドの治療を続けよ。ギデンとともに厳重に監視し、容体を確かめながら調べるのだ」
「はっ」
ヴィクトル団長が頭を下げる。
「アルフォンス。今回、名を奪われ、脅された者たちの名誉を守れ。家族も含め、王家の責任で保護するのだ」
「承知いたしました」
短い指示が、次々と下されていく。それでも、部屋を覆う重い空気は晴れなかった。
「結局、何が目的だったのでしょうか」
リシアが、机の上の瓶を見つめる。《勇聖奉告式》へ持ち込まれようとした呪物。ザムドへ刻まれていた口封じの呪い。灰鐘堂で人質を巻き込んだ、呪いを含む煙。狙いは二人の命だけだったのか。
「わたくしとセレスを害するためだったのか」
リシアが続ける。
「《勇聖奉告式》そのものを汚すためだったのか。それとも、王家と大神殿の間へ疑いを生むためだったのか……」
「すべてを狙っていた可能性もございます」
宰相アルフォンスが答えた。
「しかし、言い切れる証拠はございません」
「ザムドが魔王教に強く傾倒していたことは間違いない」
ヴィクトル団長が言う。
「だが、彼へ命令した者も魔王教徒だったのか。王都にいるのか。すでに立ち去ったのか。それすら分からん」
「ギデンの雇い主は、まだ見つからないの?」
セレスの問いに、団長が答えた。
「報酬を置くと約束した廃井戸を監視しております。受け渡しの時刻は、まだ先です。押収品の調査も続けていますが、現時点では首謀者を特定できておりません」
「来るといいけど……」
「ええ。残された手掛かりは、一つずつ確かめます」
セレスが唇を結ぶ。俺も、机に並ぶ品を見つめた。二人を狙わせた者は、まだ自由に動ける。待つしかない時間が、もどかしかった。
滅びた世界では、この《勇聖奉告式》で事件など起きなかった。少なくとも、俺が知る限りでは、勇者と聖女の名が広く知られただけの日だった。
だが、俺たちが違う道を進めば、敵の動きも変わる。知っている事件の日付だけを警戒していては、目の前の危険を見落とす。
「アレス君?」
セレスに呼ばれ、顔を上げる。
「怖い顔をしてるよ」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいけど……一人で何かしようとしてない?」
「していません」
「本当に?」
青い瞳が、真っ直ぐに俺を見る。父上まで、黙ってこちらを見ていた。
「本当です」
今度は、はっきりと答えた。
「分からないものを、一人で追うつもりはありません」
前の俺なら、手掛かりがなくても王都中を探し回ったかもしれない。眠らず、休まず、自分だけで敵へたどり着こうとした。だが、焦って闇へ踏み込めば、敵の望む場所へ誘い込まれるだけだ。
「ただし、警戒は続けます」
「うん。それなら、私も一緒に警戒する」
「わたくしもです」
リシアも、静かにうなずいた。
「次は、誰にもこのような思いをさせたくありません」
二人の言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。守るべき者だと思っていたし、今もその気持ちは変わらない。だが、二人はただ守られるだけの存在ではない。昨夜、人質を救えたのは、セレスの風とリシアの光があったからだ。
「頼りにしています」
そう告げると、セレスがうれしそうに笑った。リシアはわずかに目を見開き、それから柔らかくほほえんだ。
「捜査は、王国騎士団へ任せよ」
国王陛下が言う。
「お前たち三人は、まず休め。眠らぬ者から先に判断を誤る」
「はい」
三人で頭を下げる。
捜査を任せることも、今の俺に必要な判断だ。眠たげに目をこするセレスと、疲れを隠して背筋を伸ばすリシアを見て、俺は席を立った。
◇
迎賓館へ戻ると、玄関に母上が立っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
俺と父上の無事を確かめるように、母上が一人ずつの顔を見る。後ろから入ってきたセレスとリシアにも、柔らかくほほえんだ。
「お二人も、ご無事で何よりです」
「ご心配をおかけしました」
リシアが礼を取る。
「ごめんなさい。私たちまで来てしまって」
「構いませんよ。皆様の朝食も、ニーナが用意しております」
いつの間に頼んだのだろう。見ると、ニーナは何事もなかったように一礼した。
「お疲れでしょうから、消化のよいものを中心にご用意いたしました」
「ニーナさんの料理?」
セレスの目が輝く。たった今まで眠そうにしていたとは思えない。
「はい」
「食べる!」
「セレス。まず、お礼を」
「ありがとう、ニーナさん!」
「ふふ。どういたしまして」
食堂には、温かなスープと焼きたてのパンが並んでいた。鶏肉は柔らかく煮られ、野菜は細かく刻まれている。疲れた身体でも食べやすいよう、味は少し薄められていた。
セレスは一口食べた途端、うれしそうに笑った。
「美味しい!」
「本当ですね」
リシアも、スープをゆっくりと口へ運ぶ。
「身体が温まります。それに、これなら救護院の患者でも食べやすそうです」
「お作りになるのであれば、煮込む時間と具材の大きさを変えるとよろしいかと存じます」
ニーナが、すぐに答える。
「体力の落ちている方には肉をさらに細かくし、飲み込む力が弱い方には、芋を潰してとろみをつけます」
「詳しく教えていただけますか?」
「もちろんでございます」
リシアがうれしそうにうなずく。
セレスは二杯目のスープを受け取りながら、ニーナを見た。
「ねえ、ニーナさん」
「はい」
「グランベル領へ来ない?」
「セレス?」
「だって、毎日こんなに美味しい料理が食べられるんだよ?」
「それでしたら、王宮へ来ていただきたいです」
リシアまで何を言い出すのか。
「駄目です」
考えるより先に、声が出た。
二人が同時に俺を見る。
「まだ、ニーナさんへ聞いてないよ?」
「それはそうですが……私の食事も訓練も、一番よく分かってくれている人です。これからも、そばで支えてほしいので」
「私のところでも、アレス君の食事を作りに来てもらえばいいよ」
「なぜ私までグランベル領へ行くことになるのですか?」
「来ないの?」
「その話はしていません」
セレスが、不思議そうに首をかしげる。
リシアは口元へ手を添え、笑っていた。
父上と母上まで、楽しそうにこちらを見ている。
「ニーナ」
「はい」
「できれば、これからも頼みたいんだが」
ニーナの頬が、うれしさを隠し切れないように緩んだ。
「わたくしは、アレス様のおそばを離れるつもりはございません」
「ほら」
「残念」
セレスはそう言いながらも、すぐに三杯目のスープへ手を伸ばした。
「また、食べに来てもいい?」
「もちろんでございます」
「では、わたくしも」
「お待ちしております」
二人が笑い、つられてニーナも笑った。
窓から差す朝日が、食卓を明るく照らしていた。セレスがお代わりを頼み、リシアがあきれながら笑う。ニーナは空になった器を受け取り、父上と母上はその様子を穏やかに眺めている。
俺もスープを口へ運んだ。温かさが腹へ落ちると、ようやく長い夜が終わった気がした。
皆で守り抜いた朝が、ここにあった。




