第147話 《雷帝》との模擬戦
午後の訓練は、城の訓練場ではなく、領都から少し離れた軍の演習場で行われることになった。
理由は簡単だ。お父様と私が城の中で本気の魔法を使えば、訓練場だけではなく、周囲の建物まで壊してしまうかもしれない。
演習場の中央には、直径二百歩ほどの円が白い石灰で描かれている。その外側へ、グランベル家に仕える魔導士たちが防護結界を張っていた。さらに外には、水を積んだ荷車と治療師が待機している。
準備が大げさすぎる気もした。けれど、円の反対側に立つお父様の姿を見ると、必要なのかもしれないと思い直した。
普段の上着ではなく、黒を基調とした魔導装束。金色の髪は風に揺れ、整った顔には、戦いを前にした者とは思えないほど楽しそうな笑みが浮かんでいる。
《雷帝》。
王国最強の魔導士。火、風、雷という三つの属性を自由に操り、帝国との戦いでは、一人で千人の兵の進軍を止めたことさえあるという。
私にとっては、珍しい魔法を見ると子どものように目を輝かせ、お母様に隠れて甘い物を食べようとするお父様だ。けれど、魔法を構えた姿からは、王国中の魔導士があこがれる理由が分かった。
「セレスティア様、本当に戦われるのですか?」
結界の外で、セドリックが不安そうに尋ねた。
「そのために来たの」
「午前中、二十人の騎士とローガン様を相手にされたばかりですが」
「昼食を食べたから、もう大丈夫よ」
「食事は回復薬ではございません」
「セドリック」
隣に立つローガンが、静かに呼びかける。
「セレスティア様が、今さらおやめになると思うか?」
「……思いません」
「ならば、我々がすべきことは、何が起きても対応できるよう備えることだ」
「はい」
ローガンは、いつも私へ言っていることを、セドリックにも伝えた。止められないと思われていることには少し不満があるけれど、今日やめるつもりがないのも事実だった。
「セレスティア」
結界の外から、お母様に呼ばれる。
「はい」
「無理をしてはいけませんよ」
「分かっています」
「レオナルドもです」
「もちろんだよ」
お父様が軽く手を上げる。
「セレスが危なくなれば、私が止める」
「あなたが楽しみすぎないようにと言っているのです」
「私は、いつでも冷静だよ」
お父様の周囲で、青白い雷が音を立てて弾けた。お母様は何も言わず、その雷を見つめた。
「……できるだけ、冷静に戦うよ」
「お願いします」
お父様でも、お母様には勝てないらしい。
演習場の周囲には、午前の訓練を見ていた騎士や兵士が集まっていた。知らせを聞きつけた魔導士や使用人まで加わり、結界の外を何重にも囲んでいる。期待に満ちた視線が、私とお父様の間を行き来していた。
「規則を確認いたします」
判定役を務めるローガンが、円の外から声を張る。
「防護障壁を貫き、相手の身体へ届くほどの威力は禁止。防護障壁が破壊されるか、戦闘を継続できない状態となった時点で敗北といたします。結界の外へ出た場合も同様です。異論はございますか?」
「ないよ」
「ないわ」
右手を前へ出す。
光が集まり、私の身体を包む薄い障壁へ変わった。光属性の《光障壁》だ。以前は一度大きな攻撃を受ければ消えていたが、今は形を保ったまま、何度でも魔力を足すことができる。
お父様の身体も、風と雷を重ねた障壁に包まれた。二つの属性が混ざり合い、青白い光が全身を巡っている。
「では――」
ローガンが片手を上げる。演習場から音が消えた。
「始め!」
先に動いたのは、お父様だった。足元へ風が渦を巻く。
「《飛行》」
身体が、音もなく宙へ浮かび上がった。
「やっぱり、すぐ空へ逃げるではありませんか!」
「だから、逃げているのではないよ。使える場所を使っているだけだ」
お父様は、あっという間に地上から二十歩ほどの高さまで昇っていく。《飛行》は、ただ身体を風で持ち上げる魔法ではない。自分の周囲の空気を細かく操り、姿勢を保ち、思った方向へ移動する。風属性の魔法を極めた者でなければ、まともに使うことさえできない高度な魔法だ。
グランベル領でも、自由に空を飛べるのはお父様だけだった。
「でしたら、その場所ごと攻撃します!」
両手へ雷を集める。青白い光が一本の槍となり、空気を震わせた。
「《雷槍》!」
雷の槍を放つ。地上から空へ、青白い線が走った。お父様は右手を軽く振った。
「《風壁》」
目に見えない風の壁が、雷の槍の正面へ生まれる。雷を止めるのではなく、槍の穂先をわずかに横へ押して進む向きをそらす。
雷の槍はお父様の左を通り過ぎ、空の彼方で弾けた。
「魔法を曲げるなんて、ずるいです!」
「技術をずるいと言い始めたら、魔法戦では負けだよ」
「では、その技術ごと破ります!」
「《火球》!」
三つの火球を作る。
「《風刃》!」
続けて風刃を放つ。
同じ場所は狙わない。
一つ目の火球は正面。
二つ目は右。
三つ目は、お父様が左へ避けた時に進む場所。
さらに風刃で、上下の逃げ道を塞ぐ。
「よい組み立てだ」
お父様の姿が、上へ消えた。飛行したまま、地上で走るより速く上昇している。
けれど、それも予想していた。
「《雷鎖》!」
通り過ぎた三つの火球から、細い雷が伸びる。
三つの火球は、攻撃するためだけに放ったのではない。雷をつなぐための目印にもしていた。
三本の雷が、お父様の頭上で交わる。
「これは――」
初めて、お父様の顔から余裕が消えた。雷鎖が空中の身体へ絡みつき、お父様の障壁が大きく揺れた。
「当たりました!」
「まだだよ」
「《火雨》」
障壁の内側から、強い風が弾けた。雷鎖が膨らみ、引き千切られる。
同時に、何十もの小さな火の玉が私の頭上へ現れ、赤い雨となって降り注いだ。
前後左右だけではない。
見上げた空のすべてが、火で埋め尽くされている。逃げる場所はない。
ならば、消す。
両手を地面へ向け、風を集めた。
「《旋風陣》!」
足元から、巨大な風の渦が立ち上がる。降り注いだ火の玉が渦へ巻き込まれ、火と風が混ざり合うと、私を中心に赤い竜巻が生まれた。
熱い。
《光障壁》の表面が、何度も揺れる。すべてを消すことはできない。けれど、向きを変えることはできる。
「お返しします!」
風の流れを、一気に空へ向ける。赤い竜巻が、お父様へ昇っていった。
「やるね、セレス」
楽しそうな声が、炎の向こうから聞こえた。
「今のは、さすがに髪が焦げるかと思ったよ」
「まだ一本も焦げていません!」
「では、もう少し近くで撃つ必要がありそうだ」
お父様が両手を広げた。空気が震える。
風だけではない。火と雷。三つの属性の魔力が、同時に動いている。
「来る」
私が身構えた瞬間、地面から火柱が上がった。右へ跳ぶと、着地する場所へ雷が落ちる。さらに横から、刃のような風が迫った。
一つずつなら避けられる。
けれど、お父様の魔法は別々に放たれているのではない。私がどこへ逃げるのかを追うように、火が道を塞ぎ、雷が足を止め、風が障壁を削ってくる。
これが、《雷帝》の魔法戦。
強い魔法を放つだけではない。相手に選ばせ、その選んだ先へ次の魔法を置く。
私は地面を蹴り、風を足場にして横へ跳ぶ。火柱を飛び越え、雷を《光障壁》で受ける。身体がしびれたが、止まらない。
お父様の真下へ走る。
空にいる者は、地上へ魔法を放つ時、必ず下を見る。
ならば、見ている場所を光で満たせばいい。
「《閃光》!」
白い光が、演習場を埋め尽くした。見ていた者たちの驚く声が、結界の外から聞こえる。お父様の視界も、わずかな間は奪えたはずだ。
今しかない。
風を両足へ集める。一度では、空まで届かない。
ならば――何度でも、空を蹴る。
「《風駆》!」




