第133話 地竜との死闘
岩山のような影――地竜が、ほえ声を上げた。
大気が震え、木々の葉が一斉に舞い上がる。足元の土まで細かく跳ねた。ただの声ではない。地属性の魔力を帯びたほえ声が、大地を通して身体の内側まで揺らしている。
全長は、尾まで含めれば十五メートルを超えるだろう。飛竜のような翼はない。その代わり、四本の脚は巨木の幹より太く、全身を覆ううろこは一枚一枚が岩盤のように分厚い。
飛ばない竜ではない。空を必要としない竜だ。
地に立つ限り、あれは周囲の大地すべてを武器にできる。
「俺が正面から攻める」
地竜から目を離さず、三人へ告げる。
「ルナは後方から全体を見て指示を出せ。アイゼンは脚の関節を狙え。うろこを斬ろうとする必要はない。雷を内部へ通し、動きを鈍らせろ」
「分かった」
「ガルムはルナを守れ。突進は正面から止めようとするな。受け流して、向きを変えるだけでいい」
「承知した」
ガルムが大盾を構え、ルナの前へ立つ。
「待て」
ルナが俺を見る。
「なぜわらわが指揮を執るのじゃ?」
「俺は地竜の懐へ入る。全体を見る余裕がなくなる」
「そなたがわらわの指示を聞くのか?」
「聞く」
「本当じゃろうな?」
「正しい指示ならな」
「一言余計じゃ!」
いつもの調子で言い返しながらも、ルナの視線はすでに地竜へ戻っている。残る魔力は多くない。先ほどの金剛巨猿戦で、昼間の身体に無理をさせたばかりだ。
それでも、ルナならできる。滅びた世界でも、俺たちが四方から襲われた時、誰より早く戦場全体を見ていたのはルナだった。
「アイゼン」
「何でしょうか、姫様」
「わらわのことは気にするな。そなたは地竜の脚だけを見よ」
「ですが――」
「ガルムがおる。アレスもおる。それでも不安か?」
アイゼンが一瞬だけ黙る。
「……承知いたしました。必ず、あの脚を止めてまいります」
「うむ」
ルナが満足そうにうなずいた。
地竜の前脚が持ち上がった。
「散れ!」
ルナの声と同時に、四人が別々の方向へ跳んだ。地竜が前脚を地面へたたきつける。
次の瞬間、俺たちが立っていた場所から、何十本もの岩の槍が突き上がった。一本一本が、人の胴ほども太い。
遅れていれば、身体を貫かれるだけでは済まなかった。岩の槍に押し上げられ、空中で四肢を引き裂かれていただろう。
「愛がないのう!」
岩の槍の間を抜けながら、ルナが叫ぶ。
「だから《愛の修練》ではないと言っただろう」
「改めて実感したのじゃ! そなたの訓練には、まだ愛があった!」
「ようやく分かったか」
「比較する相手が悪すぎるだけじゃ!」
地竜の黄褐色の眼が、声を上げたルナへ向いた。
「姫様!」
アイゼンがルナと地竜の間へ入ろうとする。
「アイゼン、脚じゃ!」
ルナが鋭く命じた。
アイゼンの足が止まる。ほんの一瞬の迷い。
だが、次の瞬間には地面を蹴り、地竜の右前脚へ向かっていた。
ルナの前には、すでにガルムがいる。
地竜が頭を下げ、岩盤のような額を前へ突き出して走り出す。太い脚が地面をえぐった。
速い。
十五メートルを超える巨体が、あっという間にルナとガルムへ迫った。
「ガルム。右へ流せ!」
「承知」
ガルムが大盾を斜めに構える。
俺は地竜の左側から《縮地》で踏み込んだ。
狙うのはあごの付け根。
頭を低くした今なら届く。
右脚を地面へ突き立て、腰を回す。拳へ闘気を集めた。
「《破砕》!」
地竜のあごへ拳を打ち込む。
轟音が響いた。
岩のようなうろこへ亀裂が走り、地竜の頭がわずかに右へずれる。
だが、止まらない。
「ぬん!」
正面から迫った地竜の額に、ガルムの大盾が触れた。受け止めてはいない。斜めに構えた盾の表面を滑らせ、地竜の頭をさらに右へ逸らしている。
それでも、力の差が大きすぎた。
ガルムの両足が地面を削る。大盾から金属のきしむ音が上がり、表面に亀裂が走った。
「ガルム、離れよ!」
ルナの声が飛ぶ。
ガルムは大盾を押し込み、その反動で横へ跳んだ。
地竜が二人のわきを通り過ぎる。
その巨体が触れただけで、巨木が二本まとめてへし折れた。
ガルムは地面を何度も転がり、大きく張り出した木の根へ背中からぶつかった。
「ガルム!」
「無事だ」
すぐに立ち上がる。大盾の右側は大きくゆがみ、左腕からは血が流れていた。だが、骨は折れていない。あの突進を正面から止めず、わずかでも逸らしたからこそ、その程度で済んだ。
地竜が前脚で地面をかき、こちらへ向き直ろうとする。
その右前脚へ、アイゼンが迫っていた。
「雷閃《瞬牙》!」
青白い光が走り、剣がうろことうろこのすき間へ入った。刃は、わずかにしか通っていない。だが、剣から放たれた雷が、うろこの下へ流れ込む。
地竜の右前脚が大きく震えた。アイゼンは一撃で離れず、同じ場所へ二撃、三撃と剣を入れる。雷が走るたび、太い脚の筋肉がこわばった。
地竜の尾が動く。
「アイゼン、上じゃ!」
ルナの声に、アイゼンが即座に地面へ伏せた。頭上を巨大な尾が通り過ぎ、巻き起こった風だけでアイゼンの身体が地面を滑った。
「助かりました、姫様」
「礼は後じゃ。左へ走れ!」
「はい!」
アイゼンが低い姿勢のまま駆ける。地竜の尾が追うが、わずかに届かない。
俺は反対側から地竜へ接近した。
先ほど亀裂を入れたあごのうろこへ、今度はかかとをたたき込む。一枚のうろこが砕け、破片が飛んだ。
地竜が痛みにほえ、巨大な口を開いた。俺へ牙が迫る。
横へ避ける。
地竜のあごが、俺の左腕だけを捉えた。
竜の牙が肩と前腕へ食い込み、骨を砕く。そのまま頭を振られ、身体が宙へ持ち上がった。
「アレス!」
「問題ない!」
かまれた左腕を捨てるように身体を回し、右の手のひらの付け根を地竜の鼻先へ打ち込んだ。
地竜のあごが開く。
俺は地面へ落ち、すぐに距離を取った。左腕は、肩から先が不自然な方向へ曲がっている。
《超再生》を働かせる。砕かれた骨が元の位置へ戻り、牙に裂かれた筋肉がつながっていく。
指を開く。
握る。
問題ない。
「相変わらず、気味の悪い治り方じゃな」
「便利だろう」
「否定はせぬ」
地竜の口の奥へ、黄褐色の魔力が集まり始めた。土や石が地面から浮き上がり、吸い込まれるように口元へ集まっていく。
「全員、地竜の横へ回れ! 正面に立つでない!」
ルナの声が響く。
俺は右へ走る。アイゼンは左へ。ガルムはルナの前を離れず、二人で大きく回り込む。
地竜が口を閉じる。
次の瞬間、圧縮された岩と土砂の奔流が放たれた。地面をえぐり、巨木を粉々に砕きながら、一直線に森の奥へ突き抜ける。通り過ぎた後には、幅数メートルの深い溝が残っていた。
「あれは盾でも防げぬ」
ガルムが静かに告げる。
「防がなくていい。避けろ」
「承知した」
地竜が俺へ顔を向けた。最も多く傷をつけた俺を、先に排除するつもりらしい。
望むところだ。
「俺が引きつける。右前脚を続けて狙え」
「貴様、姫様の指揮を聞くと言っただろう!」
地竜の向こう側から、アイゼンの声が飛ぶ。
「必要な指示だ」
「今はわらわも同じことを言おうとしておった!」
「なら問題ない」
地竜が再び突進した。正面から見ると、岩山そのものが迫ってくるようだ。
俺は逃げずに構える。
地竜との距離が縮まる。
十メートル。
五メートル。
「アレス、左じゃ!」
ルナの指示に従い、左へ踏み込む。
地竜の頭が追ってくる。
さらに左へ動くと見せ、右へ切り返した。俺を捉えようとした地竜の首が、わずかに伸びる。
その瞬間、地面を蹴った。鼻先へ跳び乗り、岩のようなうろこを足場に頭上へ駆け上がる。
地竜が頭を激しく振り、俺の身体が宙へ放り出される。待ち構えていた尾が、横から迫った。
両腕を交差させる。
尾が直撃した。骨の折れる音が、いくつも重なる。
身体が弾き飛ばされ、二本の木を突き破った。三本目の幹へ背中からたたきつけられ、ようやく止まる。肺から息が押し出された。
両腕。
あばら骨。
背骨。
複数の骨が折れ、内臓も傷ついている。
まともな人間なら、今の一撃で終わっていただろう。
だが、俺は終わらない。
口の中にたまった血を吐き出す。折れた骨がつながり、潰れた肺が元へ戻る。
地面へ手をつき、立ち上がった。
「効いたな」
それでも、滅びた未来で戦った竜種よりははるかに弱い。今の身体で届かない相手ではない。
地竜が俺へ追撃しようとする。しかし、右前脚が動かなかった。アイゼンが関節の内側へ剣を突き立て、雷を流し続けている。
「いつまで、俺たちを無視している!」
地竜が右前脚を振り上げた。
アイゼンは剣から手を離し、後方へ跳ぶ。直後、前脚が地面へたたきつけられた。アイゼンの剣が、うろこのすき間へ刺さったまま残る。
「アイゼン、離れよ!」
「はい、姫様!」
地竜の足元に、赤黒い魔法陣が広がった。ルナの指先から落ちた血が、地面を走る。
「血術《緋縛》」
血が何十本もの鎖へ変わり、右前脚へ巻きついた。一本ではない。二本、三本と重なり、うろこのすき間へ食い込んでいく。さらに別の鎖が、近くの巨木へ巻きついた。
地竜が脚を持ち上げようとする。巨木の根が地面から浮かび、幹が大きくきしんだ。
「姫様、おやめください! 今のお身体では!」
「黙って剣を拾え! 長くは保たぬぞ!」
「……はい!」
アイゼンが地面を蹴る。地竜の前脚が持ち上がり、血の鎖につながれた巨木が一本、根元から引き抜かれた。
だが、その間にアイゼンは剣へたどり着いている。柄をつかみ、さらに深く押し込んだ。
「雷閃《天墜》!」
先ほど金剛巨猿を倒した雷が、今度は地竜の右前脚へ流れ込む。地竜の筋肉が大きくけいれんし、右前脚が地面へ崩れた。
「やったか?」
「まだじゃ!」
ルナが叫ぶ。
地竜は残る三本の脚で身体を支え、無理やり立ち上がった。怒りに染まった眼が、足元のアイゼンを捉える。巨大なあごが開いた。
「アイゼン!」
ルナの血の鎖が伸びる。だが、先ほどまで地竜の脚を縛っていたため、間に合わない。
俺は《縮地》で地面を蹴り、アイゼンのマントをつかんで横へ投げた。代わりに、地竜の牙が俺のわき腹へ食い込む。
身体が地面へ押し倒される。上下から迫る牙。このままかみ砕くつもりだ。
両手で上あごを押さえ、両足を下あごへ突き立てる。地竜のあごと、俺の全身がきしんだ。
「アレス!」
投げられたアイゼンが体勢を整える。
「俺はいい! 脚を止めろ!」
「だが――」
「アイゼン!」
ルナの声が飛ぶ。
「アレスの言うとおりにせよ!」
アイゼンが奥歯をかみ締め、俺ではなくルナを見る。
「承知いたしました!」
俺の身体をかみ砕こうとする地竜を背に、アイゼンは今度こそ振り返らず、右前脚へ走った。




