第130話 炎と刃の修練
ルナの叫びに応じるように、前方の木々が大きく揺れた。枝が折れ、茂みの奥から一頭の獅子が姿を現す。
体長は三メートルを超えている。赤黒い毛並みの間から炎が漏れ、開かれた口の奥では、燃えるような魔力が渦を巻いていた。炎を吐くBランク指定魔物《炎牙獅子》。先ほどのほえ声の主だ。
「やはり、ちょうどよかったな」
「どこがじゃ!」
ルナの髪は、痺角鹿の雷を受けたせいで、まだわずかに逆立っている。
「《炎熱耐性》を得られる」
「聞きたくなかった!」
炎牙獅子が再びほえた。口から炎があふれ、周囲の草が一瞬で燃え上がる。
「姫様、お下がりください」
アイゼンがルナの前へ出る。ガルムも大盾を構えた。
「待て。まだ防ぐな」
「貴様は、またそれか!」
「あの炎を受けろと申すのか!」
「正面から受ければ火傷では済まない。端だけを受ける」
炎牙獅子ののどが大きく膨らんだ。俺は三人の前へ立つ。
「俺が威力を弱める。炎が触れたら、すぐに横へ抜けろ」
「安心しろとは言わぬのじゃな」
「もう信用しないのだろう?」
「そなたのせいじゃ!」
炎が放たれた。
赤い奔流が、木々の間を埋め尽くしながら迫ってくる。俺は両手を前へ出し、闘気を薄く広げた。炎の中心を左右へ割り、勢いを失った熱だけを四人の身体へ通す。
肌が焼け、息を吸うたびにのどが熱を持つ。だが、致命傷には程遠い。
「今だ。横へ抜けろ」
俺は右へ跳び、ガルムも続いた。だが、ルナとアイゼンだけはその場に残り、二人とも俺をにらんでいた。
「何をしている。早く抜けろ」
「そなた、後で覚えておれ!」
「姫様、こちらへ!」
アイゼンがルナを抱えて炎の外へ飛び出した。マントの端から白い煙が上がっている。
「アイゼン」
「はい。おけがはございませんか?」
「わらわは無事じゃ。じゃが、髪が焦げておらぬか?」
アイゼンが真剣な顔で、ルナの長い髪を確かめる。
「焦げてはおりません」
「本当か?」
「はい。一筋たりとも」
「ならばよい」
二人がそろって安堵した。
「次が来るぞ」
「余韻くらい与えよ!」
炎牙獅子が地面を蹴った。炎をまとった巨体が、真っ直ぐルナへ迫る。アイゼンが剣を抜こうとするより先に、ルナが片手を上げた。
「そこを退け、アイゼン」
「ですが、姫様」
「わらわの獲物じゃ」
赤い瞳が細くなる。ルナの指先から血が一滴落ち、地面へ触れる前に何十本もの細い槍へ変わった。血の槍は炎牙獅子の四肢を四方から貫き、その巨体を地面へ縫い止める。
それでも炎牙獅子は止まらない。筋肉を膨らませ、血の槍を力任せに砕こうとする。
「昼間でも、これだけ動けるようになったか」
「誰のせいで、毎朝日の出と共に鍛えられておると思うておる!」
「訓練の成果だな」
「褒めておらぬ!」
ルナが開いた手を握り締める。
「血術《緋縛》」
折れかけていた血の槍が一斉に形を変え、赤黒い鎖となって炎牙獅子の身体へ絡みつく。鎖が四肢と首を締め上げ、炎牙獅子の頭がわずかに下がった。そのまゆの間へ、一本の黒い槍が浮かぶ。
「闇槍《黒穿》」
黒い光が一直線に走った。闇の槍は炎を突き抜け、炎牙獅子のまゆの間から後頭部までを貫く。巨体が力を失い、その場へ崩れ落ちた。
ルナがマントのほこりを払い、得意げに胸を張る。
「Bランクというても、この程度か」
「ああ、ルナ。お前はもっと強くなる」
「当然じゃ。わらわを誰だと思うておる」
そんなルナへ、アイゼンが駆け寄る。
「姫様、お見事でございました」
「うむ」
「お身体に火傷は?」
「この程度、すぐに治る」
「念のため、確認を」
「必要ない」
「ですが――」
「アイゼン」
「……承知しました」
アイゼンは心配そうにしながらも、一歩下がった。俺は《鑑定眼》で四人の状態を見る。
「もう一度だな」
ルナの笑みが消えた。
「何がじゃ?」
「まだ《炎熱耐性》が根づいていない」
「今の相手は、わらわが倒したぞ」
「そうだな」
「もう炎は吐かぬぞ」
「そうだな」
「では、どうするつもりじゃ?」
炎牙獅子が燃やした草木は、今も炎を上げている。俺がそちらを見ると、ルナもゆっくりと顔を向けた。
「まさか……」
「あの中を走る」
「断る!」
「危険のない温度まで俺が抑える」
「温度の問題ではない! なぜ倒した後まで訓練が続くのじゃ!」
「耐性が得られていないからだ」
「姫様。俺が先に参ります」
アイゼンが覚悟を決めた顔で、炎へ向かう。
「待て、アイゼン。そなたまで受け入れるでない!」
「姫様をお一人で行かせるわけにはまいりません」
「一人ではない。全員で行く」
「そなたは黙っておれ!」
結局、四人で燃える草地を三往復した。一往復目でアイゼンがルナをかばい、必要以上に炎を受けた。二往復目では、ガルムが炎の中で焼けた木の実を拾おうとしたため、もう一度やり直しになった。
三往復目を終え、《鑑定眼》で確かめる。全員に《炎熱耐性》が加わっていた。
「取れたぞ」
「当然じゃ! これで取れておらねば、そなたを炎の中へ置いていくところであった!」
「俺も一緒に走っただろう」
「平然と歩いておったではないか!」
ルナが自分の髪へ触れる。
「それより、本当に焦げておらぬな?」
「はい。姫様の御髪は、変わらず美しゅうございます」
アイゼンは迷いなく答え、ルナが満足そうにうなずく。かなわないと分かっていても、こういう言葉は自然に出るらしい。
「アレス」
ガルムが炎牙獅子の死体を指さす。
「何だ?」
「持ち帰るのか?」
「ああ。炎牙獅子も痺角鹿も、使える素材が多い。肉も食べられる」
「今夜、食う」
「そうだな」
「入れろ」
「そのつもりだ」
炎牙獅子の巨体を《亜空間》へ収め、燃え残った火を消す。
魔物の肉には、普通の獣にはない魔毒が含まれている。人間が口にすれば身体を壊すが、ヴァンパイアである三人には問題ない。俺にも《魔毒耐性》があるため、ここにいる四人なら、魔物の肉を食べても何の問題もなかった。
火が完全に消えたことを確かめ、俺たちはさらに北へ進んだ。
◇
中層へ入ると、木々の形が変わり始めた。幹は太く、根は岩のように地面から張り出している。葉の色も浅層より濃く、枝のすき間から差し込む日の光はわずかだった。
空気に含まれる魔力も濃くなっている。正確には、魔力だけではない。北の海を越えた先にある魔大陸から、わずかな瘴気が流れ込んでいた。
今いる場所の濃さであれば、人間の身体へすぐに害が出るほどではない。だが、長く生息する魔物は瘴気を取り込み、肉体や魔力を変化させていく。
同じ種の魔物でも、浅層と中層では強さが違う。奥へ近づけば、その差はさらに大きくなる。
俺は進みながら、方角と地形を記録していた。大きく曲がった黒いかしの木、二つに割れた灰色の岩、水の流れるくぼ地、魔物が集まりやすい湿地。帰還後、騎士団や冒険者が使える地図へまとめるつもりだ。
「右から来る」
ルナが、俺よりわずかに早く告げた。周囲へ広げていた魔力が、木々の間を走る何かを捉えている。
「数は?」
「一体じゃ。速いぞ」
直後、黒い影が木の幹を蹴り、四本のつめが光を反射した。Bランク指定魔物《刃爪豹》。前脚のつめだけではない。長い尾の先も刃のように硬く、身体を回転させて周囲を切り裂く。
「アイゼン」
「何だ」
「一人で倒せ」
「言われるまでもない」
アイゼンが剣を抜く。
「ただし、その前に一度、つめを受けろ」
「やはり言われるまでもなかった!」
刃爪豹が姿勢を低くした。
「俺はすでに《斬撃耐性》を持っている。三人だけでいい」
「一人だけ逃れるつもりか!」
「持っている耐性を取り直すことはできない」
「姫様に、あのつめを受けさせるわけにはいかん!」
「浅く受ければよい。命に関わる傷を負う向きは俺が逸らす」
「また安心できぬ説明を……!」
刃爪豹が跳んだ。
狙いはルナ。
アイゼンが間へ入り、剣で前脚のつめを受け流す。金属同士がぶつかったような音が響いた。続いて迫った尾を俺が指で弾くと、進む向きの変わった刃がアイゼンの左腕を浅く裂く。
「ぐっ……!」
「今の深さだ。次は自分で調整しろ」
「俺の腕で試すな!」
「姫様を守れたな」
「それを言えば、俺が黙ると思うな!」
そう言いながら、アイゼンはすでに次の攻撃へ備えている。刃爪豹の動きを見て、わざと薄皮一枚だけを切らせる。
一度。
二度。
三度。
傷はすぐに塞がっていく。四度目の攻撃を受けたところで、アイゼンの動きが変わった。今までより半歩早く刃爪豹の内側へ入り、つめを避け、尾を剣のつばで受け止める。
「もうよいのか?」
「ああ。《斬撃耐性》が根づいた」
「ならば、終わらせる」
アイゼンの剣へ青白い雷が集まる。
「雷閃《瞬牙》」
刃爪豹が距離を取ろうとした瞬間、アイゼンの姿が消えた。
いや。
消えたように見える速度で、アイゼンが踏み込んだ。
すれ違った後、アイゼンが剣を振り抜く。刃爪豹の首へ赤い線が走り、頭が地面へ落ちた。
青白い雷が消えた後も、アイゼンの剣先に迷いはない。《斬撃耐性》だけでなく、三か月の修練で積み重ねたものが、その一撃に表れていた。
だが、刃爪豹の鋭いつめには、まだ次の役目が残っていた。




