第179話 勇者と聖女の救出作戦
夜の王都を、紋章のない馬車が進んでいく。
偵察の報告では、灰鐘堂に明かりはなく、人の出入りもない。ただ、裏手には新しい荷車の跡が残っていた。
連れてきた騎士は十二人。四人が周囲を封鎖し、四人が裏手の出口を押さえる。ヴィクトル団長と俺は、残る四人と正面から入る。
父上とダリオは、セレス、リシアとともに近くの詰所で待機している。母上には、迎賓館で帰りを待ってもらうことになった。
馬車を降りると、焼けた石壁が見えた。屋根は半分崩れ、鐘楼に鐘はない。
近くの住民には、建物が崩れる危険があるとして避難を促していた。周囲に残るのは、俺たちの足音だけだ。
俺は団長のすぐ後ろにつき、正面の扉へ向かった。
鍵はかかっていない。騎士が盾を構えて扉を押すと、さびたちょうつがいがきしんだ。
《照明》の魔道具が、荒れた礼拝堂を照らす。焼け落ちた梁と壊れた長椅子。その間を縫うように、新しい足跡と何かを引きずった跡があった。
点々と落ちた血が、奥の祭壇へ続いている。
「負傷者がいるかもしれん。救援班を入口まで呼べ。中へ入るのは、私の合図を待っていただく」
騎士の一人が詰所へ走る。俺たちが祭壇へ進みかけた時、床で細いものが光った。
「止まってください。糸があります」
全員が足を止める。長椅子の脚から伸びた黒い糸が、壁際の瓦礫につながっていた。
団長が屈み、触れずに確かめる。
「引けば、瓦礫が崩れるな。下にも仕掛けがあるかもしれん」
糸を避け、崩れた梁をどけながら進む。わずかな距離に手間取るうち、伝令の騎士が戻った。
「救援班、入口に到着しました」
祭壇の裏には、木板で覆われた階段があった。板の裏に仕掛けがないことを確かめて外し、一段ずつ下りる。
血と油の匂いがした。
「……う、うぅ……」
くぐもった声に、団長が拳を上げる。俺たちは足を止めた。
階段の下は小さな広間だった。正面の戸口の向こう、奥の部屋の左の壁際に、三人の男が倒れている。両手を縛られ、口には布をかまされていた。
広間の右側で、金属が擦れた。
俺は《鑑定眼》を開く。右眼の奥が熱を持ち、文字が浮かんだ。
【名前】
ギデン
【スキル】
弓術
【魔法】
なし
壁際の暗がりで、男が大型の弓を構えていた。
「右の壁際です!」
矢が放たれる。ヴィクトル団長の剣が光り、甲高い音を立てて弾いた。
騎士二人が盾を並べ、広間へ下りる。二本目の矢が、その盾へ突き刺さった。
「アレス殿、男を押さえろ!」
俺は盾の陰から右へ踏み込んだ。次の矢をつがえる前に、弓を持つ左手首をつかむ。
男は弓を捨て、右手で短剣を抜いた。刃には紫色の液体。毒だ。
左手首を放し、突き出された右腕を外へ流す。その手首をねじり上げて肘を打つと、短剣が落ちた。
「くそっ!」
壁へ押しつけた男の左手が、懐へ走る。握り出した小瓶を、床へたたきつけようとした。
「瓶を割らせるな!」
団長の声が飛ぶ。俺は左手首も押さえ、駆け寄った騎士が瓶を奪った。
だが、男の足は自由だった。
かかとが壁際の短い棒を蹴り倒す。細い縄が張り、奥の部屋で瓶が砕けた。
右の壁際から、紫黒い煙が床をはって広がる。
「足も縛れ! 人質を外へ!」
二人の騎士が人質を抱え起こす。だが、運び出すより速く煙が迫った。口の布越しに、苦しげなせきが漏れる。
「救援班を呼べ! 風魔法が要る!」
階段脇の騎士が入口へ声を飛ばす。男を騎士へ引き渡し、俺も人質へ走った。
俺なら《超再生》で耐えられる。だが、衰弱した三人には――。
「アレス君!」
セレスが階段を駆け下り、左手を前へ向けた。
「人質は奥の左です! 煙を右へ寄せられますか!」
「任せて! ――風よ、走れ!」
風が人質の前を横切り、煙を右の壁際へ押し戻す。三人のそばまで迫っていた煙が、遠ざかった。
リシアと父上、ダリオも、護衛の騎士とともに下りてくる。
「勇者殿、そのまま維持できますか?」
「できるよ!」
「リシア殿下は人質を。アレス殿、勇者殿の前を守れ」
「はい!」
俺とリシアの返事が重なった。
俺はセレスの前へ戻り、奥を警戒する。盾を構えた騎士に守られ、リシアが人質へ近づいた。《結界》が三人を包むと、もう一人の騎士が口の布を外し、縄を切る。
「大丈夫です。まだ息があります!」
柔らかな光が三人へ降り、乱れていた呼吸が落ち着き始めた。
「この煙にも、呪いが混じっています」
リシアは右壁に押しとどめられた煙へ目を向け、両手を胸の前で組んだ。
「女神ルミエラよ。迷える者をむしばむ汚れをはらい、命へ光をお戻しください」
白い光が部屋を満たす。紫黒い煙が薄れ、やがて消えた。
セレスが手を下ろし、俺へ顔を向ける。
「アレス君、けがは?」
「ありません」
その視線が、落ちた短剣へ移った。
「あれ、毒が塗ってあるよね?」
「刃には触れていません。大丈夫です」
そう答え、俺はリシアのそばに横たわる三人を見た。
本物のヨアヒム神官は、あの中にいるのか。




