第174話 一刻遅れの《勇聖奉告式》
王宮魔術師が、香の一つ一つへ鑑定の魔法をかけていく。
「上に並ぶものは、大神殿で用いられている清めの香に間違いございません」
「上は、か」
ヴィクトル団長が尋ねる。
「はい。この箱には、底が二重になっております」
魔術師が細い器具を差し込み、木箱の内側を持ち上げた。その下から現れたのは、小さな黒い包みだった。
包みの周囲だけ、空気がゆがんで見える。神聖魔法とは正反対の、よどんだ魔力。リシアが息をのんだ。
「呪いの力を感じます」
「何に使うものか分かるか?」
国王陛下が、少し離れた場所から尋ねた。近衛騎士たちが陛下と第二王妃、王子たちの前へ壁を作っている。
「詳しく調べなければ言い切れません。ただ、これを清めの香へ混ぜてたけば、神殿を満たす聖なる魔力が乱されます」
王宮魔術師の顔が強張る。
「本日の《勇聖奉告式》では、リシア殿下が女神像へ神聖魔法をささげると伺っております。その瞬間に、この香がたかれていれば……」
「どうなる?」
「分かりません。リシア殿下へ呪いが返る可能性も、周囲へ汚れがまき散らされる可能性もございます」
リシアの母であるアリアーヌ第二王妃が、娘の肩を抱き寄せた。その視線は、娘の無事を確かめてから、ユリウス第二王子へ向けられた。
ユリウス第二王子はリシアのそばへ。クラウディウス第一王子とフィリップ第三王子は、国王陛下の前を守る近衛騎士へ加わろうとして止められていた。
誰の反応にも、不自然なところはない。宰相アルフォンスは動揺を表へ出さず、すでに大神官長へ問いかけていた。
「あの男の身元は?」
「《勇聖奉告式》のため、東部の礼拝堂から派遣された神官となっております」
「なっている?」
大神官長の声が震えた。
「名簿にも名がございます。王都へ入る際の記録も、大神殿へ入る許可証も確認されております」
「印章は?」
「すべて本物にございます」
宰相の目が細くなる。
「では、本物の神官が自ら手を貸したか、誰かが神官と入れ替わり、本物の書類を使ったか。そのどちらかということだな」
「はい」
「お待ちください」
黒い包みを調べていた王宮魔術師が声を上げた。
「包みの内側に、古代魔族文字が記されております」
「読めるか?」
「断片的にですが」
魔術師の顔が強張る。
「『我らが王へささぐ』『女神の光を汚せ』と」
魔王を崇め、女神の光を汚そうとする者。王国各地でささやかれてきた名が、誰の頭にも浮かんでいた。
魔王教。
その名を聞き、周囲の者たちが息をのんだ。
王国各地でささやかれていた話。黒いマントをまとい、使われなくなった礼拝所で魔王を神として敬う者たち。これまでは、一つの集団なのかさえ分かっていなかった。
だが、捕らえた男が運び込んだ呪物には、魔王への祈りが記されていた。作り話だけではない。魔王教は存在する。
そして、王都の大神殿へ神官として入り込み、勇者と聖女の《勇聖奉告式》を狙った。
「陛下」
ヴィクトル団長が片膝をつく。
「《勇聖奉告式》の延期を進言いたします。大神殿の内部を、今一度すべて確認すべきかと」
「どれほどかかる?」
「少なくとも一刻。安全を優先するのであれば、本日の開催そのものを見送るべきでしょう」
大神殿の外には、王都中から集まった民がいる。何も告げずに延期すれば、憶測が広がる。
魔王教の狙いが、二人を直接傷つけることだけとは限らない。《勇聖奉告式》を中止へ追い込み、王国へ不安を広げることも目的の一つかもしれない。
「お父様」
声を上げたのは、リシアだった。第二王妃の腕から離れ、一歩前へ出る。
「わたくしは、《勇聖奉告式》へ臨みます」
「リシア」
「もちろん、何も調べずに始めてほしいと申し上げるつもりはありません。ですが、王都の皆様は、勇者と聖女がそろう今日を一年余り待ってくださいました」
リシアは、大神殿の正門へ目を向けた。分厚い扉の向こうから、民の声がかすかに聞こえてくる。
「敵が一人入り込んでいたからといって、わたくしたちが姿を隠せば、皆様を不安にさせてしまいます」
「危険が残っている可能性もある」
「分かっています」
「リシア一人だけじゃないよ」
セレスも、その隣へ並んだ。
「私もいる。アレス君も、ヴィクトル団長もいる。それに、これだけ大勢の騎士と神官がいるんだから、皆で調べればいい」
レオナルド辺境伯が娘を見る。
「怖くはないのかい?」
「怖くないって言ったら、たぶんうそになります」
セレスは正直に答えた。王都へ来る前、初めて人へ剣を振った時の恐怖を、リシアへ打ち明けたという話を思い出す。
怖くても、立ち止まらない。恐怖を知らないのではなく、恐怖を抱えたまま前へ出る。
「でも、怖いからといって逃げたくはありません。勇者だからではなくて、私がそうしたいんです」
レオナルド辺境伯の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
「ならば、私から止める言葉はないよ」
「ありがとうございます、お父様」
国王陛下が、二人を見つめる。やがて、ヴィクトル団長へ視線を向けた。
「一刻で、できる限りの確認をせよ」
「陛下」
「一刻後、そなたが始められぬと判断した時は、延期する。王として、二人の決意だけへ危険を背負わせるつもりはない」
「承知いたしました」
「大神官長。予定されていた祭具、女神へささげる品、香、水、すべてを入れ替えよ。保管庫から出すところより、騎士と魔術師を立ち会わせるのだ」
「はっ」
「アルフォンス。王都の民へ、式の開始が遅れると伝えよ。理由は警備上の確認としておけ」
「承知いたしました」
命令が次々と下される。誰も責任を押しつけ合わない。何が起きたのかを嘆くより先に、今できることのために動いている。
この国は、まだ強い。少なくとも、今ここにいる者たちは、守るべきものを見失ってはいなかった。
「アレス殿」
ヴィクトル団長に呼ばれた。
「はい」
「そなたの目を借りたい。大神殿へ出入りする者を、もう一度見てほしい」
「承知しました」
俺も、騎士たちとともに動き出した。
◇
それからの一刻、大神殿は戦場のような慌ただしさとなった。
王国騎士団がすべての出入口を封鎖する。近衛騎士団は王族、セレス、リシアの周囲を守る。王宮魔術師と神官たちは、祭具と大聖堂の隅々へ探知魔法をかけた。
出席者も、使用人も、神官も、例外なく一人ずつ身元を確認される。俺はヴィクトル団長とともに、神官や運搬係を順に《鑑定眼》で見た。
剣術を持つ者。毒耐性を持つ者。闇属性へ適性を持つ者。それだけで疑うことはできない。剣を学ぶ神官も、薬草や毒物を扱う治癒師もいる。
重要なのは、持っている力と、名乗る立場、行動が一致しているか。同じように、名乗る立場と持つ力が一致しない者は見つからなかった。呪物も、最初の木箱以外からは出てこない。
それでも、確認を終える頃には、警備の配置はさらに変わっていた。祭壇の左右へ神聖魔法を使える神官。天井近くの回廊へ弓兵。王族の背後へ近衛騎士。
セレスとリシアから最も近い位置には、ヴィクトル団長が立つ。俺の席も、当初の貴族席から祭壇に近い右側へ移された。
「アレス」
父上が、俺の肩へ手を置く。
「何かあれば、私たちのことは気にするな」
「父上」
「お前が最初に守ろうとするべき方を守れ。私と母上には、ダリオがいる」
ダリオが、無言で頭を下げる。母上も、不安を隠すようにほほえんだ。
「私たちも、自分の身を守るくらいはできます。あなた一人ですべてを背負おうとしてはいけませんよ」
「……はい」
俺は一人ではない。この場には、ヴィクトル団長とレオナルド辺境伯がいる。国王陛下と王子たちの周囲には、近衛騎士がいる。リシアは自ら《結界》を張り、セレスは剣を取れる。
俺がすべてを守る必要はない。だが、俺にしか気づけないものがあるのなら、見逃すつもりもなかった。
大神殿の鐘が、もう一度鳴る。一刻遅れの《勇聖奉告式》が、始まった。




