第15話 最弱の武王、鍛え直す6
まだ使えないことは分かっている。それでも、現在地を知る必要がある。胸の前で、両方の手のひらを向かい合わせる。全身へ巡らせた魔力を左右へ分け、二つの流れを均等に保つ。圧縮し、中央へ寄せる。肉体。魔力。生命力。精神。それらを一つへ練り上げる。
かつて数え切れないほど行った、闘気を生み出すための俺独自の基本動作。
だが――何も起こらない。両手のひらの間にあるのは、弱々しい魔力の揺らぎだけ。生命力と混ざり合う前に、形を失って霧散した。二度目。三度目。五度目。結果は同じだった。
「当然か」
今の身体は、《身体強化》にすら耐えられない。闘気を生み出せる段階ではなかった。だが、落胆はない。何が足りないのかは分かっている。魔力量。魔力経路。肉体。そして、精神と生命力を結びつける感覚。一つずつ取り戻せばいい。正午を知らせる鐘が鳴った。同時に、腹の奥から大きな音が響く。
「時間か」
魔力もかなり消費している。午後の訓練へ備えるには、食事と休息が必要だ。
◇
昼食後、短い休息を挟み、午後一時から肉体鍛錬を始めた。腕立て。腹筋。背筋。屈伸。懸垂。石を抱えての歩行。走り込み。どれも特別な訓練ではない。だが、今の身体には十分すぎる負荷だった。
腕立ては十五回で腕が震えた。懸垂は三回で身体が上がらなくなった。石を抱えて歩けば、腰と太ももが悲鳴を上げる。かつての俺なら、指一本で持ち上げられた程度の重さだ。
それでも、無闇に限界まで続けることはしない。動きの精度が崩れる一歩手前で止める。傷ついた筋肉へ《再生》を使い、状態を確かめてから次の部位へ移る。腕。脚。背中。腹。体幹。魔力も栄養も有限だ。同じ部位ばかりを際限なく鍛えれば、成長する前に魔力が尽きる。
負荷を分散させながら、今の身体に足りないものを一つずつ埋めていく。午後三時。扉の外から、控えめな声が聞こえた。
「アレス様。軽食をお持ちいたしました」
ニーナだ。俺は呼吸を整え、扉を開けた。ニーナは大きな籠を両腕で抱えていた。パン、焼いた鶏肉、ゆで卵、果物、乳。軽食と呼ぶには、随分と量が多い。
「料理長から、訓練の合間にお召し上がりになるようにと」
「ハンナが?」
「はい。朝食をすべて召し上がったとお伝えしましたら、こちらを用意してくださいました」
俺は籠の中を見る。どうやらハンナも、《再生》に必要な食事量を理解し始めたらしい。
「助かる」
「お身体は、大丈夫でしょうか?」
ニーナの視線が、汗でぬれた訓練着へ向けられる。腕や脚には、《再生》を使ったばかりの赤みがわずかに残っていた。
「問題ない」
「そう、ですか……」
納得してはいない顔だ。父上からも、俺の様子を見るよう言いつけられているのだろう。
「軽食を食べたら、しばらく休む」
俺が先に告げると、ニーナの表情がわずかに和らいだ。
「はい。お願いいたします」
籠を受け取り、まず鶏肉へ手を伸ばした。塩と香草が染み込み、冷めていても柔らかい。
「この味付けは、お前か?」
ニーナがわずかに目を見開く。
「はい。料理長から許可をいただき、味付けだけお手伝いしました」
「美味い」
「ありがとうございます」
ニーナが、うれしそうに微笑んだ。身体へ必要なものが流れ込んでくる。やはり、俺の鍛錬において食事は欠かせない。軽食をすべて平らげ、十五分ほど身体を休ませる。
その後は、日が傾くまで技術の反復を行った。拳を打つ。引く。踏み込む。退く。身体をひねる。受ける。かわす。蹴る。着地する。威力は求めない。速さも求めない。正確さだけを追う。今の身体で、最も無駄なく動ける軌道を探す。
拳を打った瞬間、肩が上がっている。踏み込む際、右膝が内へ入っている。蹴りを戻す時、腰の回転が遅れている。武王だった頃の経験と、《体術》が教えてくる現在の肉体の動かし方。その二つをすり合わせ、十二歳の身体に合った動きを作っていく。滅びた世界で何千回、何万回と繰り返した動き。それでも今は、一回ごとに修正が必要だった。
日が西へ傾く頃。拳を前へ突き出した姿勢で、俺は動きを止めた。汗があごから滴り、地面へ落ちる。脚は震えている。肩も重い。魔力も残り少ない。
だが、朝とは違った。五周で転びかけた時よりも、わずかに身体の使い方がなじんでいる。一日で得られる成長など、本来は微々たるものだ。それでも、《再生》を持つ俺なら、その微かな成長を一日に何度も積み重ねられる。
「今日は、ここまでだな」
無理に続ければ、夜の魔力操作どころか、明朝の訓練にも支障が出る。俺は残った魔力を使い、午後の鍛錬で傷ついた筋肉を修復した。熱を持った身体が、少しずつ落ち着いていく。同時に、強烈な空腹が押し寄せた。夕食の時間は近い。実に良い頃合いだ。
◇
入浴を終え、食堂へ向かった。扉を開けると、父上と母上、カイルとリリアが、すでに席へ着いていた。俺の前には、他の者より明らかに多くの料理が並べられている。大皿に盛られた肉、根菜の煮込み、魚、卵、豆のスープ、山のように積まれたパン。母上が、料理と俺を交互に見た。
「本当に、これをすべて食べるのですか?」
「足りなければ、追加をお願いするつもりです」
「追加……」
母上の青い瞳が丸くなる。向かいに座るカイルも、驚いた顔で俺の皿を見ていた。
「兄上。朝も、いっぱい食べたんじゃないの?」
「ああ」
「昼も?」
「食べた」
「おやつも?」
「すべて食べた」
カイルはしばらく黙り込み、自分の細い腕を見た。
「僕も食べたら、兄上みたいに強くなれる?」
「食べるだけでは駄目だ。鍛える必要がある」
「じゃあ、やめておく」
判断が早い。隣に座るリリアが、小さな手でパンを一つ持ち上げた。
「お兄さま。これも食べる?」
「ああ。もらおう」
差し出されたパンを受け取ると、リリアがうれしそうに笑った。
「アレス」
父上が低い声で呼ぶ。
「旧演武場はどうだった?」
「十分に使えました。ありがとうございます」
「無茶はしていないだろうな?」
「限界を見極めながら行っています」
「それを聞くと、余計に不安になるのはなぜだろうな」
父上は小さく息を吐いた。だが、それ以上は何も言わなかった。俺が約束どおり領主学を受け、食事の時間にも戻ってきたからだろう。
ニーナが、切り分けた肉を俺の皿へ載せる。焼き加減も塩の量も、疲れた身体が求めているものによく合っていた。一口食べる。肉の旨味が口の中へ広がる。今日、傷つけた筋肉が、この食事によって作り直される。細かった魔力経路も、弱かった骨も、満足に力を伝えられなかった拳も。一日では、ほとんど変わらない。だが、一日目がなければ、百日目もない。
「ニーナ」
「はい」
「軽食も、今日の食事も美味い」
ニーナの琥珀色の瞳が、柔らかく細められた。
「ありがとうございます。料理長たちにも、必ずお伝えいたします」
まだ控えめな笑顔。それでも、昨日よりわずかに自然な笑顔だった。俺は皿に残った肉を口へ運ぶ。知識はある。技術もある。足りないのは、それらを受け止める器だけだ。ならば、この十二歳の身体を一から作り直す。鍛え、壊し、再生し、そして食べる。俺は空になった皿を、ニーナへ差し出した。
「おかわりを頼む」
「はい。ただいまお持ちいたします」
最弱の武王にとって、食事が終わるまでが、今日の鍛錬だった。




