第176話 魔王教の影
ルナ。アイゼン。ガルム。魔の森の深層で、俺とともに地竜へ挑んだ三人の顔が浮かぶ。
「この銀翼勲章は、領地で待つ三人とともにお受けいたします」
父上が静かにうなずき、母上は目元へ指を添えた。ダリオも胸を張り、後方に控えたニーナは、誰よりもうれしそうに笑っている。
「私は、武闘家です」
わずかなざわめきが起きる。武器も魔法も使えず、身体強化を覚えるまで生き残ることさえ難しい。今も、武闘家を最弱の職業と考える者は多い。
「剣を持つことも、杖を持つこともありません。ですが、守りたい者の前へ立つことはできます」
自分の拳を見る。魔王へ挑んだ頃とは比べものにならない、十三歳の小さな手。それでも、この一年で守れるものは増えた。
「どのような職業にも、できることはあります。私も勇者様、聖女様とともに、王国と民を守るため、力を尽くします」
一礼すると、セレスが真っ先に手をたたいた。リシアも続き、家族や参列者の拍手が大聖堂を満たしていく。
「アレス様!」
外からも、名を呼ぶ声が聞こえた。また一人、さらに一人。やがて、大勢の声が重なった。
歓声には慣れている。《武王》と呼ばれた頃も、多くの者から希望を託された。だが、あれは大切な者を失い、生き残った後のことだ。
今は、父上も母上も、ニーナもいる。セレスとリシアも、この場にいる。
失う前に、ここまで来られた。胸の奥が熱くなる。
「二人とも、こちらへ」
国王陛下に呼ばれ、セレスとリシアが俺の左右へ並んだ。そのまま中央の通路を進むと、正面入口に控えていた騎士たちが扉を開く。
広場を埋め尽くす民が、俺たちを見て歓声を上げた。
勇者。聖女。そして、最弱と呼ばれた武闘家。本来の歴史では、一度も並ぶことのなかった三人だ。
半歩下がろうとした俺の袖を、セレスがつかんだ。
「どこへ行くの?」
「今日の主役は、お二人です」
「アレス君も呼ばれたでしょ?」
反対側では、リシアがほほえんでいる。
「陛下も、お並びになるようおっしゃいましたよ。アレス様、ご一緒してください」
二人に挟まれては、下がれない。
「分かりました」
セレスが右手を上げ、リシアが民へほほえむ。俺もぎこちなく手を上げると、歓声がいっそう大きくなった。
二人と並んだまま、俺はもう一度手を振った。この光景を、失いたくなかった。
◇
《勇聖奉告式》の後、俺は大神殿の奥にある会議室へ呼ばれた。
国王陛下と宰相アルフォンスを囲み、ヴィクトル団長、大神官長、レオナルド辺境伯、父上が席に着く。扉の外は、団長が選んだ騎士たちが固めていた。
「捕らえた男は、まだ何も話しておりません」
ヴィクトル団長が報告を始める。
「精神へ干渉された跡があります。黙っているのか、話せなくされているのかも、現時点では分かりませぬ」
「名乗っていた神官は、実在するのか」
「はい。東部セレノ礼拝堂の神官ヨアヒムです。ただ、礼拝堂を発った後、王都へ到着しておりません。街道沿いの宿場へ人を向かわせています」
本物の神官は、どこへ消えたのか。生きているかどうかさえ、まだ分からない。
「こちらにも問題がございます」
宰相アルフォンスが、机へ三枚の書類を並べた。
神官の派遣状。王都へ入るための証明書。大神殿へ祭具を運び込む許可証。
「印章はすべて本物です。担当者の署名も、本人のものと確認されました」
レオナルド辺境伯が身を乗り出す。
「本物の神官から、書類を奪った可能性は?」
「ございます。これだけで、内部に協力者がいるとは言い切れません」
宰相は、搬入許可証へ指を置いた。
「ただ、男は式で使う香を利用し、祭具の搬入に紛れ込んでおりました。その手順を誰から聞いたのか。書類の出所と併せて調べます」
「アレス」
国王陛下が俺へ目を向けた。
「そなたは、なぜあの男を疑った?」
《鑑定眼》のことは明かせない。俺は、男の足運びを思い返した。
「重い木箱を運んでいるのに、あの男だけは重心が崩れませんでした。戦い慣れた者の足運びです。それに、お二人を見ていないふりをしながら、出入口と警備の位置、お二人までの距離を確かめておりました」
「それだけで、刺客だと?」
「いいえ。疑っただけです。だからこそ、まず箱を調べていただくようお願いしました」
俺は陛下を見返した。
「考えすぎなら謝れば済みます。ですが、見過ごしてからでは取り返しがつきません」
「そして、声をかけられた男は、自ら針を抜いた」
宰相の言葉に、俺はうなずく。
「あの瞬間、確信しました」
「分かった。今後も、違和感を覚えた時は遠慮なく申せ。誰かの面子より、民の命の方が重い」
「承知いたしました」
陛下の張り詰めた表情が、わずかに緩んだ。
「改めて礼を言う。娘を守ってくれたこと、感謝する」
王ではなく、父親の言葉だった。
「当然のことをしただけです」
「その当然を果たし続けることが、最も難しい」
三日前、王都へ到着した折に、ヴィクトル団長がセレスへ伝えた言葉と同じだった。陛下と団長が、わずかに視線を交わす。
「男の尋問は、私が引き続き担当します。大神殿と王都の門も調べ直しましょう」
団長が俺へ向き直った。
「アレス殿にも、必要に応じて協力を頼みたい」
「承知しました」
陛下が書類へ目を落とす。
「式は無事に終わった。だが、敵の手は王国の中まで伸びている。誰も失わぬために、調べ尽くせ」
全員が頭を下げた。
この人を死なせてはならない。滅びた世界では三年後、陛下が王都で暗殺された。その死を始まりに、リシアも、セレスも、レオナルド辺境伯も命を落とした。
俺が歴史を変え、敵の動きが早まったのか。それとも、以前は知らなかっただけなのか。
いずれにせよ、三年後の暗殺だけを警戒していては間に合わない。
机に並ぶ三枚の書類へ目を戻す。まず追うべきは、行方不明の神官と、これが男へ渡った経緯だ。
魔王教の手は、もうこの王都に届いている。




