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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第十章 初代アークハルトの遺産編

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第133話 地竜との死闘

 岩山のような影――地竜が、ほえ声を上げた。


 大気が震え、木々の葉が一斉に舞い上がる。足元の土まで細かく跳ねた。ただの声ではない。地属性の魔力を帯びたほえ声が、大地を通して身体の内側まで揺らしている。


 全長は、尾まで含めれば十五メートルを超えるだろう。飛竜のような翼はない。その代わり、四本の脚は巨木の幹より太く、全身を覆ううろこは一枚一枚が岩盤のように分厚い。


 飛ばない竜ではない。空を必要としない竜だ。


 地に立つ限り、あれは周囲の大地すべてを武器にできる。


「俺が正面から攻める」


 地竜から目を離さず、三人へ告げる。


「ルナは後方から全体を見て指示を出せ。アイゼンは脚の関節を狙え。うろこを斬ろうとする必要はない。雷を内部へ通し、動きを鈍らせろ」


「分かった」


「ガルムはルナを守れ。突進は正面から止めようとするな。受け流して、向きを変えるだけでいい」


「承知した」


 ガルムが大盾を構え、ルナの前へ立つ。


「待て」


 ルナが俺を見る。


「なぜわらわが指揮を執るのじゃ?」


「俺は地竜の懐へ入る。全体を見る余裕がなくなる」


「そなたがわらわの指示を聞くのか?」


「聞く」


「本当じゃろうな?」


「正しい指示ならな」


「一言余計じゃ!」


 いつもの調子で言い返しながらも、ルナの視線はすでに地竜へ戻っている。残る魔力は多くない。先ほどの金剛巨猿戦で、昼間の身体に無理をさせたばかりだ。


 それでも、ルナならできる。滅びた世界でも、俺たちが四方から襲われた時、誰より早く戦場全体を見ていたのはルナだった。


「アイゼン」


「何でしょうか、姫様」


「わらわのことは気にするな。そなたは地竜の脚だけを見よ」


「ですが――」


「ガルムがおる。アレスもおる。それでも不安か?」


 アイゼンが一瞬だけ黙る。


「……承知いたしました。必ず、あの脚を止めてまいります」


「うむ」


 ルナが満足そうにうなずいた。


 地竜の前脚が持ち上がった。


「散れ!」


 ルナの声と同時に、四人が別々の方向へ跳んだ。地竜が前脚を地面へたたきつける。


 次の瞬間、俺たちが立っていた場所から、何十本もの岩の槍が突き上がった。一本一本が、人の胴ほども太い。


 遅れていれば、身体を貫かれるだけでは済まなかった。岩の槍に押し上げられ、空中で四肢を引き裂かれていただろう。


「愛がないのう!」


 岩の槍の間を抜けながら、ルナが叫ぶ。


「だから《愛の修練》ではないと言っただろう」


「改めて実感したのじゃ! そなたの訓練には、まだ愛があった!」


「ようやく分かったか」


「比較する相手が悪すぎるだけじゃ!」


 地竜の黄褐色の眼が、声を上げたルナへ向いた。


「姫様!」


 アイゼンがルナと地竜の間へ入ろうとする。


「アイゼン、脚じゃ!」


 ルナが鋭く命じた。


 アイゼンの足が止まる。ほんの一瞬の迷い。


 だが、次の瞬間には地面を蹴り、地竜の右前脚へ向かっていた。


 ルナの前には、すでにガルムがいる。


 地竜が頭を下げ、岩盤のような額を前へ突き出して走り出す。太い脚が地面をえぐった。


 速い。


 十五メートルを超える巨体が、あっという間にルナとガルムへ迫った。


「ガルム。右へ流せ!」


「承知」


 ガルムが大盾を斜めに構える。


 俺は地竜の左側から《縮地(シュクチ)》で踏み込んだ。


 狙うのはあごの付け根。


 頭を低くした今なら届く。


 右脚を地面へ突き立て、腰を回す。拳へ闘気を集めた。


「《破砕》!」


 地竜のあごへ拳を打ち込む。


 轟音が響いた。


 岩のようなうろこへ亀裂が走り、地竜の頭がわずかに右へずれる。


 だが、止まらない。


「ぬん!」


 正面から迫った地竜の額に、ガルムの大盾が触れた。受け止めてはいない。斜めに構えた盾の表面を滑らせ、地竜の頭をさらに右へ逸らしている。


 それでも、力の差が大きすぎた。


 ガルムの両足が地面を削る。大盾から金属のきしむ音が上がり、表面に亀裂が走った。


「ガルム、離れよ!」


 ルナの声が飛ぶ。


 ガルムは大盾を押し込み、その反動で横へ跳んだ。


 地竜が二人のわきを通り過ぎる。


 その巨体が触れただけで、巨木が二本まとめてへし折れた。


 ガルムは地面を何度も転がり、大きく張り出した木の根へ背中からぶつかった。


「ガルム!」


「無事だ」


 すぐに立ち上がる。大盾の右側は大きくゆがみ、左腕からは血が流れていた。だが、骨は折れていない。あの突進を正面から止めず、わずかでも逸らしたからこそ、その程度で済んだ。


 地竜が前脚で地面をかき、こちらへ向き直ろうとする。


 その右前脚へ、アイゼンが迫っていた。


「雷閃《瞬牙(シュンガ)》!」


 青白い光が走り、剣がうろことうろこのすき間へ入った。刃は、わずかにしか通っていない。だが、剣から放たれた雷が、うろこの下へ流れ込む。


 地竜の右前脚が大きく震えた。アイゼンは一撃で離れず、同じ場所へ二撃、三撃と剣を入れる。雷が走るたび、太い脚の筋肉がこわばった。


 地竜の尾が動く。


「アイゼン、上じゃ!」


 ルナの声に、アイゼンが即座に地面へ伏せた。頭上を巨大な尾が通り過ぎ、巻き起こった風だけでアイゼンの身体が地面を滑った。


「助かりました、姫様」


「礼は後じゃ。左へ走れ!」


「はい!」


 アイゼンが低い姿勢のまま駆ける。地竜の尾が追うが、わずかに届かない。


 俺は反対側から地竜へ接近した。


 先ほど亀裂を入れたあごのうろこへ、今度はかかとをたたき込む。一枚のうろこが砕け、破片が飛んだ。


 地竜が痛みにほえ、巨大な口を開いた。俺へ牙が迫る。


 横へ避ける。


 地竜のあごが、俺の左腕だけを捉えた。


 竜の牙が肩と前腕へ食い込み、骨を砕く。そのまま頭を振られ、身体が宙へ持ち上がった。


「アレス!」


「問題ない!」


 かまれた左腕を捨てるように身体を回し、右の手のひらの付け根を地竜の鼻先へ打ち込んだ。


 地竜のあごが開く。


 俺は地面へ落ち、すぐに距離を取った。左腕は、肩から先が不自然な方向へ曲がっている。


 《超再生》を働かせる。砕かれた骨が元の位置へ戻り、牙に裂かれた筋肉がつながっていく。


 指を開く。


 握る。


 問題ない。


「相変わらず、気味の悪い治り方じゃな」


「便利だろう」


「否定はせぬ」


 地竜の口の奥へ、黄褐色の魔力が集まり始めた。土や石が地面から浮き上がり、吸い込まれるように口元へ集まっていく。


「全員、地竜の横へ回れ! 正面に立つでない!」


 ルナの声が響く。


 俺は右へ走る。アイゼンは左へ。ガルムはルナの前を離れず、二人で大きく回り込む。


 地竜が口を閉じる。


 次の瞬間、圧縮された岩と土砂の奔流が放たれた。地面をえぐり、巨木を粉々に砕きながら、一直線に森の奥へ突き抜ける。通り過ぎた後には、幅数メートルの深い溝が残っていた。


「あれは盾でも防げぬ」


 ガルムが静かに告げる。


「防がなくていい。避けろ」


「承知した」


 地竜が俺へ顔を向けた。最も多く傷をつけた俺を、先に排除するつもりらしい。


 望むところだ。


「俺が引きつける。右前脚を続けて狙え」


「貴様、姫様の指揮を聞くと言っただろう!」


 地竜の向こう側から、アイゼンの声が飛ぶ。


「必要な指示だ」


「今はわらわも同じことを言おうとしておった!」


「なら問題ない」


 地竜が再び突進した。正面から見ると、岩山そのものが迫ってくるようだ。


 俺は逃げずに構える。


 地竜との距離が縮まる。


 十メートル。


 五メートル。


「アレス、左じゃ!」


 ルナの指示に従い、左へ踏み込む。


 地竜の頭が追ってくる。


 さらに左へ動くと見せ、右へ切り返した。俺を捉えようとした地竜の首が、わずかに伸びる。


 その瞬間、地面を蹴った。鼻先へ跳び乗り、岩のようなうろこを足場に頭上へ駆け上がる。


 地竜が頭を激しく振り、俺の身体が宙へ放り出される。待ち構えていた尾が、横から迫った。


 両腕を交差させる。


 尾が直撃した。骨の折れる音が、いくつも重なる。


 身体が弾き飛ばされ、二本の木を突き破った。三本目の幹へ背中からたたきつけられ、ようやく止まる。肺から息が押し出された。


 両腕。


 あばら骨。


 背骨。


 複数の骨が折れ、内臓も傷ついている。


 まともな人間なら、今の一撃で終わっていただろう。


 だが、俺は終わらない。


 口の中にたまった血を吐き出す。折れた骨がつながり、潰れた肺が元へ戻る。


 地面へ手をつき、立ち上がった。


「効いたな」


 それでも、滅びた未来で戦った竜種よりははるかに弱い。今の身体で届かない相手ではない。


 地竜が俺へ追撃しようとする。しかし、右前脚が動かなかった。アイゼンが関節の内側へ剣を突き立て、雷を流し続けている。


「いつまで、俺たちを無視している!」


 地竜が右前脚を振り上げた。


 アイゼンは剣から手を離し、後方へ跳ぶ。直後、前脚が地面へたたきつけられた。アイゼンの剣が、うろこのすき間へ刺さったまま残る。


「アイゼン、離れよ!」


「はい、姫様!」


 地竜の足元に、赤黒い魔法陣が広がった。ルナの指先から落ちた血が、地面を走る。


「血術《緋縛(ヒイロノイマシメ)》」


 血が何十本もの鎖へ変わり、右前脚へ巻きついた。一本ではない。二本、三本と重なり、うろこのすき間へ食い込んでいく。さらに別の鎖が、近くの巨木へ巻きついた。


 地竜が脚を持ち上げようとする。巨木の根が地面から浮かび、幹が大きくきしんだ。


「姫様、おやめください! 今のお身体では!」


「黙って剣を拾え! 長くは保たぬぞ!」


「……はい!」


 アイゼンが地面を蹴る。地竜の前脚が持ち上がり、血の鎖につながれた巨木が一本、根元から引き抜かれた。


 だが、その間にアイゼンは剣へたどり着いている。柄をつかみ、さらに深く押し込んだ。


「雷閃《天墜(テンツイ)》!」


 先ほど金剛巨猿を倒した雷が、今度は地竜の右前脚へ流れ込む。地竜の筋肉が大きくけいれんし、右前脚が地面へ崩れた。


「やったか?」


「まだじゃ!」


 ルナが叫ぶ。


 地竜は残る三本の脚で身体を支え、無理やり立ち上がった。怒りに染まった眼が、足元のアイゼンを捉える。巨大なあごが開いた。


「アイゼン!」


 ルナの血の鎖が伸びる。だが、先ほどまで地竜の脚を縛っていたため、間に合わない。


 俺は《縮地》で地面を蹴り、アイゼンのマントをつかんで横へ投げた。代わりに、地竜の牙が俺のわき腹へ食い込む。


 身体が地面へ押し倒される。上下から迫る牙。このままかみ砕くつもりだ。


 両手で上あごを押さえ、両足を下あごへ突き立てる。地竜のあごと、俺の全身がきしんだ。


「アレス!」


 投げられたアイゼンが体勢を整える。


「俺はいい! 脚を止めろ!」


「だが――」


「アイゼン!」


 ルナの声が飛ぶ。


「アレスの言うとおりにせよ!」


 アイゼンが奥歯をかみ締め、俺ではなくルナを見る。


「承知いたしました!」


 俺の身体をかみ砕こうとする地竜を背に、アイゼンは今度こそ振り返らず、右前脚へ走った。

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