第149話 必ず、この剣で確かめる
夕食の後、私は自分の部屋へ戻った。魔力を使い切った身体は重く、ベッドへ横になれば、すぐ眠ってしまうだろう。
それでも、その前に見るものがあった。壁に並んだ、アレス君についての報告書だ。
最初は、一枚だけだった。二人の騎士を、武器も持たず十数秒で倒した。
次に、冒険者ギルドの特別試験へ合格し、魔の森で商隊を救った。《黒鎧虎》を単独で倒し、Bランク冒険者になった。
それからも報告書は増え続け、最初に使っていた壁には収まらなくなった。今では剣術の課題を貼る壁とは別に、アレス君の記録だけをまとめた場所がある。
その一番端へ、今日受け取った新しい報告書を貼った。
Sランク下位指定魔物《地竜》退治。
Aランク冒険者へ昇格。
Aランク冒険者パーティとして本部が正式認定。
文字で読んでも、どのくらい強いのか想像できない。地竜の硬いうろこを拳で砕いたのだろうか。大きな牙を素手で受け止めたのだろうか。それとも、報告書には書かれていない、まったく別の方法で倒したのか。
聞きたいことが、また増えた。
机の上には、王都で会った時に尋ねることを書いた紙がある。
一、なぜ武器を使わないのか。
二、どのように《黒鎧虎》の毛皮を傷つけず倒したのか。
三、魔の森へ初めて入った時、怖くなかったのか。
四、何を急いで、そこまで強くなろうとしているのか。
五、地竜をどうやって倒したのか。
六、私と訓練試合をしてくれるか。
最後の項目には、以前お母様から注意された言葉を書き加えてある。
『最初に、きちんと挨拶をすること』
忘れるつもりはない。
セレスティア・グランベルです。初めまして、アレス君。
それから――。
頭の中で、何度も繰り返す。
相手は同じ十二歳の少年だ。ガレス様の息子で、アークハルト男爵家の跡取り。それだけなら、王都の宴で同年代の貴族へ挨拶することと何も変わらないはずだった。
けれど、アレス君の前へ立つ自分を想像すると、胸の奥が落ち着かなくなる。魔法戦の前に感じた高揚と少し似ている。でも、同じではない。
どのような顔をしているのだろう。
どのような声で話すのだろう。
私のことを、知っているのだろうか。
壁一面の報告書を見ているうちに、会ったことがないのが不思議なくらい、私はアレス君のことを知っていた。
アレス君は、私のことをどれほど知っているのだろう。
「セレスティア様」
背後から、ミレイユの声がした。
「何?」
「先ほどから、同じ報告書をずっとご覧になっております」
「地竜を倒した方法を考えていたの」
「さようでございますか」
「何、その顔は」
「何も申し上げておりません」
ミレイユは、お母様と同じようなほほ笑みを浮かべている。
「アレス君は、好敵手よ」
「はい」
「会う前に、相手のことを考えるのは当然でしょう?」
「はい」
「訓練試合の前は、胸が高鳴るものよ」
「私は、何もお尋ねしておりません」
「顔に出てる」
「セレスティア様ほどではございません」
言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。
「もう寝る」
「はい。お休みなさいませ」
ベッドへ入っても、なかなか眠れなかった。お父様との魔法戦を何度も思い返す。正面の大きな雷だけを見て、足元の小さな雷を見落とした。
アレス君と戦う時も、同じようなことがあるかもしれない。
拳だけを見るな。
足を見る。
呼吸を見る。
魔力を見る。
報告書にはない何かを見る。
考えているうちに、胸の高鳴りが少しずつ大きくなっていく。
早く、会ってみたい。
早く、話してみたい。
そして、戦ってみたい。
王都へ出発するまで、あと十二日。
◇
それからの日々は、あっという間に過ぎていった。
王都へ同行する騎士の選定。《勇聖奉告式》で着る礼装の仮合わせ。王都の貴族や大神殿の神官と会うための礼儀作法。国境を留守にする間の連絡方法と、緊急時に私が戻るための手順。
もちろん、剣術と魔法の訓練も一日たりとも休まなかった。
ローガンとの剣術では、十一日間で三度、一本を取った。お父様との魔法戦で使った《風駆》も改良し、空中で三歩まで続けて足場を作れるようになった。
もう一度お父様へ魔法戦を申し込んだけれど、お母様に止められた。
「王都へ着く前に、演習場をもう一つ壊すつもりですか?」
そう言われては、諦めるしかなかった。
そして、出発の朝。まだ日が昇り切る前から、グランベル城の正門には多くの人が集まっていた。騎士、兵士、使用人、領都の人々。皆が、王都へ向かう私たちを見送りに来てくれている。
私は旅用の軽い鎧を身につけ、腰へ剣を下げていた。長い青髪は、ミレイユがいつも以上に丁寧に整えてくれた。朝日を受けるたび、髪と瞳が澄んだ空のように輝く。
「セレスティア様! お気をつけて!」
「勇者様、行ってらっしゃいませ!」
「王都の者たちへ、グランベルの勇者様を見せてやってください!」
声の一つ一つへ手を振って応える。勇者に選ばれた直後は、周囲の視線が怖かった。私ではなく、勇者という存在だけを見られているように感じたからだ。
今は、同じ呼び名をうれしく受け止められる。私は勇者である前に、セレスティア・グランベルだ。そして、セレスティア・グランベルが何を選び、どのように戦ってきたのかを、ここにいる人たちは知っている。
「セレス。そろそろ出るよ」
馬上のお父様に呼ばれる。
「はい!」
自分の馬へ乗り、手綱を握った。お母様も、隣の馬車の窓から手を振っている。ローガンと護衛騎士たちは、すでに隊列を整えていた。
「お父様」
「何だい?」
「アレス君も、今日アークハルト領を出るのですよね?」
「手紙どおりならね」
「途中で、何かあって来られなくなることは?」
「東部に異変が起きれば、私たちも同じだよ」
「それは分かっています」
「今朝だけで、同じことを三度聞いているね」
「確認は大切です」
「それほど会いたいのかい?」
「はい」
迷わず答えた。
お父様が少し驚いた後、楽しそうに笑う。
「正直でよろしい」
「お父様が、顔へ出るといつもおっしゃるからです」
「確かに、今もよく出ているよ」
「どのような顔ですか?」
「とても楽しそうな顔だ」
自分の頬へ触れてみる。笑っている。止めようとしても、口元が上がってしまう。
リシアも今ごろ、王都で《勇聖奉告式》へ向けた最後の準備をしているはずだ。彼女との再会も、報告書の向こうにいた少年との初対面も、もう遠くない。
「出発!」
お父様の号令が響いた。
城門が開く。朝日に照らされた街道が、王都へ向かって伸びている。
馬が最初の一歩を踏み出し、胸の奥がまた大きく高鳴った。
怖いのではない。戦いの前とも違う。この先に何が待っているのか、早く自分の目で確かめたくて仕方がない。
アレス君。
ついに、あなたに会える。
最初に、きちんと挨拶をします。
その後で。
今の私とあなたの間に、どれほどの距離があるのか。
必ず、この剣で確かめます。




