第177話 口を封じる呪い
迎賓館へ戻った頃には、日は沈みかけていた。大通りからは、今も人々のにぎわう声が聞こえる。
勇者と聖女が民の前で誓いを立てた日。人々が今日をそう覚えていてくれるなら、それでいい。
ニーナが俺の胸から銀翼勲章を外し、柔らかな布の上へ置いた。
「アレス様、腕を上げてください」
上着を脱がせてもらい、ようやく肩の力を抜く。
「これで動きやすくなった」
「せっかく、とてもよくお似合いでしたのに」
「似合うことと、動きやすいことは別だ」
「今日は戦うための日ではなかったはずでございます」
「そのはずだった」
訓練着へ着替え、机に向かう。会議で分かったことを、紙へ短く書き留めた。
ヨアヒム神官は、王都へ向かう途中で消息を絶った。捕らえた男はその名を使い、本物の書類で大神殿へ入り込んでいた。
男の本名は、ザムド。《鑑定眼》で見たその名は紙に残さず、頭の中で手掛かりを並べ直す。まだ、本物の神官の生死さえ分かっていない。
「お食事の用意ができております」
ニーナが運んできたのは、肉と野菜のスープに、焼きたてのパン。温かな香りに、ようやく空腹を思い出した。
紙を引き出しへしまい、スープを一口飲む。腹の底まで温まる気がした。
「美味い。いつもありがとう、ニーナ」
「お代わりもございます。今日はしっかり召し上がってくださいませ」
パンへ手を伸ばしたところで、扉がたたかれた。
「アレス。ヴィクトル殿からだ」
入ってきた父上が、封書を差し出す。
「使者が、急ぎだと」
王国騎士団長の印章を確かめ、封を切る。
『捕らえた男に異変あり。可能であれば、すぐに王宮へ来られたし』
「行きます。馬車の用意は?」
「すでに頼んだが、もう少しかかる。ダリオにも支度をさせている」
「では、その間に食べ終えます」
手紙を畳んで父上へ渡し、残りを手早く腹へ入れる。何が待っているにせよ、食べておくに越したことはない。
水を飲んで立ち上がると、馬車の用意が整ったとの声が届いた。
「ごちそうさま、ニーナ。ここで休んでいてくれ」
「王宮までは、お供いたします。外套もお持ちしますので」
差し出された外套を羽織り、父上と廊下へ急ぐ。水筒を持ったニーナも、すぐ後に続いた。
◇
王宮地下の拘束区画へ入るまでに、三度も身分を確認された。石造りの通路を《照明》の魔道具が照らし、分厚い扉の前には騎士が二人ずつ立っている。
父上とダリオも一緒だ。ニーナには、区画の外の控室で待ってもらっていた。
最奥の扉の前で、ヴィクトル団長が俺たちを迎えた。
「遅い時間にすまない」
「男に何があったのですか?」
「尋問を始めて間もなく、意識を失った」
「毒は取り除いたはずでは?」
「毒とは別のものが残っていた」
団長が扉を開くと、椅子へ拘束されたザムドが見えた。魔力を封じる手かせと足かせに加え、胴も革帯で固定されている。うつむいたまま動かないが、呼吸はあった。
室内へ入る。男を囲む王宮魔術師と神官たちの向こうから、聞き慣れた声がした。
「アレス君」
セレスだ。その隣には、リシアもいる。
「なぜ、お二人がここへ?」
「わたくしが呼ばれたのです。あの方から、通常の毒や魔法とは異なる力が見つかったそうで。神聖魔法であれば、何か分かるかもしれないと」
リシアが説明すると、セレスも続けた。
「だから、私も来たの。あの人はリシアを殺そうとしたんだよ。一人で行かせられない」
その手は、リシアの袖を握っていた。
「陛下とレオナルド辺境伯の許可は得ている」
ヴィクトル団長が言う。
「私と近衛騎士が護衛につき、異変があればすぐに退避させる。それが条件だ」
「承知しました。男の状態は?」
魔術師の一人がザムドの襟元を開いた。首から胸へ黒い筋が浮かび、紫黒い光が脈打っている。
男自身の魔力ではない。外から刻まれた力だ。
「魔王教について尋ねた直後、この模様が現れました。精神へ干渉する術式と、呪いが絡み合っています」
「解除はできないのですか?」
「無理に解けば、呪いが命を奪うおそれがございます。記憶を読むことも危険です。神聖魔法で、まず力を弱められないかと」
リシアが男の前へ進む。ついていこうとしたセレスを、団長が制した。
「そばには私がつく。殿下をすぐに下がらせられるよう、ここを空けておいてくれ」
セレスはリシアを見た。小さくうなずき返され、ようやく足を止める。剣の柄からは、手を離さなかった。
団長がリシアの斜め前へ立ち、近衛騎士が背後を固めた。俺も距離を取り、男の動きに目を凝らす。
「まず、弱い光から試します。容体に変化があれば、すぐに教えてください」
魔術師がザムドの脈を取り、もう一人が黒い筋を見守る。
リシアは胸元へ手をかざした。自分を殺そうとした男を前にしても、その手は揺れていない。
掌に灯った白い光が、男の首に浮かぶ黒い筋を照らした。




