第162話 武器を持たないAランク冒険者
黒を基調とした礼装は、派手ではない。上着の縁と胸元へ、アークハルト家を示す銀糸の刺繍が施されているだけだった。礼装の腰にあるのは、小さなマジックバッグだけ。剣も、短剣も、杖も持っていない。武器らしいものを何一つ身につけず、アレス様は馬車から降り立った。
「本当に、武器は何も持ってないね」
セレスも同じところを見ていた。
「武闘家ですから」
「分かってる。でも、地竜を倒した人だよ? もっとこう……」
「もっと?」
「見るだけで、すごい人だと分かると思ってた」
言いたいことは分かる。アレス様は、十三歳になったばかりの少年にしか見えなかった。
ダリオ殿のような大きな身体でもなければ、ヴィクトル王国騎士団長のように、立っているだけで周囲の空気を張り詰めさせることもない。集まった民へ穏やかに頭を下げる姿からは、荒々しい武人という印象も受けなかった。
けれど、隙があるのかと尋ねられれば、分からない。歩き方は静かで、身体の軸が少しも揺れていない。段差を下りても、石畳を進んでも、頭の高さがほとんど変わらなかった。自分の身体を、指先まで完全に理解している。そのように見えた。
アレス様が先に降りたご両親のそばへ進むと、扉の奥に、くり色の髪を青いリボンで結んだ少女の姿が見えた。少女は座席へ目を配って忘れ物がないか確かめ、小さな手提げを持って最後に降りてきた。
王宮の荷運び係が馬車へ近づく。少女は一人へ声をかけ、車内に残った衣装箱を示した。置き場所を確かめるように言葉を交わしてから、自分も箱へ手を伸ばす。
「ニーナ。その箱は荷運びの方へ任せればよい。長旅だったのだから、今のうちに水分を取っておけ」
アレス様が声をかけると、少女は少し困ったようにほほえんだ。
「ですが、奥様からお預かりしたお衣装です」
「届け先を伝えて、着いてから中を確かめればよい。疲れたまま運ぶ方が心配だ」
「……承知いたしました」
少女が手を引くと、荷運び係が二人で箱を運び出した。ダリオ殿と護衛の騎士たちは、その間も一行の周囲へ目を配っている。
アレス様は少女へ過度に手を貸すわけではない。ただ、主へ仕える侍女の疲れまで、当たり前のように気にかけていた。
「あの方は?」
「ニーナ・ベルさんだよ。アレス君の専属侍女だと聞いてる」
「セレスは、ご存じだったのですか?」
「手紙に何度かお名前があったの。アレス君の食事と体調を管理してるんだって」
ダリオ殿も護衛の騎士たちも、それを特別なこととは感じていないようだった。
「報告書だけでは、分からないことがありますね」
「うん」
昨日、セレスを迎えた時にも同じことを思った。手紙や報告書には、成し遂げたことは記される。けれど、どのように笑い、そばにいる者へどのような言葉をかけるのかまでは分からない。
アレス様が顔を上げた。かなり離れているはずなのに、迷うことなく、わたくしたちが立つ窓へ視線を向ける。
目が合った。ほんの一瞬、アレス様の表情が止まった。驚いたようにも見えた。けれど、それだけではない。長い間、安否の分からなかった相手をようやく見つけた時のような、深い安心が、その瞳へ浮かんだ気がした。
初めて会うはずなのに。次の瞬間には、何事もなかったように頭を下げていた。
「今、こちらを見ましたよね?」
「はい」
「私たちだって分かったのかな?」
「窓から二人で見ているのは、わたくしたちだけですから」
そう答えながらも、先ほどの表情が胸に残った。アレス様は、なぜあのような目をしたのだろう。
「謁見の大広間へ参りましょう」
「うん。今度こそ、会えるね」
セレスが窓から離れる。わたくしも、その後を追った。昨日とは違い、足が自然と速くなった。胸の高鳴りは、まだ収まっていなかった。
◇
謁見の大広間には、今日も王国の中心部を担う者たちがそろっていた。
玉座には父が座り、その傍らには母がいる。クラウディウス第一王子、ユリウスお兄様、フィリップ第三王子も、それぞれ定められた場所へ立っていた。
父のそばには宰相アルフォンス・ベルクハルト公爵。反対側には王国騎士団長ヴィクトル・クラウゼン。貴族を代表し、テオドール・ヴァレンティス侯爵も列席している。
わたくしとセレスは、昨日と同じ場所へ並んだ。
「レオナルド・グランベル辺境伯、ローズ夫人もお越しになるそうです」
小声で告げると、セレスがうなずいた。
「お父様は、ガレス様に会えるのを楽しみにしてたよ」
ほどなく、レオナルド伯父様とローズ伯母様も謁見の大広間へ入った。二人は父と母へ正式な礼を取り、アークハルト家を迎える側の列へ並ぶ。
セレスは公務の場にふさわしいほほえみを保ったまま、父と母の姿を見てうれしそうに目を細めた。
やがて、謁見の大広間の扉が開く。
「ガレス・アークハルト男爵、エレナ夫人、跡継ぎアレス・アークハルト様、ご入場」
三人が赤いじゅうたんの上を進んでくる。
ガレス男爵の隣にはエレナ夫人、その後ろにはダリオ殿が続いた。ニーナさんとほかの護衛たちは、謁見の大広間の外で待っているらしい。
先ほど窓から見た時より、アレス様が近い。さらりと揺れる黒髪も、整った顔立ちも、窓越しに見ていた時よりはっきりと分かる。胸が、また大きく鳴った。
謁見の大広間は静まり返っている。この音が隣にいるセレスにまで聞こえてしまうのではないかと、不安になるほどだった。
落ち着いてください。これから謁見が始まるのです。
わたくしは聖女である前に、この国の第一王女。たとえどれほど胸が騒いでも、表へ出すわけにはいかない。そう言い聞かせ、公の場にふさわしいほほえみを保った。
まだ少年の身体だ。それでも、王国の重臣たちから視線を向けられても、歩調は少しも乱れない。周囲を恐れている様子もなければ、自分の力を誇る様子もなかった。
玉座の前まで進むと、ガレス男爵とエレナ夫人が膝をつく。
アレス様も、ガレス男爵と寸分違わぬ動きで膝をついた。
「面を上げよ」
父の声が響く。
「長い旅、ご苦労であった。ガレス、久しぶりだな」
「お久しぶりでございます、陛下」
「魔の森から王国を守る働き、常に頼もしく思っている。この一年は街道や村々の守りも、大きく改めたそうだな」
「私一人の功ではございません。領民、騎士、家臣たちが力を尽くしてくれた結果にございます」
「相変わらずだな」
父が小さく笑った。
「エレナ夫人も、遠いところをよく来てくれた。魔の森に面する領地を内側から支え、ガレスと共に子らを育ててきた働きは聞いている」
「もったいなきお言葉にございます、陛下」
エレナ夫人は深く頭を下げた。その隣で、アレス様がほんのわずかに目元を和らげる。
「そして、アレス・アークハルト」
「はい」
呼ばれたアレス様が、真っ直ぐに父を見る。
「そなたの働きは、王都まで届いている。十二歳でCランク冒険者となり、商隊を救い、魔の森深部から生還し、ついにはSランク下位指定魔物《地竜》を倒した。王国史上最年少でAランクへ昇格したことも含め、見事である」
「身に余るお言葉でございます」
「地竜へ最後の一撃を与えたのは、そなただと聞いている」
「はい。ただし、私一人で倒したわけではございません」
アレス様は、迷うことなく答えた。
「共に戦った仲間が地竜の動きを止め、攻撃を防ぎ、道を開いてくれました。私が最後まで拳を届かせることができたのは、仲間たちのおかげです」
地竜を倒した拳の強さではなく、その拳を届かせてくれた仲間を語る。その答えを聞いた父は、アレス様という少年をさらに深く知ろうとするように、静かに目を細めた。




