第171話 王国最強の騎士との約束
ヴィクトル団長の目が細くなる。
「王国の中心部には、多くの人と力が集まります。国王陛下、第二王妃陛下、三人の王子殿下、勇者、聖女、重臣。守るべき方々が一堂に集まれば、敵にとっても狙う価値が生まれる」
「《勇聖奉告式》を案じているのか?」
「何かが起きると知っているわけではありません」
それは本当だ。俺の知る歴史では、今回の《勇聖奉告式》で重大な事件は起きていない。
だが、歴史はすでに変わっている。地竜は本来とは違う時期に現れ、俺はAランク冒険者となった。セレスとリシアも、以前よりずっと早く成長している。
ならば、起きるはずのなかった何かが起きても不思議ではない。
「ただ、セレス様とリシア様が同じ場所へ立ち、王族の方々と王国の重臣がそろう。警戒しすぎて困ることはないかと」
「《勇聖奉告式》の警備は、王国騎士団と近衛騎士団が総力を挙げて行う」
「承知しております」
「大神殿の神官と、王宮魔術師団もいる」
「はい」
「それでも、足りぬと?」
「強い者が多いことと、守りに隙がないことは同じではありません」
ヴィクトル団長は、何も言わない。
「それぞれが、自分の担当する場所だけを見ていれば、その間に生まれた隙を見落とします。問題が起きた時、誰かが対処するだろうと考えれば、最初の一歩が遅れることもある」
「では、そなたならばどうする?」
「警備を担当する者たちへ、互いの配置と役割を確認させます。万が一、指揮官から命令を受けられなくなった時、誰が代わりに指示を出すのか。避難する道が一つ塞がれた時、次にどこを使うのか。式へ参加する者の確認だけでなく、衣装、料理、祭具を運び入れる者まで、もう一度調べます」
「随分と具体的だな」
「魔物を倒す時でも、逃げ道と次の手を用意します」
少し強引な説明だった。だが、ヴィクトル団長は追及しなかった。
「そなたの心配、軽んじずにおこう」
「よろしいのですか?」
「何も起きなければ、それでよい。見直した結果、騎士たちが一日余計に働くだけだ」
ヴィクトル団長が、内庭の出入口へ目を向ける。
「だが、何かが起きた時、見直さなかったことは取り返せぬ」
この人は信じられる。少なくとも、守るべき者の命より、自らの面子を優先する者ではない。
「感謝いたします」
「礼は、《勇聖奉告式》を無事に終えてからにせよ」
ヴィクトル団長が歩き出し、数歩進んだところで足を止めた。
「アレス殿」
「はい」
「もし、互いに全力で戦えば、どちらが勝つと思う?」
背を向けたままの問いだった。
「分かりません」
「先ほどは、そなたの方が早かった」
「団長は闘気を使っておられません。私も使っておりませんが、互いの全力が同じように高まるとは限りません」
「慎重だな」
「ですが」
ヴィクトル団長が、わずかに顔を向ける。
「負けるつもりはありません」
一瞬の沈黙。やがて、王国最強の騎士と呼ばれる男は愉快そうに笑った。
「次は、一合では終わらせぬ」
「はい」
「その時まで、私も王国最強の騎士の名を譲らぬよう鍛えておこう」
ヴィクトル団長が、内庭を後にする。見送った後、ダリオが大きく息を吐いた。
「肝が冷えました」
「ダリオが止めなかったから、受けたんだが」
「お止めしても、アレス様はお受けになったでしょう」
「それはそうだな」
「でしたら、止めるだけ無駄でございます」
ダリオが肩をすくめる。ニーナは、まだ俺の脇腹を見ていた。
「本当に、おけがはございませんか?」
「ない。ヴィクトル団長は、最初から止められる剣を放っていた」
「ですが、あと少しで触れていたように見えました」
「あと少しは、届いていないということだ」
「アレス様は、いつもそのようにおっしゃいます」
少し怒っているらしい。
「悪かった。次は、先にニーナへも説明する」
「次もなさるおつもりなのですね」
「約束してしまったからな」
ニーナが、諦めたように息を吐いた。その時、内庭の外から声が聞こえた。
「アレス君!」
振り向くと、セレスがこちらへ駆けてくる。その後ろから、リシアとミレイユが続いていた。
「セレス様。もう動いてもよろしいのですか?」
「リシアに治してもらったから大丈夫。それより、ヴィクトル団長と戦ったって本当?」
随分と耳が早い。
「一合だけです」
「ずるい!」
「ずるい、とは?」
「私も見たかった!」
「お休みになっていたのでは?」
「起きてたよ」
正確には、寝台へ倒れ込んでいたのだろう。少し遅れて到着したリシアが、俺の前で足を止める。
「アレス様、おけがはありませんか?」
「はい。ご心配には及びません」
「本当に?」
「本当です」
リシアの青紫の瞳が、俺の顔から胸、腕、脇腹へと動く。傷がないことを確かめると、ようやくほっとしたように息をついた。
「よかったです」
その頬が、また少し赤い。やはり、朝の疲れが残っているのではないだろうか。
「リシア様こそ、お疲れなのではありませんか?」
「わ、わたくしですか?」
「お顔が赤いようですが」
「これは、その……走ってきたからです」
「走っていたのは私だけだよ?」
「セレス」
リシアがセレスを見ると、セレスは楽しそうに笑っている。
「それで、どちらが勝ったの?」
セレスが尋ねる。
「勝敗を決めるためのものではありません」
「ヴィクトル団長は、何て?」
「ご自分の負けだと」
「やっぱり、アレス君が勝ったんだ!」
なぜか、セレスが自分のことのように喜んだ。
「ですが、実戦なら私も無傷では済まなかったと思います」
「それでもすごいよ。王国最強の騎士だよ?」
「団長は闘気を使っておられません」
「アレス君も使ってないんでしょ?」
「そうですが」
「だったら、同じだよ」
単純な話ではないのだが、セレスは満足そうにうなずいている。
「ねえ、アレス君」
「何でしょうか?」
「次は、私も見てるところでヴィクトル団長と戦ってね」
「私が決められることではありません」
「じゃあ、団長にお願いしておく」
「セレス。《勇聖奉告式》の後には、ご自分がお相手いただく約束があるでしょう?」
リシアが言う。
「そうだった」
セレスの青い瞳が、さらに輝く。
「アレス君。私とヴィクトル団長が戦う時も見ててね」
「もちろんです」
「絶対だよ?」
「はい」
セレスがうれしそうに笑い、その頬もまた赤くなった。二人とも、本当に大丈夫だろうか。
「よろしければ、リシア様にもう一度診ていただいた方が――」
「必要ありません!」
「大丈夫だよ!」
二人の声が、きれいに重なった。俺が驚いていると、後ろからニーナの小さな笑い声が聞こえる。振り返っても、ニーナは何事もなかったように頭を下げるだけだった。
◇
翌朝、八月二十日。
ヴィクトル団長は約束どおり、昨日から王国騎士団と近衛騎士団、大神殿の神官たちを交えて警備を見直していた。俺も知らされた範囲で配置と避難経路を確かめたが、大きな異変は見つからなかった。
まだ日の昇りきらない王都に、大神殿の鐘が鳴り響く。
昨年八月八日の《鑑定の儀》で、勇者と聖女が選ばれてから一年と十二日。二人の存在を王国の民へ広く示す《勇聖奉告式》の日だ。
王宮の正門前には、夜明け前から大勢の民が集まっている。勇者セレスティアを一目見ようとする者。聖女リシアへ祈りをささげる者。二人が王国へ希望をもたらすと信じ、その姿を待ち望む者たち。
俺は礼装へ袖を通し、窓の外へ目を向けた。
本来の歴史では、何も起きなかった日。だが、同じ一日になる保証など、どこにもない。
ヴィクトル団長は警備を見直してくれた。それでも、誰かに任せきるつもりはなかった。
セレスとリシアが、この国の希望として光の中へ立つのなら、俺はその光へ伸びるものを見逃さない。もう二度と、守るべき者へ手が届かなかったと後悔しないために。
王都の空へ、二度目の鐘が響く。祝福に満ちたその音の下で、《勇聖奉告式》が始まろうとしていた。




