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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第十章 初代アークハルトの遺産編

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第136話 初代当主の遺産

 初代レグナス・アークハルトの残した監視砦。砦と呼ばれてはいるが、規模はそれほど大きくない。分厚い石壁に囲まれた、平屋の小さな監視拠点だ。その正門は、つるとこけに覆われていた。俺は取っ手へ絡みついたつるを引き千切り、厚い石造りの扉へ両手を当てる。


「開けるぞ」


「待て」


 ルナが俺の服をつかんだ。


「何だ?」


「そなた、罠がないか確かめたのか?」


「屋敷に残っていた古い資料では、正門に罠があるとは書かれていなかった」


「それだけで安全と決めつけるでない。資料に残っておらぬ罠があるかもしれぬじゃろう」


「もっともだ」


 言われてみれば、その可能性はある。滅びた未来で俺たちがここを見つけた時、砦の外壁は半分以上が崩れ、正門も地面へ倒れていた。


 俺たちは魔物の群れから身を隠すため、崩れた外壁から偶然中へ入った。今の砦は、あの時より何十年も、いや、それ以上に新しい。


「アイゼン、周囲を調べよ。ガルムはわらわの前へ」


「承知いたしました」


「承知」


 アイゼンが正門のわきへ回り、壁や地面を調べる。ガルムは地竜のうろこを取り込んだ大盾を背負ったまま、ルナの前へ立った。


 俺も《鑑定眼》だけに頼らず、扉の縁、取っ手、足元の石畳を順番に確認する。罠につながる糸も、魔力の流れもない。だが、別のものがあった。


「……油か」


 扉のちょうつがいへ指を触れる。黒く固まった古い油の上に、まだ粘りの残る新しい油が薄く塗られていた。何百年も放置された扉へ、自然に油が差されることはない。


 誰かが、ここへ入った。


「人の跡がある」


 俺の言葉に、三人の空気が変わった。アイゼンが剣を抜き、ガルムが強化された大盾を構える。ルナの足元では、赤黒い魔力が揺らめいた。


「今も中におるのか?」


「分からない。跡は新しいが、今日や昨日ではない」


「どれほど前じゃ?」


「正確には判断できない。数か月以内だろう」


 俺は耳を澄ませた。砦の中から聞こえるのは、すき間風の音と、時折落ちる小石の音だけだ。人や魔物の息遣いはない。


「先に中を調べる。何が起きても、四人で動け。勝手に離れるな」


「そなたにだけは言われとうない」


「俺は離れない」


「戦いが始まれば、真っ先に一人で飛び込むではないか!」


「今回は探索だ」


「地竜に二度もかまれた直後の言葉とは思えぬのう」


 ルナは疑わしそうに俺を見たが、それ以上は言わなかった。俺は扉へ力を込める。低い音を立てながら、石造りの正門がゆっくりと開いた。


 ◇


 砦の中は、滅びた未来で見た時より、はるかに元の形を残していた。正門の先にあるのは、十人も入ればせまく感じるほどの小さな玄関広間だ。


 低い天井は一部が崩れ、床には石のかけらと枯れ葉が散らばっている。その下には分厚くほこりが積もっていたが、正門から奥へ向かう一筋だけが薄くなっていた。風や小動物が作った跡ではない。


 左右の壁には、魔の森と北の海を描いた石の地図。正面には、初代のころに使われていたアークハルト家の紋章が刻まれている。アイゼンが持ち運べる照明魔道具へ魔力を流すと、淡い光が周囲を照らした。


「アイゼン」


「何でしょうか、姫様」


「わらわが持とう」


「なりません。足元が崩れる危険がございます」


「そなたは先頭を警戒せねばならぬであろう」


「姫様のお側を離れる方が危険です」


「だから四人で固まって進むと言っただろう」


「貴様は黙っていろ」


 俺には敬語を使わない。だが、ルナに対する態度は以前よりさらに丁寧になっている。どうやら地竜戦で無理をさせたことを、まだ気にしているらしい。


「光なら俺が持つ」


 アイゼンから照明魔道具を受け取る。これで話は終わりだ。


 迷わず正面の通路を進む。左手には、朽ちた長机が並ぶ作戦室。右手には、崩れた棚と古い武具が残る倉庫。その奥には、ベッドが四つ並ぶだけの小さな休憩室がある。兵が大勢で詰めるための砦ではない。少人数で森の異変を監視し、領地へ知らせるための場所だったのだろう。どの部屋にも人の気配はない。


「待て、アレス」


 背後から、アイゼンの声が飛んだ。


「何だ?」


「貴様、ここへ来たことがあるのか?」


「ない」


「では、なぜ一度も迷わない」


 足を止めて振り返る。ルナとガルムも、同じ疑問を抱いているようだった。考えてみれば、初めて来た人間が迷わず正面の通路を選び、左右の部屋へ視線を向けることもなく奥へ進めば、不自然に見えるのは当然だ。


「屋敷にあった資料で、砦の造りを見た」


「内部の道順まで記されておったのか?」


「大体は」


「大体?」


 ルナの赤い瞳が細くなる。


「あとは、なんとなく分かる」


「なんとなくで、何百年も前の砦を歩けるか!」


 アイゼンがかみつく。


「歩けている」


「そういう意味ではない!」


「アレスだから」


 ガルムが納得したようにうなずいた。


「ガルム、そこで納得するでない!」


 ルナの声が、小さな砦の中へ響いた。誤魔化せたのかは分からない。少なくとも、これ以上は追及されなかった。


 作戦室の壁には、魔の森に生息していた魔物の分布が記されていた。ほとんどは風化して読めない。それでも、北へ進むほど危険を示す印が増えていることは分かった。


「ずいぶんと昔から、魔の森の奥ほど魔物が強いと知られておったのじゃな」


「初代レグナスは、その原因も調べていたようだ」


 北の海を示す石板の先。そこには、今の王国ではほとんど使われていない古い文字が刻まれていた。


『北海より流れ来る濁り、獣を侵し、森を変ず』


 濁りとは、瘴気のことだろう。魔大陸から海を越えて流れ込む瘴気が魔物を変化させていることを、初代レグナスは何百年も前に突き止めていた。だからこそ、魔の森の一番奥に監視砦を築いた。魔物が強くなる原因と、森の異変を、誰より早く知るために。


「初代とやらは、ずいぶんと無茶をする男だったようじゃな」


 ルナが石の地図を見上げる。


「この砦を築いたころ、周囲には道もなかったはずじゃ。小さいとはいえ、これだけの石材を奥まで運び込むなど、普通は考えぬ」


「アークハルト家らしいだろう」


「そなたの祖先じゃと納得できるのが、何とも腹立たしいのう」


「なぜ腹を立てる?」


「無茶をするところまで似ておるからじゃ」


 否定はできない。


 作戦室を出て、さらに奥へ進む。誰かが入った跡は、正門からこの辺りまで続いていた。作戦室の棚が動かされ、倉庫の箱もいくつか開けられている。何かを探した跡だ。だが、金品を持ち去ったようには見えない。そもそも、砦に残る武具や道具は、すでに使えないものばかりだ。


「盗賊ではなさそうじゃな」


「ああ」


「何を探しておった?」


「分からない」


 俺たちが目指す保管庫は、この先にある。もし侵入者が同じものを探していたとしても、開けることはできない。


 通路の突き当たりで足を止める。壁にしか見えない場所へ、古いアークハルト家の紋章が小さく刻まれていた。タカの眼にあたる部分へ指を押し込むと、石壁の奥から重いものが動く音が響く。壁の一部が横へずれ、下へ続く短い階段が現れた。


「このような場所、よく見つけたのう」


「屋敷の資料に、保管庫は砦の一番奥と書かれていた」


「隠し扉の開け方までか?」


「それは、なんとなくだ」


「また、なんとなくか」


 ルナが疑わしそうに俺を見る。


「アレスだから」


 ガルムが、またうなずいた。


「そなたは少し疑うことを覚えよ!」


 階段を下りる。その先にあったのは、小さな石室と一枚の扉だった。扉の中央には、古いアークハルト家の紋章。周囲には、何重もの魔法陣が刻まれている。誰かが調べた跡は、ここにもあった。魔法陣の一部には土が擦りつけられ、扉の縁には細い金属を差し込んだ傷が残っている。それでも、封印そのものは壊れていない。


「これが血統封印か」


 ルナが魔法陣をのぞき込む。


「ああ。アークハルト家の血を引く者にしか開けられない」


「そなたの血で開くのか?」


「開く」


「ずいぶんと自信があるのう」


「アークハルト家の血を引いているからな」


 滅びた未来でも、この封印だけは生きていた。あの時は、なぜアークハルト家の遺産が魔の森の奥に残されているのか分からなかった。領都も屋敷も焼け落ち、古い記録は失われていたからだ。


 今の俺は、屋敷に残る資料を読み、この砦を築いた者の名を知っている。初代レグナス・アークハルト。アークハルト家が守り続けてきたものを、最初に背負った男だ。


 俺は右の人差し指をかみ、血を一滴、紋章へ落とした。血が細い溝を走る。タカの翼から大樹へ。大樹の根から、扉を囲む魔法陣へ。淡い緑色の光が石室を満たした。


『森を越えさせるな』


 扉の上へ、古い文字が浮かび上がる。


『民の盾となれ』


 次の言葉が現れる。


『恐れるな。退くな。諦めるな』


 アークハルト家に代々伝わる、三つの家訓。その原文が、ここに刻まれていた。


 子どものころの俺は、この言葉が嫌いだった。何をしても認められず、初代や父上のような立派な当主になれと責められているように感じていた。だから、学ぶことからも、鍛えることからも逃げた。家の名を振りかざし、周囲を見下し、自分の弱さを隠した。


 領地が滅びて、すべてを失ってから、ようやく言葉の意味を知った。これは、後代の者を縛るための言葉ではない。何のために力を得るのか、迷った時に戻る場所だ。


 初代は家訓だけを残したのではない。後代の者が本当に森の脅威と戦えるように、力までここへ残した。


「開くぞ」


 光に包まれた扉へ手を掛ける。今度は、ほとんど力を入れずに扉が開いた。


 その奥に残されていたのは、たった三冊の書物だった。


 滅びた未来で、俺たち五人を幾度も救った力。


 初代レグナスの真の遺産が、何百年もの時を越えて、俺たちを待っていた。

新連載

『婚約破棄され、冒険者パーティも追放されたモブ貴族です~前世の知識と転生特典で借金を返して楽しく生きるつもりが、いつの間にか英雄になりそうです~』

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