第159話 二人だけの夜
謁見の後も、すぐに二人きりになることはできなかった。伯父様と伯母様は、宰相や父とともに《勇聖奉告式》の打ち合わせへ向かった。わたくしとセレスには、世話役から王宮滞在中の予定が説明された。
大神殿へ向かう時刻。儀礼衣装を合わせる日。《勇聖奉告式》当日の立ち位置。王都の民へ姿を見せる場所。
セレスは真剣な顔で聞いていた。けれど、机の下では右足のつま先が何度も動いている。早く終わってほしい時の癖だ。一年経っても、そこは変わっていなかった。
夕刻からは、歓迎の夕食が開かれた。出席したのは、父と母、三人の王子、グランベル辺境伯夫妻。ほかにも、宰相、王国騎士団長、ヴァレンティス侯爵をはじめとする重臣たちがそろっている。
長い食卓には王国各地の料理が並び、楽師たちが静かな曲を奏でている。セレスとわたくしの席は、隣ではなかった。
何度か目が合った。
そのたび、二人とも同じように小さく息を吐く。ようやく食事が終わり、父が今夜の歓迎を締めくくった時には、外はすっかり暗くなっていた。退出する前、世話役長が一枚の手紙を父へ渡した。
「アークハルト男爵一行は、本日夕刻、王都から一日ほどの宿場へ到着したとのことでございます。道中に問題はなく、明日の午後には王都へ入る予定です」
セレスと、同時に顔を上げた。
明日の午後。
アレス様が王都へ来る。
「二人とも、今夜はきちんと休むように」
父が笑いを含んだ声で言った。
「明日は、さらに話したい相手が増えるのだろう?」
「はい」
わたくしは素直に答えた。セレスも大きくうなずいている。
けれど今夜は、まず。
一年待っていた、親友との時間だった。
◇
自室の扉が閉まった。
廊下へ続く扉。
侍女たちが控える隣室の扉。その両方が閉じたことを確認する。セレスと見つめ合った。
「リシア!」
「セレス!」
どちらからともなく駆け寄った。セレスの腕が、わたくしの背中へ回る。わたくしも、青い髪へ顔を埋めるように抱きしめた。昼間の礼装から、二人とも寝間着へ着替えている。勇者の剣も、聖女の杖もない。勇者セレスティアでも、聖女リシアでもない。
幼い頃から一緒に育った、セレスとリシアだった。
「やっと話せる!」
「本当に長かったです」
「王宮へ着いたら、すぐに会えると思ってたのに!」
「わたくしもですよ。でも、正門で抱きつくわけにはいかないでしょう?」
「少しくらいなら、よかったんじゃない?」
「よくありません」
「じゃあ、我慢した分も!」
セレスの腕に力が入った。
「セレス、苦しいです」
「リシアが細いからだよ」
「セレスの力が強すぎるのです」
そう言いながらも、離れたくはなかった。手紙だけでは確かめられなかった温かさが、すぐそばにある。
本当に、無事だった。
本当に、また会えた。
「背が伸びましたね」
腕を解き、セレスの頭へ手を伸ばす。
「リシアもね。でも、私の方が少し高いよ」
「髪飾りの分です」
「今はつけてないでしょ」
「……では、ほんの少しだけセレスの方が高いです」
「少しじゃないよ。指二本分はあるって」
「一本半です」
「じゃあ、測ろう!」
寝室の壁へ二人で背をつける。子どもの頃にも、何度も同じことをした。互いの頭へ手を乗せ、壁へ印をつける真似をして、少しでも背を高く見せようとつま先立ちをした。今はつま先を上げていない。それでも、顔を見合わせた途端、どちらからともなく笑い出した。
「ほら、やっぱり指二本分!」
「一本半です」
「リシアって、本当に負けず嫌いだよね」
「セレスにだけは言われたくありません」
寝台の前に置かれた長椅子へ並んで座る。侍女たちが、果実水と小さな焼き菓子を用意してくれていた。けれど、どちらも手を伸ばさない。話したいことが多すぎて、何から話せばよいのか分からなかった。
「そうです。先ほどの謁見で――」
「ヴィクトル団長のことですか?」
先に言うと、セレスが目を丸くした。
「どうして分かったの?」
「ずっと見ていましたから」
「本当に隙がなかった」
セレスが身を乗り出す。
「立っているだけなのに、どこから斬り込んでも先に剣を置かれる気がしたの。ローガンとも、お父様とも違う。王国最強って呼ばれるのも納得だよ」
「だからといって、謁見の場で模擬戦を申し込むとは思いませんでした」
「だって、次にいつ会えるか分からないでしょ? 聞ける時に聞いておかないと」
「伯母様が困っていました」
「お父様は笑ってたよ」
「レオナルド伯父様を基準にしてはいけませんよ」
セレスが、少しだけ考えた。
「それも、そうかも」
素直に認めたことがおかしくて、また笑ってしまう。
「リシアこそ、本当にユリウス殿下から一本取ったの?」
「はい。杖をわざと弾かせ、短剣へ持ち替えました」
「ずるい!」
「なぜですか」
「私も見たかった!」
「次は、セレスがいる時に取ります」
「じゃあ、私もユリウス殿下と戦う」
「お兄様は、セレスとわたくしの相手を続けてすることになりますね」
「王子なんだから、それくらい頑張ってもらおうよ」
「その理屈は、少しおかしいと思います」
「でも、リシアも止めないでしょ?」
「……はい」
二人で顔を見合わせる。手紙で何度話しても、こうして言葉を重ねる方がずっと楽しかった。セレスがローガン殿から初めて一本を取った時のこと。二十人の騎士を同時に相手にした時、一人目を倒す前に三人から囲まれたこと。
レオナルド伯父様との魔法戦で空まで追いかけ、魔法の壁へひびを入れたこと。伯父様の袖を焦がし、最後には二人そろって伯母様から叱られたこと。セレスは身振りを交え、次から次へ話してくれた。
わたくしも話した。
初めて一人分より広い結界を作れた日のこと。六人の聖騎士へ同時に加護を与えたこと。《範囲治癒》を成功させ、六人の傷を一度に治したこと。救護院の仕組みを変え、治療を必要とする者の順番を決めるようにしたこと。
気づけば、用意された果実水は半分ほどに減り、焼き菓子の皿も空になっていた。どちらが食べたのか、よく覚えていない。
「リシアは、すごいね」
セレスが、ふいに言った。
「何のことですか?」
「私は、目の前に敵がいれば斬れる。魔物が来れば倒せる。でも、けがをした人をどういう順番で治すのか、治らなかった人がその後どうやって暮らすのかなんて、考えたこともなかった」
「わたくし一人で考えたのではありませんよ。治癒師や神官、薬師の方々と話し合ったのです」
「それでも、皆の話を聞いて形にしたのはリシアだよ」
先日、老神官から言われた言葉を思い出した。
皆の知識と力をつないだのは、リシア殿下です。
同じことを、セレスも言ってくれた。
「ありがとうございます」
そう答えながら、胸の奥には、まだセレスへ話していないことが残っていた。
治せなかった傷。期待に応えられなかった時の、消えない悔しさ。
勇者でも聖女でもなくてよい今なら、きっと言葉にできる。




