第150話 戦う聖女
聖女リシア・フォン・アルトリア視点
同じころ、王都の王宮では――。
「参ります」
両手で握った杖を、正面へ構える。
向かい側に立つ兄は、片手で木剣を下げたまま、おだやかに笑っていた。
「いつでもおいで、リシア」
ユリウス・フォン・アルトリア第二王子。わたくしの実兄であり、第一王子クラウディウスと並ぶ次代の国王候補の一人だ。王太子は、まだ定められていない。
そして今では、王宮でただ一人、わたくしと本気の訓練試合をしてくれる相手でもあった。
鑑定の儀式から、間もなく一年になる。《聖女》に選ばれた直後も、短剣術と杖術の訓練を続けることは許された。けれど、実際に相手をしてくれる者は、ほとんどいなかった。
第二王妃直属の女性騎士は、今も毎日欠かさず型や足運びを教えてくれる。王国近衛の騎士たちも、求めれば攻撃を受けてはくれた。しかし、訓練試合となると話は別だった。誰もが、わたくしへ武器を振るうことを恐れた。
「聖女様へ刃を向けるなどできません。万が一、お怪我をさせてしまえば……」
そう言って頭を下げ、最後には必ず手加減される。
それでは、本当に危険な時に役立つ力は身につかない。神聖魔法も治癒魔法も使えない状況で、敵が目の前まで迫ることだってあるかもしれない。結界が破られ、護衛と引き離されることもある。
その時、聖女だから攻撃しないでくださいと頼んでも、魔物や敵兵が聞いてくれるはずはない。わたくしが何度そう訴えても、騎士たちの剣から迷いが消えることはなかった。
唯一、最初から迷わなかったのがユリウスお兄様だった。
「考え事をしている余裕があるのかな?」
兄の姿が一瞬で近づき、右上から振り下ろされる木剣を、杖の中央で受ける。乾いた音が訓練場へ響いた。
重い。
両腕へ衝撃が走る。けれど、一年前のように杖ごと押し込まれることはなかった。
身体をわずかに横へずらし、力を受け流す。木剣が杖の表面を滑った瞬間、そのまま兄の手首を狙って杖の端を跳ね上げた。
「おっと」
兄が手首を返し、杖を木剣で弾く。わたくしはすぐに杖を返し、反対側の端で兄の胴をなぎ払った。
兄は半歩下がってかわす。追う。杖の長さを使い、肩、膝、わき腹へ、止まることなく攻撃をつなげる。
兄の木剣は、そのすべてを最小限の動きで受け流していった。
「ずいぶん速くなった」
「まだ、余裕がおありのようですね」
「妹の成長を喜ぶくらいの余裕はあるよ」
「では、その余裕をなくして差し上げます」
兄の胸へ杖を突き込む。木剣で外側へ逸らされ、そのまま兄の剣が、杖を握るわたくしの右手を狙った。
杖を引けば間に合わない。わたくしは、握っていた右手を離した。片手だけになった杖が木剣に弾き飛ばされ、兄の目がわずかに細くなった。
「武器を手放すのは――」
「早いです」
腰へ手を伸ばし、さやから訓練用の短剣を抜いて、兄の懐へ踏み込んだ。
杖を失ったのではない。兄に弾かせたのだ。長い杖では攻めにくい距離まで、自分から入るために。
木剣が戻るより先に、短剣の切っ先を兄のわき腹へ止める。その一瞬後、兄の木剣もわたくしの肩のすぐ上で止まった。
訓練場が静まり返る。判定役の近衛騎士が、何度もわたくしと兄の位置を確かめた。
「リ、リシア殿下の一撃が、わずかに先でございます」
周囲から驚きの声が上がった。わたくしは短剣を下ろし、大きく息を吐いた。
「一本です」
「ああ。見事に取られた」
兄は木剣を下ろすと、うれしそうに笑った。
「杖を手放すなんて、以前のリシアなら絶対にしなかった」
「杖だけでお兄様に勝つのは難しいと、何度も教えていただきましたから」
「私から一本取れたのを、私の教えのおかげにしてくれるのかい?」
「はい。ですから、これからもお願いいたします」
「もちろんだ。ただし、今日は三本中の一本だ。訓練試合そのものは私の勝ちだよ」
「分かっています」
最初の二本は、どちらも兄が取っていた。一年前は、十本行っても一度として攻撃を届かせられなかった。今では、三本のうち一本を取れるところまで来た。
それでも、負けは負けだ。
「次は二本取ります」
「セレスティアと同じことを言うようになってきたね」
「わたくしとセレスは、もともと似ています」
「見た目は、まるで違うけれどね」
青空と月光。セレスとわたくしは、幼いころからそう比べられてきた。
明るく、真っ直ぐで、どこへいても人々の中心になるセレス。静かで、大人しく、聖女になる前から神殿の絵画に描かれたお姫様のようだと言われてきたわたくし。
けれど、負けず嫌いなところは、きっと同じだった。
「もう一本、お願いします」
「駄目だよ」
「まだ動けます」
「この後は大神殿だろう? 治療の前に疲れ切ってどうするんだい」
「《祈祷》を使えば、すぐに呼吸は整います」
「呼吸が整うことと、身体の疲れが消えることは違う」
どこかで聞いたような言葉だった。わたくしが不満そうな顔をしたからか、兄が苦笑する。
「そんな顔をしても駄目だ。聖女になっても、頑固なところは変わらないね」
「お兄様こそ、わたくしを子ども扱いするところが変わりません」
「妹は、いくつになっても妹だよ」
兄が、弾き飛ばされた杖を拾ってくれた。受け取ろうと手を伸ばすと、その前に、兄の視線がわたくしの右手で止まった。
杖を弾かれた時に擦ったのか、親指の付け根がわずかに赤くなっている。
「痛むかい?」
「この程度は、けがとは呼びません」
「治癒魔法は?」
「使いません」
「なぜ?」
「放っておいても、明日には治ります。治癒魔法は必要な方のために使うものです」
「魔力を使わずとも、妹を心配する兄を安心させることはできると思うけれど」
そう言いながらも、兄の表情は誇らしそうだった。
「本当に強くなったね、リシア」
「まだです」
「まだ?」
「セレスは、並の騎士二十人を相手にしても負けないそうです。ローガン殿からも、剣術で一本を取れるようになりました」
「手紙に書いてあったのかい?」
「はい」
「セレスティアも、相変わらずリシアへ何でも書くね」
「わたくしたちは、隠し事をしないことにしていますから」
「では、最近リシアが一番気にしている少年のことも?」
杖を受け取ろうとしていた手が止まった。
「……何のことでしょう」
「アレス・アークハルト」
「アレス様は、セレスとわたくしが注目している、同じ年の冒険者です」
「そういうことにしておこう」
兄が楽しそうに笑う。わたくしは兄の手から杖を受け取り、少しだけ強く握った。
◇
大神殿へ到着すると、いつもの訓練室ではなく、屋外の演習場へ案内された。
白い石で造られた広場には、六人の聖騎士と四人の神官が待っていた。中央には、二体の木製人形と、崩れた建物に見立てて積み上げた石や木が用意されていた。
「本日は、複数の負傷者が出た状況を想定いたします」
この一年、治癒魔法だけを学んできたわけではない。《祈祷》《結界》、水属性と土属性、そして神聖魔法。どれも、鑑定板に示されたばかりの頃と比べれば、見違えるほど扱えるようになっていた。
それでも、水と土は今も得意とは言えない。水を生み出そうとすれば必要以上に広がり、土を動かそうとすれば、形を細かく整えるまでに時間がかかる。セレスのように、魔法を見ただけで次の使い方を思いつくような才能は、わたくしにはなかった。
だから、使う場面を絞った。
水は、傷口を洗い、のどを潤し、火を消すために。土は、崩れそうな足場を固め、崩れた石や木を支え、負傷者を安全に運び出すために。
攻撃魔法として鍛えるのではなく、人を救う力として使えるよう、何度も修練を重ねた。
「始めてください」
老神官の合図と同時に、演習場の端で火が上がった。
積み上げられた木材へ、訓練用の火が燃え広がっていく。杖を向け、魔力を集中させる。
「《水流》」
杖の先から放たれた水は一本の流れとなり、火の根元を正確に打った。以前のように広場中へ飛び散ることはなく、白い蒸気とともに炎が消えていく。
火は消えた。
だが、救うべき者は一人ではない。
白い蒸気の向こうで、石の崩れる音が響いた。




