↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第十二章 王都出会い編編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

166/174

第165話 三人で歩く最初の一歩

 少し驚いた。セレスも同じだったらしく、目を丸くしている。


「地竜との戦いを聞かれると思っていました」


「それは、先ほどセレス様が聞きたそうにしておられました」


「もちろん聞くよ」


「では、その後で私の話もします」


 アレス様が果実水の杯へ手を伸ばした。その動きを見ただけで、後ろに控えていたニーナさんが一歩進み、空になりかけた水差しを交換する。


「ありがとう、ニーナ。ちょうど腹が減っていた」


「はい。王都への移動でお疲れかと思い、焼き菓子も多めにご用意しております」


「助かる」


 アレス様は果実水を一口飲むと、迷わず焼き菓子を一つ取った。地竜を倒したAランク冒険者が、専属侍女の用意した菓子をうれしそうに味わっている。


 セレスが、興味深そうにニーナさんを見る。


「ニーナさん、だったよね」


「はい。ニーナ・ベルと申します」


「アレス君の手紙や報告で、何度かお名前を見たの。毎日の食事を作ってるんだよね?」


「屋敷では料理長や調理場の皆様と一緒に、旅の間は私が用意しております」


「アレス君って、どれくらい食べるの?」


「セレス」


 わたくしが止めようとしたが、ニーナさんは真剣な顔で考え始めた。


「訓練の量によって変わりますが、騎士の方の三人分ほどです。大きなけがをした後は、五人分ほど召し上がることもあります」


「五人分……」


 セレスがアレス様の身体を見る。


「どこに入るの?」


「私にも分かりません」


 ニーナさんが答えると、アレス様がわずかに眉を寄せた。


「二人で話を進めないでくれ」


「アレス様は、食べることもお好きですから。訓練の後は、いつもたくさん召し上がります」


「ニーナまで、私の食事量を詳しく話さなくてよい」


「申し訳ございません。ですが、たくさん召し上がってくださるとうれしいものですから」


 ニーナさんが小さく笑う。


「実際、美味いからな」


 アレス様もそう答え、もう一つ焼き菓子を手に取った。二人の間には、主従という言葉だけでは説明できない信頼がある。


「ニーナは、私がここまで強くなるために、誰よりも力を貸してくれた者です」


「アレス様?」


 突然そう言われ、ニーナさんのこはく色の瞳が大きく開いた。


「毎日の食事だけではありません。訓練の量も、休む時間も、私以上に把握しています。ニーナがいなければ、今の半分も鍛えられなかったでしょう」


「そのような……私は、自分の役目をしていただけです」


「その役目を、毎日欠かさず続けることが難しい」


 昨日、ヴィクトル団長がセレスへ。今日、母がアレス様へ。そして今、アレス様がニーナさんへ。同じ思いを伝えていた。


「素晴らしい方なのですね」


 わたくしが言うと、ニーナさんの頬が赤くなった。


「もったいないお言葉にございます」


「本当にそう思います。アレス様が、何より信頼していらっしゃることも分かりました」


「はい」


 答えたのは、ニーナさんではなくアレス様だった。迷いのない返事に、ニーナさんの顔がさらに赤くなる。


「ア、アレス様。お飲み物を、もう一度確認してまいります」


「水差しなら、今交換したばかりだが」


「確認してまいります」


 ニーナさんは空ではない水差しを持ち、早足であずまやを離れた。アレス様が不思議そうにその背中を見る。


「何か、問題があったのでしょうか」


「アレス君」


 セレスが真剣な顔で呼ぶ。


「何でしょうか?」


「戦い以外のことには、少し鈍いんだね」


「どういう意味ですか?」


「今は、分からなくてもよいと思います」


 わたくしが答えると、アレス様はさらに分からないという顔をした。思わずセレスと一緒に笑ってしまう。アレス様は、わたくしたちが笑う理由を尋ねないまま、焼き菓子を美味しそうに口へ運んだ。


 その姿は、報告書に記されていた王国最年少のAランク冒険者でも、地竜を拳で打ち砕いた武闘家でもない。信頼する侍女が用意した菓子を味わい、同じ年の少女二人に笑われる、十三歳の少年だった。


 それから、三人で多くのことを話した。セレスは、国境で帝国兵と戦ったことを話した。怖かったことも隠さなかった。アレス様は笑わず、ただ真剣に聞いていた。


「怖いと思えることは、大切です」


「大切なの?」


「恐れを知らなければ、自分だけでなく、後ろにいる者まで危険へ巻き込みます。怖くても動かなければならない時はある。ですが、怖くないふりをする必要はありません」


「勇者でも?」


「勇者だからこそ、です」


 セレスは少しだけ目を伏せた後、うれしそうにうなずいた。わたくしも、治せなかった患者のことを話した。アレス様は、治せなかったことより、その後に何をしたのかを尋ねた。


「残された指を動かすための治療を続けています。職人の方々にも相談し、道具の持ち手を変えていただきました」


「ならば、まだ途中なのですね」


「まだ途中なのですか?」


「その方を救えたかどうか、今決める必要はありません。もう一度仕事ができた時、初めて答えが出るのかもしれません」


 治せなかった日を、終わりだと思っていた。けれど、まだ途中。その言葉によって、胸の奥へ残っていた重さが、少しだけ軽くなった。


 アレス様も、ご自分の一年を話してくださった。冒険者登録の特別試験。初めて受けた護衛依頼。魔の森で出会った仲間たち。そして、地竜との戦い。


 セレスは何度も身を乗り出し、地竜の大きさや動き、最後の一撃について尋ねた。


「頭部のうろこを、拳で?」


「《破砕》を内部へ通しました」


「私の剣でも、斬れるかな?」


「闘気を刃先へ集中できれば、今のセレス様でも傷はつけられると思います」


「倒すことは?」


「お一人では難しいです」


「でも、アレス君は倒したんでしょ?」


「一人ではないと言ったはずです」


「じゃあ、明日勝ったら、次は私も地竜を倒す」


「順番がおかしくありませんか?」


「おかしくないよ」


 セレスは、もう明日の模擬戦に勝つつもりでいる。アレス様もそれ以上否定せず、わずかに笑った。


 陽が傾き、あずまやの中へ差し込む光が赤くなっていた。最初は遠慮がちだった言葉も、いつの間にか途切れなくなっている。


 まだ聞きたいことは、いくらでもあった。アレス様の右眼に時折宿る不思議な光のこと。十三歳とは思えない考え方を、どこで身につけたのか。何を急ぎ、何へ備えているのか。そして、初めてわたくしとセレスを見た時、なぜあれほどほっとした顔を見せたのか。


 けれど、今すべてを尋ねる必要はない。今日、ようやく会えたのだから。これから、何度でも話すことができる。


「そろそろ、ガレス様たちの打ち合わせも終わる頃です」


 戻ってきていたニーナさんが告げた。


「そうですか」


 アレス様が立ち上がる。


「今日は、ありがとうございました」


「こちらこそ」


「明日の朝、中央訓練場で待ってるね」


 セレスも立ち上がった。


「分かりました」


「武器は、本当に何も使わないんだよね?」


「使いません」


「魔法は?」


「明日は体術と闘気だけにします」


「私も、剣術と闘気だけにする」


「セレス、光魔法や雷魔法を使わなくてよいのですか?」


「最初は、同じ条件で戦いたいの」


「私は剣を持っておりませんが」


「アレス君の拳は、地竜のうろこを壊すんだよ。私の剣より危険でしょ?」


「それは否定できませんね」


 二人の間に、すでに明日の戦いへ向けた空気が生まれている。けれど、不思議と怖くはなかった。どちらも、相手を傷つけたいのではない。自分の力がどこまで届くのか。相手がどのような道を歩いてきたのか。言葉とは違う方法で、確かめようとしているだけだ。


「わたくしも見届けます」


「もちろんだよ」


 セレスが答える。


「リシアには、一番近くで見ていてもらうからね」


「結界を張る役目ではありませんよね?」


「……念のためだよ」


「やはり、訓練場を壊すつもりではありませんか」


「壊さないよ」


「できれば、壊さないでください」


 アレス様の言葉に、三人で笑った。あずまやを出る直前、アレス様が足を止める。


「セレス様。リシア様」


 振り返る。名前には敬称が添えられている。それでも初めて会ったばかりとは思えないほど、その呼び方が自然に感じられた。


「お二人が、無事に今日まで歩いてこられたことを、うれしく思います」


 まただ。初対面の相手へ向けるものとは思えない、深い安心。セレスも、不思議そうにアレス様を見ている。


「私たち、今日初めて会ったんだよ?」


「分かっています」


「じゃあ、どうして?」


 アレス様は、ほんのわずかに目を伏せた。


「勇者と聖女が同じ時代に現れたと知ってから、ずっと、お二人が無事に成長されることを願っていました」


 うそではない。けれど、それだけではないような気がした。


「これからは、離れた場所から願う必要はありません」


 わたくしは言った。


「何か心配なことがあるのなら、わたくしたちへ直接お話しください」


「一人で考えるより、三人で考えた方が、きっといい答えが出るよ」


 セレスも続ける。


 アレス様は、少し驚いたようにわたくしたちを見た。やがて、その表情へ穏やかな笑みが浮かぶ。


「そうですね」


 その声は先ほどまでよりも柔らかく、王女と勇者ではなく、同じ年のわたくしたちへ向けられたものに思えた。


「その時は、お二人の力を貸してください」


「はい」


「任せて」


 その日、勇者と聖女と、一人の武闘家が、初めて同じ場所へ立った。


 剣を交えたわけではない。大きな敵と戦ったわけでもない。ただ互いを呼ぶ言葉を交わし、これまで歩いてきた道を話し、これからは力を借りると約束した。それが、三人で歩く最初の一歩になった。


 そして翌朝――その一歩の先で、勇者の剣と武闘家の拳が、初めて互いの歩いてきた道を語り合う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。