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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第十二章 王都出会い編

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第178話 生きている証

 白銀の髪が、淡い光を受けて輝き始めた。


 宰相アルフォンスも、調査の書類と王都の地図を携えて合流した。壁際の机に資料を置き、治療の様子へ目を向ける。


「これは……」


「分かりますか?」


 俺が尋ねると、リシアは小さくうなずいた。


「はい。心をすべて支配しているわけではありません」


 リシアが目を閉じる。


「この方の中にある怒りや憎しみへ、何かが絡みついています。それを少しずつ強くして、ほかの気持ちを見えなくしているような……」


 精神誘導。完全に操るのではなく、もともと持っていた感情をゆがめる術か。厄介だ。


 操られている本人は、自分の意思だと信じる。たとえ術を解いたとしても、どこまでが本心で、どこからが植えつけられたものなのか、本人にさえ分からない。


「消せますか?」


 ヴィクトル団長の問いに、リシアはすぐには答えなかった。慎重に、黒い筋へ神聖魔法を流していく。淡い光が触れるたび、紫黒い筋の波打つ動きがわずかに弱まった。


「今のわたくしには、すべてを消すことはできません」


「そうですか」


「ですが、抑えることはできます」


 リシアの額へ、汗が浮かぶ。


「短い間だけならば、この方が自分の意思で話せるようにできると思います」


「危険は?」


「あります。呪いが強く抵抗すれば、この方の命が失われるかもしれません」


 ザムドは、俺たちの敵だ。リシアの命を脅かす呪物を、《勇聖奉告式》へ持ち込もうとした。その結果、どれほど多くの者が巻き込まれていたかも分からない。


 だが、生かして捕らえた以上、情報を得るためだけに壊すつもりはない。


「無理に話させるべきではありません」


 俺が言うと、ヴィクトル団長がこちらを見た。


「では、どうする?」


「発声の負担を減らすため、指で答えられる質問に絞ります。ただ、それでも呪いが反応する可能性はあります」


「何を聞く?」


「まず、ヨアヒム神官が生きているかを。人命に関わることだけを確かめ、異変があれば打ち切ります」


 団長がうなずく。俺は、男の脈を確かめている魔術師とも目を合わせた。


 リシアの光が、ザムドの胸全体を包む。黒い筋の動きが止まった。


「今です」


 王宮魔術師がザムドの頬を軽くたたく。


「目を開けろ」


 男のまぶたがわずかに動き、ゆっくりと顔が上がる。焦点の合わない目が、最初にヴィクトル団長を見た。次に俺を見て、最後にリシアの姿をとらえた。


「……聖女」


 かすれた声が漏れた。男の手首を取る魔術師が、リシアへ小さくうなずく。呼吸も脈も、乱れてはいない。


「話さなくてよい」


 俺は男の正面へ立つ。


「答えられるなら、肯定は一度、否定は二度、右手の指を動かしてくれ。無理に声を出す必要はない」


 男は俺をにらんだ。


 返事を急かさず、一呼吸置いてから尋ねた。


「本物の神官ヨアヒムは、まだ生きているか?」


 ヨアヒムの名に、男の目が揺れた。俺から顔をそむけ、唇をかみしめる。短い沈黙の後、右手の人差し指が一度だけ動いた。


「王都の中にいるか?」


 一度。


「拘束されているのか?」


 一度。


 ヴィクトル団長の目が鋭くなる。男の答えが確かなら、神官ヨアヒムは王都のどこかに捕らえられている。まだ、助けられるかもしれない。


「ほかにも、捕らえられている者がいるか?」


 一度。


「書類へ署名した者たちか?」


 指が動きかける。


 その瞬間、止まっていた黒い筋が大きく脈打った。


「ぐっ……!」


 ザムドの身体が椅子の上で跳ね、口の端から血が流れた。


「質問は止めます。リシア様、治療をお願いします!」


「はい!」


 白い光が強くなる。黒い筋が、リシアの光へかみつくように伸びた。俺は反射的にリシアの前へ腕を出す。


「アレス様、大丈夫です! これはわたくしに移る呪いではありません!」


「ですが」


「この方を助けます!」


 迷いのない声だった。自分を殺そうとした男。それでも、リシアにとっては目の前で苦しむ一人の人間なのだ。


「……なぜだ」


 ザムドが苦しげに声を漏らした。


「なぜ、俺を……」


「命を助けることに、理由が必要でしょうか?」


 リシアが答える。


「あなたが何をしたのかは、忘れていません。罪は、これから償っていただきます」


 光が、黒い筋を少しずつ押し戻していく。


「ですが、償うためにも、生きていただかなければ困ります」


 ザムドの目が見開かれた。リシアの手元を見つめ、何か言いかけて口を閉じる。先ほどまでの刺すような目つきが、わずかに変わっていた。


 敵である聖女に助けられるなど、思ってもみなかったのかもしれない。


 俺は問いを重ねず、男の呼吸が整うのを待った。


 その時、ザムドが自ら唇を開いた。


「……ヨア、ヒム……」


「無理に話さないでください」


「灰……の……」


 黒い筋が再び脈打ち、リシアがさらに魔力を注いだ。


「鐘……」


 そこまで告げたところで、ザムドの意識が途切れた。身体から力が抜ける。リシアは光を止めず、呼吸と心臓の動きを確かめた。


「生きています」


 その言葉に、室内の全員が息を吐く。


 男の脈を確かめていた魔術師も、うなずいた。リシアは少しずつ光を弱め、黒い筋が再び動きださないことを確かめてから手を下ろした。


「呪いは残っています。今は落ち着いていますが、再び問いかけることは避けてください」


「承知いたしました。こちらで容体を見守ります」


 神官が男の口元の血を拭う間も、魔術師はその脈を確かめていた。リシアは額の汗を拭い、ようやく一歩下がった。


「灰の鐘」


 ヴィクトル団長がつぶやいた。


「心当たりがあります」


 宰相アルフォンスが、壁際の机へ地図を広げた。


「南西区に、かつて《灰鐘堂》と呼ばれた小さな礼拝堂がございました」


「かつて?」


「三十年ほど前の火災で焼け、現在は使用されておりません。鐘だけは残っておりましたが、数年前に取り外されています」


 灰の鐘。鐘のなくなった灰鐘堂。


 人質の居場所だったとしても、安全に近づけるとは限らない。


「罠の可能性があります」


「私もそう思う」


 ヴィクトル団長が地図を見る。


「だが、放置はできん」


「はい。人質がいるのなら、なおさらです」


 ヴィクトル団長が、そばにいた騎士へ命じる。


「灰鐘堂の周囲を調べよ。中へは入るな。人の出入り、明かり、見張りの有無だけを確認し、すぐに戻れ」


「はっ!」


 騎士が走り去る。


「団長」


 セレスが一歩前へ出た。


「私の魔法も、救出に使えませんか?」


 セレスは地図をのぞき込んだ。


「力をお借りする場面はあるでしょう。ただ、最初に入る人数は絞ります」


 ヴィクトル団長が、礼拝堂の位置を指す。


「中の様子も、敵の数も分かりません。侵入する者と、外で救護や援護に備える者を分けておきたい。お二人は今日狙われた当人でもあります。まずは、私たちに状況を確かめさせてください」


「では、わたくしは救出された方々の治療に備えます」


 リシアがセレスへ向き直った。


「セレスがそばにいてくだされば、救護に専念できます。必要になった時は、魔法の援護もお願いできますか?」


「もちろん。だったら、すぐに動ける場所で待ちたい」


「灰鐘堂から二つ通りを隔てた王国騎士団の詰所を、救護の拠点にします。お二人は護衛とともに、そこで待機を」


 団長は、二人を順に見た。


「私からの指示か、現場の騎士から緊急の救援要請があった場合に限り、騎士の案内と護衛をつけて動いてください。それまでは詰所を離れないと約束できますか?」


「分かった。勝手には動かない」


「わたくしも、承知いたしました」


「アレス殿」


「私は、団長とともに中へ入らせてください」


 ヴィクトル団長が俺へ向き直る。


「理由を聞こう」


「人の動きや不自然な配置には、気づけます。団長のそばで、罠や待ち伏せを警戒する役目を担わせてください」


「あの男を見抜いた観察力か」


「はい」


 それに、俺が見なければ、ザムドと同じように名を偽っている者がいても気づけない。《鑑定眼》のことは話せないが、今回の救出には俺にしかできないことがある。


「ならば、私のそばで周囲を見ていてくれ。不審なものを見つけても、独断で近づかぬこと。動く時は必ず指示に従え」


「承知しました」


「ガレス男爵」


「アレスが必要だと、ヴィクトル殿が判断されたのであれば」


 父上は、俺を真っ直ぐに見た。


「ただし、無茶はするな」


「はい」


「一人で先へ行くことも、すべて自分で片づけようとすることも禁止だ」


 先回りされた。


「……承知しました」


「今の間は何だ?」


「何でもありません」


 少し離れた場所で、セレスが笑った。リシアも口元へ手を添えている。


「お二人とも」


「ご、ごめんなさい」


「だって、アレス君もガレス様には敵わないんだね」


「父上ですから」


 それ以外に、何と答えればよいのか分からない。


 わずかな笑いが途切れると、地下室には再び張り詰めた空気が戻った。ザムドが命を削って残した「灰の鐘」。それが人質へ続く道標なのか、俺たちを招く罠なのか、まだ分からない。


 だが、今夜確かめる。八月二十日の夜、俺たちは鐘を失った灰鐘堂へ向かうことになった。

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