第156話 背中を任せられる四人
四人の顔を、一人ずつ見る。ルナ。クロウ。アイゼン。ガルム。
滅びた世界で、何度も背中を預けた者たち。今度は、失いたくない者たち。
「カイルとリリアを守ってほしい。領地の者たちもだ。グランベルで何かあれば、すぐに力を貸してやってくれ」
「それは、騎士団や兵士の役目であろう」
「もちろん、皆を信じている」
俺はうなずいた。
「だが、俺が王都へ行った後、こちらで何が起きても任せられる者となれば、話は別だ」
ルナの赤い瞳を正面から見る。
「俺の背中を任せられるのは、お前たち四人しかいない」
ルナが目を見開いた。
クロウはわずかに目を伏せ、アイゼンの口元がほんの少し緩む。ガルムは大盾の縁へ置いていた手に力を込めた。
「お前たちが残ってくれるなら、俺は後ろを気にせず王都で動ける」
しばらく、ルナは何も言わなかった。やがて、大きく息を吐く。
「……ずるいのう、そなたは」
「何がだ?」
「そのようなことを言われて、わらわが断れるはずがなかろう」
ルナは肩へ掛けていたマジックバッグを外し、隣のクロウへ預けた。
「よかろう。そなたが戻るまで、この地にはわらわたちの許しなく、魔物一匹通さぬ」
「魔の森の魔物を、すべて止めるのは無理だ」
「今は格好よく決めさせよ!」
「すまん」
勢いで謝ると、周囲から小さな笑いが起きた。ルナは頬を膨らませたが、すぐに真剣な顔へ戻る。
「安心して行ってこい。アレス」
「ああ。頼んだ」
クロウが胸へ手を当て、一礼する。
「この命に代えましても――」
「命には代えるな」
反射的に言葉を遮った。クロウが一瞬、目を丸くする。
「守り切れないことがあれば、すぐに知らせろ。何があっても戻る手立てを探す。領地も大切だが、お前たちまで失うつもりはない」
「……承知いたしました」
クロウが、今度は穏やかに笑う。
「必ず、皆様をお守りいたします」
「俺に王都の礼儀は合わない」
アイゼンが腕を組んだ。
「残る方が、まだましだ」
「最初から、そう言えばよかっただろう」
「お前が俺を頼る言葉を、先に聞きたかった」
「面倒な奴だな」
「お互い様だ」
ガルムは大盾を背中から下ろし、地面へ立てた。
「帰る場所は、守る」
短い言葉だった。だが、それだけで十分だった。
「頼んだ」
俺はもう一度、四人へ頭を下げた。
◇
「アレス」
母上に呼ばれ、振り返る。旅の服に身を包んだ母上の前には、カイルとリリアが立っていた。カイルは背筋を伸ばし、いつもと変わらない顔をしようとしている。だが、固く結ばれた口元を見れば、無理をしていることはすぐに分かった。リリアは、母上のマントの裾を小さな手で握っている。
父上と母上、そして俺まで同時に屋敷を空けるのだ。寂しくないはずがない。
「母上も、本当に行ってしまわれるのですか?」
リリアが、母上を見上げた。
「ええ。ですが、ずっとではありませんよ」
母上はリリアの前へ膝をつき、その小さな身体を優しく抱き締めた。
「勇者様と聖女様をお祝いする、とても大切な式なのです。お父様とお母様、アレスが、アークハルト家を代表して出席してまいります」
「何日で帰ってきますか?」
「行き帰りにも日数がかかりますから、少し長くなります。でも、必ず帰ってきます」
「……約束です」
「ええ。約束します」
母上が差し出した小指へ、リリアが自分の小指を絡める。それを見つめていたカイルが、一歩前へ出た。
「父上たちが留守の間は、僕がリリアを守ります」
声はしっかりしていた。だが、その両手は強く握り締められている。
「カイル」
「寂しくはありません。僕は、アークハルト家の次男ですから」
すぐに分かるうそだった。俺はカイルの前へ立ち、その肩へ手を置いた。
「無理に強がる必要はない」
「ですが……」
「寂しい時に寂しいと言えない者が、誰かの寂しさに気づけるとは限らない」
かつての俺は、自分のことしか見ていなかった。家族がどのような顔で俺を見ていたのか。ニーナがどのような思いでそばにいてくれたのか。失ってから、ようやく気づいた。
「リリアを頼む。だが、お前も一人で抱え込むな」
「……はい、兄上」
カイルがうつむく。短い返事は、わずかに震えていた。
「若様、リリア様」
オルドが二人の前へ進み出た。
「ご当主様方がお戻りになるまで、屋敷のことは私どもにお任せください。お二人が不安を感じる暇もないほど、いつも通りの日々を整えてみせます」
「勉学の時間まで、いつも通りにするのですか?」
カイルが恐る恐る尋ねる。
「もちろんでございます」
オルドが穏やかにほほえむ。
「父上たちがいない間くらい、少し減らしても……」
「トーマにも、予定通り進めるよう申しつけております」
「そうですか……」
カイルの肩がわずかに落ちた。だが、先ほどまで強張っていた表情は、ほんの少しだけ和らいでいた。
「リリア様のお世話は、私とソフィにお任せください」
エマが胸へ手を当て、その隣でソフィが大きくうなずく。
「毎晩、眠るまでおそばにいます。お手紙も一緒に書きましょう。王都へ届く前に、何通もたまってしまうかもしれませんけれど」
「本当?」
「はい。それに、ハンナさんが、寂しい時にはお菓子を焼いてくださるそうです」
リリアの目が、わずかに明るくなった。
「それだけではないぞ」
ルナが腰へ両手を当て、二人の前に立つ。
「わらわたち四人も残るのじゃ。この地で、そなたらに指一本触れさせぬ」
「ルナ様も、ずっと屋敷にいてくださいますか?」
「もちろんじゃ。夜が寂しければ、いつでもわらわの部屋へ来るがよい」
ルナは自信満々に胸を張った。
「千年生きたわらわが、面白い話をいくらでも聞かせてやろう」
「姫様。九十二歳でございます」
「アイゼン。今は話を合わせよ!」
「申し訳ございません、姫様」
アイゼンが素直に頭を下げる。リリアが小さく笑った。カイルも、とうとうこらえきれずに口元を緩める。
オルド、エマ、ソフィ。ルナ、クロウ、アイゼン、ガルム。ほかにも、留守を預かるルークや騎士たち、使用人たちがいる。二人は、決して置き去りにされるわけではない。
父上と母上が安心して王都へ向かえるように。俺が、後ろを振り返らずに進めるように。ここにいる皆が、カイルとリリアを支えてくれる。
「ニーナ。アレス兄上をよろしくお願いします」
カイルが、改めてニーナへ頭を下げた。
「はい。お任せください」
ニーナが胸の前で両手を重ねた。昨日の夜、一人で祈っていた相手から、実に頼もしい返事が返ってくる。危うく、また両手を合わせそうになった。
「アレス様?」
「何でもない」
いかん。
気を抜けば、女神ニーナ様への信仰が表へ出てしまう。俺はごまかすようにリリアへ向き直った。
「帰ったら、約束していた本を読む」
「絶対ですよ」
「ああ」
「お土産もお願いします」
「本が約束ではなかったのか?」
「本は前からのお約束です。お土産は、今お願いしました」
「随分と賢くなったな」
「アレス兄上の妹ですから」
胸を張るリリアの頭をなでる。一年前なら、俺が手を伸ばしただけで、この子はおびえて目を閉じていただろう。今は、自分から頭を寄せてくる。
それだけで、王都から必ず帰る理由になる。
「そろそろ出るぞ」
父上の声がした。
旅の服に身を包んだ父上が馬車の前へ立ち、母上もカイルとリリアをもう一度抱き締めてから、父上に手を取られて馬車へ乗り込んだ。ダリオと護衛の騎士たちは、すでに馬へ乗っている。
父上が母上に続き、ニーナも最後に荷物を確かめて馬車へ乗り込んだ。俺もその後へ続く。
座席へ着き、窓から外を見る。カイルとリリア。ルナ、クロウ、アイゼン、ガルム。オルドとトーマ。騎士や使用人たち。この一年で、俺が守りたいと思うようになった者たちが、そこにいる。
滅びた世界では、十三歳になる前の俺が王都へ向かうことなどなかった。勇者セレスティアとも、聖女リシアとも、一度も会うことはなかった。
この先に待つものを、俺は知らない。以前の記憶にない出会い。以前の歴史にない出来事。想定外の危険も、きっと起こる。それでも、恐れてはいない。
今の俺は、一人ではない。
「出発!」
ダリオの号令が響いた。馬車が、ゆっくりと動き出し、見送る者たちの姿が少しずつ遠ざかっていく。
俺は前を向いた。背後には、背中を任せられる仲間たちがいる。だからもう、振り返る必要はない。
馬車の車輪が街道を進み、真新しい轍を刻んでいく。その先に待つのは、王都。そして、まだ一度も言葉を交わしたことのない勇者と聖女。
滅びた世界では交わらなかった三人の道が、今、同じ場所へ向かって動き始めた。




