第140話 息子がAランクになった日
ガレス・アークハルト男爵視点
机の上に置かれた一枚の手紙を、私はもう一度読み返した。
冒険者ギルド本部の印が押された、正式な昇格通知。その中央には、何度見ても見間違えようのない文字が記されている。
『アレス・アークハルトを、Aランク冒険者として認定する』
「……本当に、Aと書かれているな」
「はい、旦那様」
執務机の前には、トーマとオルドが並んで立っていた。
「先ほどから、もう七度お確かめになっております」
「数えていたのか?」
「私も、何度か確かめなければ信じられませんでしたので」
そう答えたトーマは、抑えきれない笑みを浮かべ、誇らしそうに胸を張っている。隣に立つオルドも、おだやかに目を細めていた。
手紙は一枚だけではない。その下には、ルナ、アイゼン、ガルムの三名をBランク冒険者として認める知らせがあった。さらに、アレスを中心とする四人をAランク冒険者パーティとして認める本部の書類も重ねられていた。
Aランク冒険者は、ただ強いだけの者へ与えられる地位ではない。戦闘力、判断力、実績、そして依頼を通じて積み重ねた信用。そのすべてを冒険者ギルド本部に認められた者だけが到達できる。
国によって決まりに違いはあっても、Aランク冒険者は世界のどこへ行っても下級貴族に近い立場として大切に扱われる。爵位こそ持たないが、一人でその地位に等しい力と信用を持つ者として扱われるのだ。
その地位へ、私の息子は十二歳十一か月で到達した。
冒険者となって、わずか十か月。
ぽたりと、一滴の涙が手紙の端へ落ちた。
私は一瞬、それが自分の目から零れたものだと分からなかった。慌てて手紙を机へ置くと、こらえていたものが一気にあふれ、視界がにじんだ。
「旦那様」
オルドが、何も言わずにハンカチを差し出してくる。
「……すまん」
「お謝りになることではございません。この一年、坊ちゃまの成長を父として見守ってこられたのですから」
オルドの目元もわずかに潤んでいた。
「私も、胸がいっぱいでございます」
トーマはそう言いながらも、涙を見せる代わりに、ますます誇らしげな顔になった。
「ですが同時に、当然の結果とも思っております。アレス様であれば、いずれAランクへ到達なさると、私は信じておりました」
「信じていた、か」
「はい。もっとも、Aランクもアレス様にとっては一つの通過点にすぎません。アレス様がここで歩みを止められるはずがございませんから。いずれはSランクにさえ至られることでしょう」
その瞳には、一片の疑いもない。
もはや、教え子へ寄せる期待というより、揺るぎない信仰に近かった。
「ずいぶんな信頼だな」
「信頼ではございません。確信でございます」
「トーマ。坊ちゃまのこととなると、少々言葉が多くなりますね」
「申し訳ございません、オルド執事長。ですが、事実ですので」
謝りながらも、考えを改める気配は全くなかった。
私は涙を拭いながら、思わず笑った。
「Aランクパーティの方も、間違いないのだな」
「はい。個人ではアレス様がAランク、ルナ様、アイゼン様、ガルム様がBランク。四名で行動する場合には、ギルド本部公認のAランクパーティとして扱われます。クロウ様は冒険者登録をなさっていないため、認定上の構成員には含まれておりません」
「世界でも数少ない、Aランクパーティか」
「はい。まさかアレス様方が、これほど早くそこへ到達なさるとは……」
Aランクパーティが世界でも数えるほどしか存在しないことも、その認定が一国の枠を越える信用を意味することも、私たちはよく知っていた。国境を越える手続きは簡略化され、各地のギルド施設も優先して使える。本部と依頼国が認めれば、国の重要な秘密に関わるS級依頼を受けることさえできる。
「国が無視できぬ存在になったということか」
「……はい」
トーマの返事には、喜びだけではなく、わずかな緊張が混じっていた。
当然だろう。
Aランク冒険者は、下級貴族と同じように扱われる。たとえ男爵家の跡継ぎでなくとも、どの国の貴族や役人もアレスへ丁寧に接することになる。まして、アレスはアークハルト男爵家の跡取りでもある。その名が王都へ届かないはずがなかった。
「一年前には、想像もしていなかったな」
私がつぶやくと、トーマは静かに目を伏せた。
鑑定の儀式から、間もなく一年になる。
あの日までのアレスは、アークハルト家の名を振りかざし、気に入らないことがあればすぐに怒って暴れていた。
使用人は足音を聞くだけで身を固くし、カイルは兄と目が合えばうつむき、幼いリリアはエレナの後ろへ隠れた。
父親として、何度も叱った。諭しもした。訓練を始めさせ、領主学の教師も増やした。それでも、アレスは変わらなかった。
いや、変えられなかった。
私はどこかで、時間をかけるしかないのだと思っていた。成長し、家の重みを知り、いつか自らの過ちに気づいてくれればよいと。
それが、鑑定の儀式を境に、すべて変わった。
家族へ謝り、使用人たちへ頭を下げ、夜が明ける前から訓練場へ出た。初日は外周を五周走っただけで足をもつれさせ、立っていることさえ難しかった。
それが二週間後には、その十倍を走り切り、木剣を持った二人の騎士を素手で圧倒した。
あの時の私は、近い将来、アレスは私とダリオを追い越すだろうと考えていた。一年後か、二年後か。あるいは、それよりも早いかもしれない、と。
我ながら、ずいぶんと甘い見通しだった。
アレスは冒険者登録をしたその日に特別試験を突破し、Cランクとなった。その後、一度も依頼に失敗することなく、魔物に襲われた商人や旅人、冒険者を何度も救った。
Bランク指定魔物を単独で倒し、わずか数か月でBランクへ昇格した。
そして今度は、魔の森の奥から生還し、Sランク下位指定魔物である《地竜》を退治した。
もはや、近い将来ではない。
戦う力だけなら、アレスはすでに私を超えている。
その事実を認めることに、不思議と悔しさはなかった。二週間で二人の騎士を倒したアレスを見た時には、一人の武人として、まだ追いつかせるものかと思ったものだ。実際、あの日から私は早朝の訓練を一刻増やした。
だが、地竜を倒したと聞かされてまで、同じ意地を張るつもりはない。
私が剣を手に地竜へ挑んだなら、生きて帰れる保証さえない。アレスは仲間を率い、誰一人欠けることなく、倒して戻ってきた。
恐ろしいまでの成長だった。
それでも、父親として胸にあるのは恐れではない。
誇らしさだ。
「旦那様。こちらも、ご確認をお願いいたします」
トーマが机の上へ、厚い帳簿を置いた。開かれたページには、今年に入ってからの収入と支出が細かく記されている。
アレスが冒険者となってから、男爵家の財政状況も大きく好転していた。
あの子は依頼へ出るたび、魔物の素材を持ち帰った。初めのころは、角ウサギの角や灰狼の毛皮といった、冒険者ギルドでも日常的に扱われるものだった。
だが、持ち帰る素材は日を追うごとに価値を増し、やがて領内では滅多に手に入らないBランク、Aランク魔物のものまで並ぶようになった。
仲間の武具や今後の活動に必要な分は、アレスたちが使う。残ったものの一部は冒険者ギルドへ売却し、さらに一部をアークハルト男爵家へ譲ってくれた。
男爵家が受け取った素材は、使えるものを騎士団へ回し、残りを鳳凰商会へ売却している。
鳳凰商会は、魔石や牙、皮、薬の材料をふさわしい値段で買い取り、職人の手で加工し、必要とする土地へ流していた。その売却代金は男爵家の収入となり、すでに無視できない額へ達している。
「新たに採用した騎士と領兵の装備は、すべて行き渡ったか?」
「はい。鎧と武器だけでなく、冬用のマント、寝具、予備の靴まで支給を終えております。宿舎の増築も、予定より早く完成する見込みです」
「森側の見張り台は?」
「三か所の補修が完了し、二か所を新設いたしました。伝令用の馬も増やしております」
「村から上がっていた要望はどうなった?」
トーマが帳簿をまくる。
「北の村では、避難小屋と共同倉庫が完成しております。西の村は井戸を掘り直し、南街道へ続く橋も補修を終えました。魔の森に近い村から順に、防柵と警鐘を整備しています。各村へ蓄える傷薬と食料も、昨年の倍まで増やせる見込みです」
「後回しになっているものは?」
「現時点では、ございません」
その返事を聞き、私は帳簿へ目を落とした。後回しになっている要望は、一つもない。領主として、これほどありがたい言葉はなかった。
これまでも、村からの要望を無視してきたわけではない。壊れた橋があれば直し、井戸が枯れれば掘り直し、魔物に備える防柵も整えてきた。
だが、男爵家が使える金には限りがある。騎士の給金、城壁と街道の維持、凶作への備え。すべてを一度にかなえることはできなかった。
今年は違う。
アレスが持ち込んだ素材から得た金により、騎士と領兵を増員できた。古くなった装備を更新し、訓練場と宿舎を広げ、森の監視を強められた。
それだけではない。
村の防柵。避難施設。共同倉庫。井戸。水路。街道。橋。傷薬と食料の蓄え。
帳簿の数字が示していたのは、単なる収入の増加ではなかった。
アレスがこの一年で積み重ねたものは、この領地へ何をもたらしたのか。
その答えが、目の前に記されていた。
新連載
『婚約破棄され、冒険者パーティも追放されたモブ貴族です~前世の知識と転生特典で借金を返して楽しく生きるつもりが、いつの間にか英雄になりそうです~』
https://ncode.syosetu.com/n9633mt/
もよろしくお願いします!




