第17話 最弱の武王、鍛え直す8
「ニーナは《種火》を使えたな?」
「はい。ですが、火を灯そうと思えば使えるだけで、魔力そのものを感じたことはありません」
「技能が魔力の動きを助けているからだ。自分で流れを意識しなくとも、《種火》が必要な形へ導いてくれる」
「魔力は、誰にでもあるものではないのですか?」
「多かれ少なかれ、ほとんどの人間が持っている。だが、自分の魔力を感じ取れるか。身体の中で動かせるか。外へ出して形を保てるか。それぞれに向き不向きがある」
俺は手のひらの光を消した。
「火属性を持ち、《種火》を使えるお前なら、可能性は十分にある。魔力を意識して扱えるようになれば、火の大きさや熱も、今より細かく調整できるようになる」
「私にも、できるでしょうか?」
「試してみるか?」
「はい」
返事が早かった。
「籠はそのままでいい。両手を胸の前で重ねろ」
ニーナが言われたとおり、両手を重ねる。
「目を閉じて、ゆっくり呼吸をする。何かを無理に探そうとするな。まずは自分の鼓動を感じろ」
「鼓動、ですか?」
「ああ。魔力は目で探すものではない。身体の内側にある、普段とは違う感覚を拾う。温かさでも、冷たさでも、しびれでもいい」
ニーナは目を閉じ、静かに呼吸を始めた。十呼吸ほど待つ。
「何か感じるか?」
「手が少し温かいです」
「それは、両手を重ねているからだ」
「そうですよね……」
ニーナの肩が落ちる。
「最初から感じ取れる者の方が少ない。落ち込む必要はない」
「アレス様は、すぐにできたのですか?」
「俺は……」
六十年以上の経験がある、とは言えない。
「感覚だけはよかったらしい」
「やはり、アレス様はすごいのですね」
「今の俺は、十の光を五呼吸しか維持できない」
「私には、魔力らしいものを一つも見つけられませんでした」
「だから鍛える。できないことがあるなら、できるまで繰り返せばいい」
それはニーナへ向けた言葉であり、俺自身へ向けた言葉でもあった。
ニーナは重ねた両手を見つめている。先ほどまで落ち込んでいた瞳に、再び光が戻っていた。
「訓練の邪魔にならない時で構わないので、また見学させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ。興味があるなら、基礎くらいは教える」
「ありがとうございます」
ニーナが満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、俺は一瞬だけ言葉を失った。昨日まで俺を恐れていた少女が、自分から何かを教えてほしいと口にした。
今の俺にとっては、十の魔力を操れたことよりも、その変化の方が大きな進歩なのかもしれない。
それに、ニーナにはいずれ魔力操作を教えたいと思っていた。火加減を細かく操れるようになれば、《種火》だけに頼る今よりも、《料理》の技能を活かせるようになる。
本人が興味を持ったのなら、今が始めるにはちょうどいい機会だろう。
「あっ」
ニーナが突然、声を上げた。
「どうした?」
「夜食をお持ちしたのでした。温めた乳が冷めてしまいます」
「それは困るな」
籠の中には、温めた乳の入った小さなつぼと、くん製肉と卵を挟んだパン、りんごが入っていた。
俺がパンを手に取ると、ニーナは心配そうに俺の顔をのぞき込む。
「お身体は、大丈夫でしょうか?」
「問題ない。先ほどの訓練でも、魔力はそれほど使っていない」
「旦那様から、少しでもお疲れに見えたらお知らせするように言われています」
「俺は疲れて見えるか?」
ニーナが、俺の顔をじっと見つめる。
「少しだけ」
「なら、これを食べ終えたら、あと一度だけ試して戻る」
「本当に一度だけですか?」
「ああ。約束する」
「分かりました」
ニーナが納得したのを確認し、夜食を食べる。
量は夕食より少ないが、就寝前の補給としては十分だった。温かな乳を飲むと、身体の奥へ残っていた緊張がわずかに解けた。
食べ終えた後、俺はもう一度だけ両手を開いた。
左右の親指から順に、魔力を流していく。親指。人差し指。中指。薬指。小指。
十本の指先に、淡い光が灯る。
一呼吸。二呼吸。三呼吸。
向かいに座るニーナが、息を止めて見つめている。
四呼吸。五呼吸。
先ほど崩れたところを越えた。
六呼吸。七呼吸。
左の小指の光が揺らぎ、八呼吸目にすべての光が消えた。
「八呼吸……」
ニーナが小さくつぶやく。
「ああ。三呼吸伸びた」
「たった一度で、ですか?」
「先ほど崩れた理由が分かっているからな」
魔力の流れを、右と左で分けて考えすぎていた。両手を別々のものとして扱うのではなく、身体の中心から左右対称に流せばいい。
わずかな違いだが、そのわずかな違いを見つけ、積み重ねることが鍛錬だ。
「今日は、ここまでにする」
俺が立ち上がると、ニーナは安心したように籠を持ち上げた。
「扉を開けます」
「ああ」
ランタンの火を消し、二人で旧演武場を出る。
夜空には、無数の星が広がっていた。
屋敷へ戻る道を歩きながら、ニーナは何度も自分の手のひらを見ている。
「まだ魔力を探しているのか?」
「はい。先ほどより、少し温かいような気がします」
「ほう。もしかすると、筋がいいのかもしれないな」
「本当ですか?」
《種火》を使えるとはいえ、今のニーナは技能に任せて火を生み出しているだけだ。魔力そのものを感じ取る才能があるかどうかは、まだ分からない。
だが、わずかな変化を自分から探そうとする姿勢は悪くない。褒められることで意欲が増すなら、それも上達への助けになるだろう。
「ああ。少なくとも、最初の一度で感覚の変化に気づいたのは悪くない。だが、焦る必要はない。明日、もう少し分かりやすい感覚のつかみ方を教える」
「はい」
今度は、うれしそうな返事だった。
◇
部屋へ戻り、寝間着へ着替える。
身体を寝台へ横たえると、全身が深く沈み込むような感覚があった。
《再生》によって筋肉の損傷は修復した。だが、疲労まですべて消えたわけではない。魔力も、朝の状態からは大きく減っている。
今の状態で、さらに《再生》を使うべきではない。
食事と睡眠によって身体を休ませ、魔力を回復させる。それもまた、強くなるために必要な時間だ。
「おやすみなさいませ、アレス様」
寝具を整えたニーナが、扉の前で頭を下げた。
「ああ。おやすみ、ニーナ」
ニーナは一度廊下へ出た後、何かを思い出したように扉から顔をのぞかせた。
「アレス様」
「何だ?」
「魔力のことを教えてくださると言ったお約束、忘れないでくださいね」
「忘れない」
「はい。それでは、失礼いたします」
扉が静かに閉じる。
暗くなった部屋で、俺は天井を見上げた。
朝は、屋敷の周囲を五周するだけで倒れかけた。《身体強化》を使えば、右腕の血管が切れた。闘気は生み出すことすらできず、十の光を操れるのもわずか八呼吸。
武王と呼ばれた頃に比べれば、目を覆いたくなるほど弱い。
それでも、昨日までとは違う。今日、俺は鍛え始めた。
領地を知り、身体を鍛え、魔力を動かした。家族と食卓を囲み、ニーナとも言葉を交わした。
一日で取り戻せた力は、あまりにもわずかだ。だが、一日目を積み重ねなければ、二年後へは届かない。
明日も、今日と同じように鍛える。
今日より一歩だけ速く。今日より一度だけ多く。今日より一呼吸だけ長く。
それを繰り返せばいい。
遠くで、夜の鐘が鳴った。
かつての俺なら、わずかな物音にも警戒し、武器を握ったまま眠っていた。だが、今は違う。
屋敷の中には家族がいる。扉の向こうには、俺を気遣ってくれる者たちがいる。
この穏やかな夜を、今度こそ失わない。
そう心に刻み、俺は目を閉じた。
十二歳の身体は、決意をかみしめ続ける余裕も与えてくれず、俺はほどなく深い眠りへ落ちていった。




