第138話 地竜を持ち帰った四人
保管庫をもう一度調べる。本が置かれていた場所に、動かされた跡はない。血統封印も破られていなかった。侵入者は、ここへ入れていない。ならば、何を探していた?
砦の場所を知っていただけでも不自然だ。アークハルト家の古い資料を読み込んだ俺でさえ、滅びた未来の記憶がなければたどり着くのは難しかった。
「気になるか?」
ルナが俺の顔をのぞき込む。
「ああ」
「追うのか?」
「今は手がかりが足りない。足跡も臭いも残っていない。何かを持ち去った形跡もない」
「ならば、戻ってからじゃな」
「そうする」
侵入者が何者なのか。何を探していたのか。今は分からない。だが、扉の油も、床のほこりも、封印へ残された傷も、すべて記憶へ刻んだ。次に同じ跡を見た時は、必ずつなげる。
俺たちは保管庫を出た。血統封印を閉じ、入口の石壁も元の位置へ戻す。その夜は、正門に近い玄関広間で身体を休めた。ルナたち三人は夜になったことで急速に力を取り戻したが、地竜戦で傷ついた身体まで無理をさせるつもりはない。
ニーナが用意した料理を並べ、温め直す。それに加え、道中で倒した痺角鹿の肉を切り分け、火で焼いた。魔物の肉を食べられるのは、《魔毒耐性》を持つ俺と、ヴァンパイアである三人だけだ。ここには俺たち四人しかいないため、人目を気にする必要もない。焼けた肉を四人で分ける。ガルムは痺角鹿の肉を山のように皿へ盛り、一人で平らげた。
「まだあるか?」
「明日の分は残しておけ」
「少しだけ」
「駄目だ」
「一皿」
「休め」
「……承知した」
地竜との戦いでも退かなかったガルムが、明日の食事を前にして初めて肩を落とした。
◇
翌朝、俺たちは監視砦を出た。帰路は、来た時とは別の経路を選ぶ。東側へ大きく回り、川、崖、魔物の縄張り、瘴気の濃い場所を地図へ書き加えていく。
二日間の帰路で、Bランク指定魔物を六体、Aランク指定魔物を二体退治した。状態のよい死体は《亜空間》へ収め、それ以外も退治の証明となる部位と、有用な素材を回収する。どれも地竜に比べれば、長く足を止めるほどの相手ではなかった。
ルナたち三人は夜の間に傷を回復させ、戦うたびに連携を洗練させていた。俺が前へ出なくても、ルナの指示だけでBランク魔物の群れを倒す。Aランク魔物が現れれば、アイゼンが足を止め、ガルムが仲間を守り、ルナが止めを刺す。三人は、もうCランクの実力ではない。
三日目の夕方。俺たちは、魔の森の監視所へ戻った。約束した三日を、一刻も過ぎていない。屋敷へ戻ると、父上と母上、ニーナが玄関前で待っていた。
「ただいま戻りました」
父上の厳しい顔が、わずかに緩む。
「ああ。おかえり、アレス」
その一言が、胸の奥へ静かに染み込んだ。滅びた未来では、どれほど遠くから戻っても、俺を待つ者はいなかった。帰る場所そのものが、もう残っていなかった。今は違う。
「三日で戻るという約束を、きちんと守ったな」
「はい、父上」
「けがはないの?」
母上が俺の両腕と顔を見回す。
「もう治っています」
「それは、けがをしたということではないの?」
「……多少は」
母上の眼が細くなる。
「何と戦ったの?」
「地竜と戦った」
「Sランク指定魔物じゃ」
ルナが楽しそうに付け加えた。父上の表情が固まる。母上は笑顔のまま動かなくなった。だが、ニーナだけは驚いた様子を見せなかった。俺がどれほど危険な場所へ向かおうと、必ず無事に戻ると信じてくれていたのだろう。美しい顔に柔らかなほほ笑みを浮かべ、いつもと変わらぬ所作で頭を下げる。
「おかえりなさいませ、アレス様」
「ああ。ただいま、ニーナ」
その変わらぬほほ笑みに迎えられ、三日間の遠征は終わった。
◇
翌朝。俺たちは、冒険者ギルドの素材置き場へ来ていた。最初に、道中で退治した魔物の素材を並べる。Bランク指定魔物。Aランク指定魔物。奥で採取した薬草と鉱石。さらに、魔物の分布、危険地帯、水場、野営可能な場所を記した地図を提出する。
受付主任のミレイは、途中から声を失っていた。素材の名と数を書き留めていた羽ペンも、いつの間にか止まっている。
「以上ですか?」
「まだ地竜がある」
「……地竜」
「ここへ出してよいか?」
ミレイの手から、羽ペンが落ちた。
「申し訳ございません。もう一度、お願いいたします」
「地竜だ」
ミレイは俺の顔を見つめ、それから並べられた大量の素材へ視線を落とした。聞き間違いではないと理解するまで、しばらく時間がかかったようだ。
「……少々、お待ちください」
数分後、支部長のバルガス・ロウが駆け込んできた。
「本当に地竜を持ち帰ったのか?」
「ああ」
「どこだ?」
「ルナのマジックバッグに入っている」
バルガスが、ルナの肩から下がる小さな袋を見る。
「あれに?」
「わらわの家に代々伝わる秘宝じゃ。そこらのマジックバッグと一緒にするでない」
「家に代々?」
「昔から受け継がれてきた品という意味だ」
俺が言い直す。三人がヴァンパイアであることは、公にはしていない。ルナが何か言いたそうに俺をにらんだが、バルガスは地竜のことで頭がいっぱいらしい。
「とにかく出してくれ。いや、待て。建物に近すぎる。もっと中央だ」
職員と冒険者たちを下がらせ、素材置き場の中央を空ける。ルナがマジックバッグへ手を添えた。次の瞬間。十五メートルを超える地竜の死体が現れた。地面が揺れる。
職員の一人が腰を抜かした。見物していた冒険者たちも、声を上げることさえ忘れ、目の前に現れた巨体を見上げている。バルガスは口を半ば開いたまま、数呼吸ほど動かなかった。ミレイは記録板を胸へ抱き締め、地竜と俺たちを何度も見比べている。
「……間違いない」
バルガスが地竜の首元へ近づく。砕けたうろこ。折れた右前脚。雷に焼かれた傷。盾を受けた左肩。四人で戦った跡が、すべて残っている。
「Sランク下位指定魔物、《地竜》だ」
素材置き場が静まり返った。誰もが、バルガスの言葉を理解しながら、すぐには現実として受け止められずにいた。その静寂が破れたのは、数秒後だった。
「地竜だと!? 本当にSランク魔物を倒したのか!」
「うそだろ……。王国中を探しても、退治できる冒険者が何人いると思ってる!」
「しかも、アレス様はまだ十二歳だぞ!」
「さすがアークハルト男爵家の若様だ!」
「ガレス男爵のご子息なら、いずれ大物になるとは思っていたが……まさか、これほどとはな」
「坊っちゃまが十二歳で地竜を倒すなら、アークハルト領は安泰だ!」
「もう、ガレス男爵を超えたんじゃないか?」
「滅多なことを言うな! ……だが、十二歳で地竜だぞ」
「アレス様だけじゃない! あの三人も一緒に戦ったんだろう?」
「ルナたちも、とんでもない連中だ! 四人でSランク魔物を仕留めやがった!」
驚きの声は、すぐに称賛へ変わった。自分のことのように胸を張る者までいる。
「俺は最初から分かっていたぞ!」
一人の冒険者が、周囲へ聞かせるように声を張り上げた。
「若様が初めてギルドへ入ってきた日から、いつかこうなるお方だと見抜いていた!」
「お前、あの日は『武闘家の子供が特別試験だと?』って笑ってただろうが」
「あれは、周りの見る目を試していたんだ」
「お前が真っ先に賭けで負けてたじゃねえか!」
「細かいことはいい! 俺たちのギルドから、地竜を倒す英雄が出たんだぞ!」
「急に自分の手柄みたいにするな!」
素材置き場が、祭りのような騒ぎに包まれる。その中で、ミレイだけは未だに記録用紙の地竜の欄へ一文字も書けずにいた。
「支部長……退治対象の欄へ、本当に《地竜》と記入してよろしいのですよね?」
「俺がたった今、認定しただろう」
「分かっております。ですが、見たままを記録しようとすると、手が震えて動きません」
普段はどれほど忙しくても冷静なミレイが、羽ペンを両手で握っている。バルガスは答えようとして、もう一度地竜を見上げた。
「安心しろ。俺も判定を口にしたのに、まだ頭が現実へ追いついていない」
大きく息を吐き、今度は俺たち四人を見る。
「アレス。お前は本当に、毎回俺の想像を軽々と超えていくな」
「今回は四人だ」
「分かっている。ルナ、アイゼン、ガルム。お前たちも、とんでもない偉業を成し遂げた」
バルガスが頭をかき、再び地竜へ目を向ける。
「だが、今だけは少し待て。十二歳のBランク冒険者と、冒険者になってまだ三か月ほどの三人が地竜を持ち帰ったんだ。支部長をやっていても、こんな報告を平然と受け止められるわけがない」
ルナが満足そうに胸を張る。
「ようやく、わらわたちの偉大さが分かったか」
「嫌というほど分かった」
バルガスは額を押さえた後、騒ぎ続ける冒険者たちへ向き直った。
「静まれ! 気持ちは分かるが、まずは素材の確認と退治記録が先だ!」
支部長の怒鳴り声で、ようやく歓声が少しだけ収まった。バルガスが地竜の全身を見回す。
「解体はギルドへ任せるのか?」
「ああ。ただし、本部の確認が終わるまでは、もう一度ルナのマジックバッグで保管する。審査官が死体を確認した後に解体してもらい、素材はすべて持ち帰る」
「全部か? Sランク魔物の素材を、一つも売らないつもりか?」
「地竜の素材は、仲間の武具強化と今後の備えに必要だ」
地竜のうろこは、すでにガルムの大盾とアイゼンの鎧を強くした。牙、骨、皮、血、魔石にも、それぞれ使い道がある。これほどの素材を、金に換えるためだけに手放すつもりはない。
「道中で得た素材はどうする?」
「まず、俺たちに必要なものを確保する」
並べられた素材へ視線を移す。
「そのうえで、一部はアークハルト男爵家へ渡す。残りは、市場の相場を崩さない量だけギルドへ売る」
「なるほど。これだけの素材を一度に売りつけられたら、こちらも困るところだった」
必要なものは、仲間のために使う。領地へ譲った素材を、その後どう扱うかは父上が決めることだ。だが、鳳凰商会ならふさわしい値段で買い取り、加工と販売へ回せる。男爵家には素材の売却代金が入り、鳳凰商会も扱える商品が増える。
冒険者ギルドへも、必要とされる量の素材が回る。誰か一人が抱え込むより、その方が素材をむだなく使える。
職員たちが地竜の全身を測り、傷の位置を記録する。バルガスとミレイが確認書へ署名すると、ルナは地竜を王家のマジックバッグへ戻した。これなら、本部の審査官が到着するまで傷も血も変化しない。
バルガスは地竜と、俺たち四人を交互に見る。
「この手柄は、支部だけでは判断できん。すぐにギルド本部へ緊急報告を送る」
「昇格か?」
「少なくとも、審査は避けられん。アレス、お前はAランク。三人はBランクの昇格審査だ」
ルナが腕を組む。
「わらわたちは、やはりBランク止まりなのか?」
「お前たちは、冒険者になってまだ三か月ほどだと聞いているが」
「地竜を倒した」
「アレスと四人で、だろう?」
「わらわの指揮がなければ、アレスは今もかまれておる」
「それは本当なのか?」
「少し違う」
「違わぬ!」
バルガスが額を押さえた。
「詳しい話は、これから一人ずつ聞く。頼むから、同じ内容を話してくれ」
「事実を話せば同じになる」
「お前たちの場合、その事実が一番信じ難いんだ」
その日、ギルド本部へ一通の緊急報告が送られた。
それが、王国の冒険者史を塗り替える特別審査の始まりとなった。
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『婚約破棄され、冒険者パーティも追放されたモブ貴族です~前世の知識と転生特典で借金を返して楽しく生きるつもりが、いつの間にか英雄になりそうです~』
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