第132話 誰も欠けさせない戦い方
金剛巨猿へ向き合う三人の姿に、滅びた未来の光景が重なった。
空は瘴気に覆われ、大地には魔族と魔物の死骸が何重にも積み重なっている。俺たちは、数え切れないほどの敵に囲まれていた。
前ではガルムが大盾を構え、押し寄せる攻撃を一歩も後ろへ通さない。その盾を足場にアイゼンが敵陣へ飛び込み、ルナの血鎖が、深追いしたあいつを死の間際で引き戻す。俺が正面を食い破り、クロウが敵の背後から指揮官を仕留める。
言葉を交わす必要さえなかった。誰かが動けば、残る者たちはその意図を理解し、最も必要な場所を埋めていた。
あのころの三人と比べれば、今はまだ力も技も遠く及ばない。それでも、根にあるものは同じだ。
自分が生き残るためではない。
誰一人、欠けさせないための戦い方。
滅びた世界で、何度も背中を預けた三人が、ここにもいた。
金剛巨猿が両拳を地面へたたきつけた。地面が割れ、土と石が噴き上がり、三人の姿が砂ほこりに隠れる。
俺はいつでも動けるよう、足へ力を込める。
だが、まだ必要ない。
「右へ!」
砂ほこりの中から、ルナの声が響く。
三人が同時に動いた。ガルムは右へ転がり、アイゼンは低く走る。ルナだけが、後方へ跳んだ。
次の瞬間、三人がいた場所を巨猿の拳がなぎ払う。
大木が二本まとめて折れた。
砂ほこりで姿が見えなくなる直前、ルナは巨猿の肩と腰の動きから攻撃の進む方向を読んでいた。視界を奪われてから慌てて指示したのではない。敵が動き出す前に退路を決め、二人へ伝えたのだ。
状況判断の速さも、指示の短さも申し分ない。
「ガルム、足を止めよ!」
「承知した」
ガルムが大盾を地面へ突き立てる。
土の壁が金剛巨猿の背後へせり上がり、退路を塞いだ。
巨猿が振り返る。
「俺を見ろ」
アイゼンが正面へ踏み込んだ。
雷をまとった剣を、あえて大きく振り上げる。狙いが分かりやすすぎる。
金剛巨猿が残った左目でアイゼンを捉え、右腕を振り下ろした。
「雷閃《瞬牙》!」
拳が届く直前、アイゼンの姿が消え、金剛巨猿の懐へ潜り込んだ。
斬撃は胸の体毛に阻まれる。
だが、剣から放たれた雷が胸から全身へ走った。
金剛巨猿の動きが、一瞬止まる。
大きく剣を振り上げたのは、すきができたからではない。あえて狙いを見せ、残った左目を自分へ向けさせた。避けることまで含めたおとりだ。
自分で傷つけることにこだわらず、ルナが最大の一撃を放つ時間を作った。アイゼンもまた、戦場での自分の役割を正しく選んでいる。
「姫様!」
「分かっておる!」
巨猿の頭上に、巨大な闇の槍が現れた。先ほど炎牙獅子を倒したものより、はるかに太い。
「闇槍《黒穿》!」
ルナが両手を振り下ろし、黒い槍が落ちる。
金剛巨猿は動かない右脚を無理やり踏ん張り、左腕を頭上へ上げた。
金属のような体毛と闇の槍がぶつかる。
黒い光が弾けた。
槍は左腕を半ばまで貫いたが、頭へは届かなかった。
「まだじゃ!」
ルナがさらに魔力を注ぎ込む。
昼間の身体へ大きな負担がかかっている。額へ汗が浮かび、唇から血の気が引いていく。
アイゼンがそれに気づいた。
「姫様! もう十分です!」
「黙れ! わらわへ指図するでない!」
金剛巨猿が左腕へ力を込め、闇の槍を押し返そうとする。
その足元へ、ガルムが滑り込んだ。
「上を見るな」
大盾の縁を、動かない右膝へたたき込む。鈍い音が響き、骨が砕けた。
金剛巨猿の巨体が前へ崩れ、闇の槍を押さえていた左腕の力が抜けた。
ガルムは、ルナの指示を待っていなかった。敵の意識が頭上へ向き、傷ついた右脚への警戒が消えた瞬間を自分で見極めたのだ。
守るべき時には盾となり、好機が来れば迷わず敵の足を砕く。守るだけでは、仲間を守り切れない。それを、ガルムは感覚で理解している。
「今じゃ!」
ルナの声と共に、アイゼンが跳ぶ。
ガルムの大盾を踏み台にし、巨猿の頭より高く舞い上がる。剣へ残る雷をすべて集めた。
「雷閃《天墜》!」
落下の勢いを乗せ、先ほど潰した右目へ剣を突き込む。
刃が目の奥を抜け、頭蓋の奥へ達した。
同時に、ルナの闇の槍が左腕を貫通し、金剛巨猿の首へ突き刺さる。巨体が地面へ倒れ、森全体が揺れるほどの音が響いた。
三人はすぐに距離を取り、倒れた金剛巨猿を警戒する。
巨猿は一度だけ指を動かし、それきり動かなくなった。
「退治完了だ」
俺が告げると、三人がようやく構えを解いた。
「よくやった」
三人の視線が、俺へ集まる。
「ガルム。最初の一撃で力の差を測り、次から正面で受けずに流した判断がよかった。最後に指示を待たず、右膝を砕いたのも見事だ」
「うむ」
ガルムが、いつもと変わらない顔でうなずく。
「アイゼン。斬れないと分かると、すぐに雷へ切り替えた。途中でおとりに回った判断も正しい。自分の一撃にこだわらず、三人で勝つために動けていた」
「……当然だ」
ぶっきらぼうに答えたが、その口元はわずかに緩んでいた。
「そして、ルナ」
「わらわは褒めずともよいぞ。わらわが優れておることなど、初めから分かり切っておるからのう」
そう言いながらも、赤い瞳は俺の言葉を待っている。
「敵だけでなく、常に二人の位置と状態を見ていた。攻撃、敵の動きを封じること、仲間を助けることの切り替えも早い。何より、二人へ出した指示に一度も迷いがなかった。指揮役として申し分ない」
「そうであろう、そうであろう」
ルナが満足げに何度もうなずく。
昼の不満げな顔から一転して、ずいぶんと機嫌がよい。
褒められたかったのなら、最初からそう言えばいい。
「三人とも、強くなった」
技や魔力だけの話ではない。互いを知り、互いの力を信じ、自分が何をすべきか判断できるようになった。
三人で戦う意味を、三人自身が理解し始めている。
「今の戦いなら、安心して背中を預けられる」
その言葉に、三人の表情が止まった。アイゼンは目を見開き、ガルムもわずかにあごを上げる。ルナだけが、誇らしげに目を細めた。
「ふふ。ようやく分かったか」
「ああ」
滅びた未来で預けた背中を、まだ滅びていない今、もう一度預ける。
その事実が、胸の奥に静かな熱を残した。
アイゼンが真っ先にルナへ駆け寄る。
「姫様!」
「大声を出すな。わらわは無事じゃ」
「お顔の色が優れません」
「昼間に少し魔力を使いすぎただけじゃ」
「お休みください」
「この程度で休んでおれるか」
「姫様」
アイゼンが珍しく、引かなかった。
ルナが困ったようにまゆを寄せる。
「……少しだけじゃぞ」
「はい」
アイゼンの表情が、わずかに緩んだ。
ガルムは二人の横で、金剛巨猿を見上げている。
「これも持ち帰るか?」
「ああ。毛皮と骨は高く売れる」
「なら、菓子が増える」
「報酬を全部、菓子に変えるつもりか?」
「肉も買う」
俺は金剛巨猿を《亜空間》へ収める。
その瞬間、足元から小さな振動が伝わった。
最初は、巨猿が倒れた余韻かと思った。
違う。
一定の間隔で、地面が揺れている。
一度。
二度。
三度。
次第に、振動が大きくなる。
「何じゃ?」
休もうとしていたルナが顔を上げた。
ガルムが地面に手を触れる。
「下ではない」
短く告げる。
「前から来る」
俺たちは同時に北を見た。木々の向こうに、岩山のような影がある。
滅びた未来では、そこに岩山などなかった。
影が動く。
巨木が一本、根元から押し倒された。
続いて二本。
三本。
地面を覆っていた岩だと思っていたものが持ち上がり、黄褐色の巨大な眼が開いた。
太い四肢。長い尾。全身を覆う、岩盤のようなうろこ。
地をはう竜が、ゆっくりと頭を上げる。《鑑定眼》が、その正体を映し出した。
Sランク下位指定魔物――《地竜》。地面をはう、岩のようなうろこに覆われた竜だ。
ルナの赤い瞳が細くなる。
「アレス」
「何だ?」
「あれも、《愛の修練》か?」
「違う」
俺は地竜から目を離さず、構えを取る。
「あれの攻撃だけは、絶対に受けるな」
今までとは違う俺の声に、三人の表情からわずかな緩みが消えた。
アイゼンが剣を抜き、ガルムが大盾を構える。
ルナも休むことをやめ、残る魔力を集め始めた。
「逃げるのか?」
ガルムが尋ねる。
地竜の向こうに、初代レグナスの砦がある。それだけではない。この個体を放置すれば、いずれ中層や浅層へ下り、騎士や冒険者、領民へ被害を出す可能性もある。
「いや」
地竜が口を開いた。
森の空気が震え、大地そのものがほえたようなほえ声が響く。
「俺たち四人で、ここで倒す」




