第169話 王国最強からの誘い
セレスとの模擬戦を終え、王宮の客室へ戻った。ニーナが用意してくれた水を飲みながら、先ほどの戦いを思い返す。
強かった。今のセレスは、まだ十三歳だ。肉体も闘気も成長の途中で、剣の技術にも粗さが残っている。それでも、戦いが始まってから終わるまでのわずかな時間で、何度も俺の想定を越えてきた。
一度見た動きへ適応し、通じなかった剣を捨て、新たな一撃を生み出す。最後に俺の髪へ届いた斬撃など、模擬戦が始まる前のセレスには使えなかったものだ。
追い詰められるほど強くなる。これが、《勇者》。
滅びた未来でも、彼女は同じ力を持っていた。だが、今の成長は、俺が知る歴史よりも明らかに早い。
「順調だな」
思わず、声が漏れた。
勇者セレスティア。聖女リシア。二人とも無事に成長している。それどころか、俺の知る未来よりもずっと強くなっていた。
セレスの剣だけではない。模擬戦の前にリシアが張った《結界》も見事だった。広い中央訓練場を一瞬で包み、俺とセレスの闘気がぶつかっても、最後まで揺らぐことさえなかった。
模擬戦の後には、セレスの小さな傷と、両腕に残っていたしびれまであっという間に癒やしている。
あの二人なら、きっと。
「アレス様」
声をかけられ、顔を上げた。ニーナが、空になった杯へ新しい水を注いでいる。
「何だ?」
「先ほどから、随分とうれしそうでございます」
「そう見えるか?」
「はい」
ニーナが俺の顔を見て、くすりと笑う。
「セレスティア様との模擬戦が、それほど楽しかったのですか?」
「楽しかった、か」
その言葉を、胸の内で確かめる。確かに、楽しかった。これほど純粋に強くなりたいと願い、俺の動きへ食らいついてきた相手は久しぶりだ。最後の一撃には、驚かされた。
「ああ。楽しかった」
「やはり」
「だが、それだけではない。セレス様もリシア様も、想像していた以上に強くなっていた。それがうれしいんだ」
「お二人のことを、ずっと気にかけていらっしゃいましたものね」
「そうだったか?」
「鳳凰商会から報告が届くたび、最初に確認なさっていたではありませんか」
否定できない。セレスが初めて魔物と戦ったという報告。リシアが救護院で多くの者を救ったという噂。新しい情報が届くたび、何を置いても先に目を通していた。
それは、二人の成長が、この世界の命運を左右するからだ。そう説明しようとして、口を閉じた。今のニーナへ話せることではない。
「それにしても」
ニーナが、わずかに首をかしげる。
「アレス様は、本当にお気づきではないのですね」
「何のことだ?」
「いいえ。私の口から申し上げることではございません」
「気になる言い方をするな」
「いずれ、ご自分でお気づきになるかと」
何の話だ。セレスとリシアは、模擬戦の後、二人とも顔が赤かった。セレスは激しく動いたすぐ後だったため、身体に熱が残っていたのだろう。
リシアも、広い《結界》を維持し、治癒魔法まで使っている。二人とも疲れていたに違いない。そう言うと、ニーナはなぜか小さく息を吐いた。
「何だ?」
「何でもございません」
やはり、分からない。
◇
着替えを終えたところで、父上と母上が客室へ戻ってきた。
「見事だった、アレス」
父上は部屋へ入るなり、俺の肩をたたいた。
「ありがとうございます」
「セレスティア様も素晴らしかった。一年近く前、グランベル領で初めてお会いした時とは、まるで別人だ」
「はい。戦いの途中にも成長しておられました」
「勇者とは、あれほどのものなのだな」
父上の声には、素直な感嘆があった。母上もうなずいている。
「最後にセレスティア様が倒れた時は、息が止まりそうになりました。あなたが受け止めると分かっていても、心臓に悪いですね」
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません。二人ともけがをしなかったのですから」
母上はそう言うと、俺の顔をじっと見た。
「それにしても、二人とも本当におきれいになりましたね」
「そうですね」
セレスは、誰もが目を引かれるほど美しい少女へ成長していた。リシアも同じだ。王宮へ到着した時、大勢の人々が二人から目を離せなくなっていたことを思い出す。
「アレスは、どちらが好みなのですか?」
「はい?」
何の話だ。母上の問いの意味が分からず、父上を見る。父上は、突然、窓の外へ顔を向けた。
「父上?」
「私へ助けを求めるな」
「別に、助けを求めたわけではありません」
「エレナ。アレスを困らせるのは、そのくらいにしておきなさい」
「困らせてなどいません。母親として、少し気になっただけです」
母上が楽しそうに笑う。
「セレスティア様も、リシア様も、あなたとお話しする時だけ少し様子が違いましたから」
「初めて会った者同士です。緊張しておられたのでしょう」
「……そう思っているのですね」
母上とニーナが、なぜか同時に同じ顔をした。俺は何か、おかしなことを言っただろうか。
「それよりも、アレス」
父上が、話を変えるように声をかけてきた。
「この後の予定だが、王国騎士団長ヴィクトル殿がお前と話したいそうだ」
「ヴィクトル団長が?」
「先ほどの模擬戦について聞きたいらしい。私と母上は、これから《勇聖奉告式》の打ち合わせへ戻らねばならん。ダリオを残すので、彼にも同席してもらいなさい」
「承知しました」
「アレス」
父上の声が、わずかに低くなる。
「ヴィクトル殿は、国王陛下からの信頼も厚い。王国騎士団の頂点に立ち、長く王都を守ってきた方だ」
「はい」
「だからといって、すべてを話す必要はない。どこまで力を見せ、何を話すかは、お前自身で決めなさい」
俺の力は、アークハルト家だけの問題ではなくなっている。王国最年少のAランク冒険者。地竜を倒した武闘家。それだけでも、王都では十分に注目されていた。
今朝の模擬戦を見た者は、俺がさらに力を隠していると知った。父上は、そのことを案じているのだろう。
「お気遣い、ありがとうございます」
「隠すべきものは隠せ。だが、信じられる相手まで遠ざける必要はない」
父上が、もう一度だけ俺の肩へ手を置く。
「お前ならば、見誤らないと信じている」
「はい」
父上と母上が部屋を出ていく。その背中を見送りながら、今の言葉を胸の内で繰り返した。
信じられる相手。王国騎士団長ヴィクトル・クラウゼンが、そうなのか。俺は、まだ何も知らない。
◇
ヴィクトル団長が訪れたのは、それから間もなくのことだった。白銀の鎧ではなく、濃い紺色の騎士服を身につけている。
腰には剣があった。儀礼用ではない。長く使い込まれ、手入れを重ねてきた実戦の剣だ。
「休息中にすまぬな、アレス殿」
「いえ。お待ちしておりました」
俺の後ろには、ダリオとニーナが控えている。ヴィクトル団長は二人へ視線を向けた後、すぐに俺へ戻した。
「単刀直入に聞こう。先ほどの模擬戦、そなたはどの程度の力を使った?」
「答えるのが難しい問いです」
「なぜだ?」
「力、速さ、闘気、技術。そのどれを基準にするかで変わります。セレス様を傷つけぬことを最優先にしておりましたので、攻撃へ使った力はわずかです。ただし、最後の一撃へ対応した時には、技術まで手を抜いていたわけではありません」
「なるほど」
ヴィクトル団長が腕を組む。
「では、そなたがセレスティア様へ見せた構えは?」
「体術の基本となる構えの一つです」
「基本、か」
ヴィクトル団長の口元がわずかに動いた。笑ったようにも見えた。
「その基本とやらを、私にも見せてもらえぬか」
「模擬戦を、ということでしょうか?」
ヴィクトル団長の右手が、腰の剣の柄へ触れる。その目に、王国最強と呼ばれる剣士の鋭い光が宿った。
「いや。模擬戦ではない」
ヴィクトル団長は、そのまま首を横へ振る。
「《勇聖奉告式》を前に、王国騎士団長が客人へけがをさせるわけにはいかぬ。そなたの身体の使い方を、一合だけ確かめたい」
一合だけ。
それでも、相手は王国最強だ。
その剣が俺へ届くのか。それとも、俺の一撃が先に届くのか。
答えは、実際に向き合ってみなければ分からない。




