第173話 祈りの列に潜む殺意
王宮から大神殿へ続く大通りは、見渡す限りの人で埋め尽くされていた。沿道には王家の紋章旗。その間へ、女神ルミエラを表す白銀の旗と、グランベル家の旗が掲げられている。建物の窓にも人々が立ち、屋根の上にまで姿が見えた。
先頭を進むのは、王国騎士団と近衛騎士団。その後ろへ国王陛下の馬車、第二王妃と王子たちの馬車が続く。
セレスとリシアは、屋根のない儀礼馬車へ並んで乗っていた。二人が王宮の門を出た瞬間、大通りを揺らすほどの歓声が上がる。
「勇者様!」
「聖女様!」
「セレスティア様!」
「リシア殿下!」
青空のような髪を持つ勇者と、月光のような白銀の髪を持つ聖女。一年余りの訓練を経て、美しさにも強さにも磨きがかかった二人が並ぶ姿へ、誰もが目を奪われていた。
子どもを肩車した父親が、馬車を指差す。年老いた女性が、涙を流しながら聖印を結ぶ。騎士を目指しているらしい少年たちは、腰に木剣を下げ、セレスへ懸命に手を振っていた。
リシアの治癒を受けた者もいるのだろう。杖をつく男が何度も頭を下げ、その隣では母親に抱かれた幼い少女が、白い花を掲げている。
期待。憧れ。感謝。数え切れない思いが、二人へ向けられていた。
重いだろう。十三歳の少女二人が背負うには、あまりにも大きな期待だ。それでも、セレスは笑顔で手を振り続けている。リシアも、一人一人の顔を見るように、ゆっくりと沿道へ視線を向けていた。
強くなった。昨日の模擬戦だけではない。多くの者の期待から逃げず、その前へ立つ心も。
俺は二人の馬車から少し離れ、父上と母上とともにアークハルト家の馬車へ乗っている。ダリオは馬に乗り、馬車の右側。ニーナは俺たちの後ろへ座っていた。
歓声へ応える必要はない。その代わり、沿道と建物の窓、路地へ続く道を順に見る。
王国騎士団の配置は、事前に受け取った配置図から変わっていた。一つの区画を一人の隊長へ任せるのではなく、隣の隊と互いの範囲を確認できるようになっている。
屋根の上にも弓兵。路地の奥には、騎士服ではない者たちの姿があった。冒険者か、王国騎士団の私服部隊だろう。
ヴィクトル団長は、俺との約束どおり警備を見直したらしい。
「何か見つかりましたか?」
母上が小声で尋ねた。
「いえ。今のところは」
「今のところ、ですか」
「警戒するのは、何かが起きてからでは遅いので」
「あなたらしいですね」
母上はそう言って、少しだけほほえんだ。
馬車は何事もなく、大通りを進んでいく。遠くに大神殿が見えた。
白い石の柱。朝日に輝く巨大な女神像。一年余り前、リシアが聖女に選ばれた場所。この王国で最も清らかだと信じられている場所へ、王都中の祈りが集まっていた。
◇
大神殿の正門前で馬車を降りる。ここから先へ入れるのは、王族と招待を受けた貴族、神官、各階層を代表して選ばれた民だけだ。広場へ入り切れなかった者たちのため、外にも式の言葉を届ける《拡声》の魔道具が置かれている。
国王陛下を先頭に、一行が大神殿へ入っていく。俺も父上たちとともに進もうとして、足を止めた。
大神殿の脇へ続く通路。祭具や、女神へささげる品を運び入れる者たちの列が、騎士の確認を受けている。その中に、一人だけ、周囲と歩調の違う男がいた。
白い祭服。年齢は三十歳前後。両手で、香を納めた木箱を抱えている。
見た目におかしなところはない。前に並ぶ神官と同じ服を着て、同じように頭を垂れている。だが、足の置き方が違った。
周囲の神官たちは、重い木箱を抱えているためわずかに上体が揺れている。男だけは、石床のどこへ足を置いても重心が崩れない。鍛えた者の歩き方だ。
それだけならば、護身術を学んだ神官という可能性もある。気になったのは、目だった。
セレスとリシアがすぐそばを通っても、二人の姿を一度も見なかった。勇者と聖女へ関心がないわけではない。見ないようにしている。
男の視線は伏せられたまま、大神殿の出入口、騎士の位置、セレスとリシアまでの距離を確かめていた。
「東部セレノ礼拝堂所属、神官ヨアヒム。書類に間違いなし」
確認を担当する騎士の声が聞こえた。男が小さく頭を下げ、先へ進もうとする。
俺は《鑑定眼》を開いた。右眼の奥が熱を持ち、男の周囲へ文字が浮かんだ。
【名前】
ザムド
【スキル】
短剣術
投擲術
偽装
【魔法】
闇属性
【耐性】
毒耐性
派遣名簿に記されていた神官の名とは違う。《短剣術》と、短剣を投げる《投擲術》。さらに、本来の素性を覆い隠す《偽装》。
闇属性や毒耐性だけで、悪人と決めつけることはできない。だが、偽名を使い、神官の姿で祭具を運び込み、勇者と聖女の位置をうかがっている。迷う必要はなかった。
「ヴィクトル団長」
声を上げる。少し前を歩いていたヴィクトル団長が、すぐに振り返った。
「どうした?」
「あの神官が持つ箱を、調べてください」
俺が指を向ける。男の目が、初めて上がった。
驚きは一瞬。次の瞬間には、木箱から右手を離している。袖の中で、何かが光った。
考えるより早く踏み込んだ。石床を蹴り、男が右手を振り上げるより先に懐へ入る。手首をつかむと、指の間に黒い針が三本挟まれていた。
その切っ先は、俺ではなくリシアへ向いている。
「離せ!」
男が左手を俺の顔へ伸ばす。木箱が落ちる。床へ触れる前に、ダリオが受け止めた。
俺は男の右腕をねじり上げ、背後へ回る。膝裏を蹴り、体勢が崩れたところで石床へ伏せさせた。
「ぐっ……!」
男のあごが動いた。奥歯をかもうとしている。
毒か。
あごの下へ指をかけ、口を閉じられないよう固定する。
「口の中を調べろ!」
駆けつけた近衛騎士が、男の身体を押さえつけた。別の騎士が布を巻いた指を口へ入れ、奥歯の裏から小さな黒い粒を取り出す。
「毒です!」
「飲ませるな。生かして捕らえよ!」
ヴィクトル団長の命令が飛ぶ。男の両腕には魔力を封じる手かせが付けられ、口にも猿ぐつわをかまされた。周囲の神官たちが、何が起きたのか分からないまま立ち尽くしている。
セレスは、すでに剣の柄へ手をかけていた。リシアの前には、淡い光を放つ《結界》が広がっている。二人とも反応が速い。
「アレス君!」
セレスが駆け寄ってくる。
「けがは?」
「ありません」
「針には触れていませんか?」
リシアも、すぐに俺の右手を確認する。
「大丈夫です。男の手首以外には触れておりません」
「本当に?」
「はい」
リシアはほっとした直後、ダリオの持つ木箱を見た。
「その箱は?」
「香が入っているようですが」
ダリオが答える。ヴィクトル団長が、近衛騎士へ視線を向けた。
「魔術師を呼べ。中身へ直接触れるな」
「はっ!」
騎士が走っていく。
神官姿の男は、三人の騎士に拘束されてもなお、こちらをにらんでいた。いや。見ているのは、俺ではない。セレスとリシアだ。
そこにあるのは、憎しみだった。勇者と聖女。女神ルミエラに選ばれた二人への、濁り切った殺意。
「連れていけ」
ヴィクトル団長の声が低くなる。
「大神殿の地下にある拘束室へ入れよ。王国騎士団と近衛騎士団から、私が名を挙げた者だけで見張れ。祭服をまとっているからといって、神殿の者へ引き渡すな」
「承知しました」
男が引き起こされる。連行される直前、猿ぐつわの奥で何かを叫ぼうとした。
言葉にはならない。それでも、その目だけで分かった。失敗を悔いている。捕らえられたことではない。二人へ届かなかったことを。
王宮魔術師が到着し、ダリオの手から木箱を受け取った。ふたが慎重に開かれると、清めの香に紛れて、よどんだ魔力がかすかに漏れ出す。
祈りをささげるはずの場所へ、何が運び込まれたのか。
その正体が暴かれるまで、《勇聖奉告式》の鐘が鳴ることはなかった。




