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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第十章 初代アークハルトの遺産編

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第130話 炎と刃の修練

 ルナの叫びに応じるように、前方の木々が大きく揺れた。枝が折れ、茂みの奥から一頭の獅子が姿を現す。


 体長は三メートルを超えている。赤黒い毛並みの間から炎が漏れ、開かれた口の奥では、燃えるような魔力が渦を巻いていた。炎を吐くBランク指定魔物《炎牙獅子》。先ほどのほえ声の主だ。


「やはり、ちょうどよかったな」


「どこがじゃ!」


 ルナの髪は、痺角鹿の雷を受けたせいで、まだわずかに逆立っている。


「《炎熱耐性》を得られる」


「聞きたくなかった!」


 炎牙獅子が再びほえた。口から炎があふれ、周囲の草が一瞬で燃え上がる。


「姫様、お下がりください」


 アイゼンがルナの前へ出る。ガルムも大盾を構えた。


「待て。まだ防ぐな」


「貴様は、またそれか!」


「あの炎を受けろと申すのか!」


「正面から受ければ火傷では済まない。端だけを受ける」


 炎牙獅子ののどが大きく膨らんだ。俺は三人の前へ立つ。


「俺が威力を弱める。炎が触れたら、すぐに横へ抜けろ」


「安心しろとは言わぬのじゃな」


「もう信用しないのだろう?」


「そなたのせいじゃ!」


 炎が放たれた。


 赤い奔流が、木々の間を埋め尽くしながら迫ってくる。俺は両手を前へ出し、闘気を薄く広げた。炎の中心を左右へ割り、勢いを失った熱だけを四人の身体へ通す。


 肌が焼け、息を吸うたびにのどが熱を持つ。だが、致命傷には程遠い。


「今だ。横へ抜けろ」


 俺は右へ跳び、ガルムも続いた。だが、ルナとアイゼンだけはその場に残り、二人とも俺をにらんでいた。


「何をしている。早く抜けろ」


「そなた、後で覚えておれ!」


「姫様、こちらへ!」


 アイゼンがルナを抱えて炎の外へ飛び出した。マントの端から白い煙が上がっている。


「アイゼン」


「はい。おけがはございませんか?」


「わらわは無事じゃ。じゃが、髪が焦げておらぬか?」


 アイゼンが真剣な顔で、ルナの長い髪を確かめる。


「焦げてはおりません」


「本当か?」


「はい。一筋たりとも」


「ならばよい」


 二人がそろって安堵した。


「次が来るぞ」


「余韻くらい与えよ!」


 炎牙獅子が地面を蹴った。炎をまとった巨体が、真っ直ぐルナへ迫る。アイゼンが剣を抜こうとするより先に、ルナが片手を上げた。


「そこを退け、アイゼン」


「ですが、姫様」


「わらわの獲物じゃ」


 赤い瞳が細くなる。ルナの指先から血が一滴落ち、地面へ触れる前に何十本もの細い槍へ変わった。血の槍は炎牙獅子の四肢を四方から貫き、その巨体を地面へ縫い止める。


 それでも炎牙獅子は止まらない。筋肉を膨らませ、血の槍を力任せに砕こうとする。


「昼間でも、これだけ動けるようになったか」


「誰のせいで、毎朝日の出と共に鍛えられておると思うておる!」


「訓練の成果だな」


「褒めておらぬ!」


 ルナが開いた手を握り締める。


「血術《緋縛(ヒイロノイマシメ)》」


 折れかけていた血の槍が一斉に形を変え、赤黒い鎖となって炎牙獅子の身体へ絡みつく。鎖が四肢と首を締め上げ、炎牙獅子の頭がわずかに下がった。そのまゆの間へ、一本の黒い槍が浮かぶ。


「闇槍《黒穿(コクセン)》」


 黒い光が一直線に走った。闇の槍は炎を突き抜け、炎牙獅子のまゆの間から後頭部までを貫く。巨体が力を失い、その場へ崩れ落ちた。


 ルナがマントのほこりを払い、得意げに胸を張る。


「Bランクというても、この程度か」


「ああ、ルナ。お前はもっと強くなる」


「当然じゃ。わらわを誰だと思うておる」


 そんなルナへ、アイゼンが駆け寄る。


「姫様、お見事でございました」


「うむ」


「お身体に火傷は?」


「この程度、すぐに治る」


「念のため、確認を」


「必要ない」


「ですが――」


「アイゼン」


「……承知しました」


 アイゼンは心配そうにしながらも、一歩下がった。俺は《鑑定眼》で四人の状態を見る。


「もう一度だな」


 ルナの笑みが消えた。


「何がじゃ?」


「まだ《炎熱耐性》が根づいていない」


「今の相手は、わらわが倒したぞ」


「そうだな」


「もう炎は吐かぬぞ」


「そうだな」


「では、どうするつもりじゃ?」


 炎牙獅子が燃やした草木は、今も炎を上げている。俺がそちらを見ると、ルナもゆっくりと顔を向けた。


「まさか……」


「あの中を走る」


「断る!」


「危険のない温度まで俺が抑える」


「温度の問題ではない! なぜ倒した後まで訓練が続くのじゃ!」


「耐性が得られていないからだ」


「姫様。俺が先に参ります」


 アイゼンが覚悟を決めた顔で、炎へ向かう。


「待て、アイゼン。そなたまで受け入れるでない!」


「姫様をお一人で行かせるわけにはまいりません」


「一人ではない。全員で行く」


「そなたは黙っておれ!」


 結局、四人で燃える草地を三往復した。一往復目でアイゼンがルナをかばい、必要以上に炎を受けた。二往復目では、ガルムが炎の中で焼けた木の実を拾おうとしたため、もう一度やり直しになった。


 三往復目を終え、《鑑定眼》で確かめる。全員に《炎熱耐性》が加わっていた。


「取れたぞ」


「当然じゃ! これで取れておらねば、そなたを炎の中へ置いていくところであった!」


「俺も一緒に走っただろう」


「平然と歩いておったではないか!」


 ルナが自分の髪へ触れる。


「それより、本当に焦げておらぬな?」


「はい。姫様の御髪は、変わらず美しゅうございます」


 アイゼンは迷いなく答え、ルナが満足そうにうなずく。かなわないと分かっていても、こういう言葉は自然に出るらしい。


「アレス」


 ガルムが炎牙獅子の死体を指さす。


「何だ?」


「持ち帰るのか?」


「ああ。炎牙獅子も痺角鹿も、使える素材が多い。肉も食べられる」


「今夜、食う」


「そうだな」


「入れろ」


「そのつもりだ」


 炎牙獅子の巨体を《亜空間》へ収め、燃え残った火を消す。


 魔物の肉には、普通の獣にはない魔毒が含まれている。人間が口にすれば身体を壊すが、ヴァンパイアである三人には問題ない。俺にも《魔毒耐性》があるため、ここにいる四人なら、魔物の肉を食べても何の問題もなかった。


 火が完全に消えたことを確かめ、俺たちはさらに北へ進んだ。


 ◇


 中層へ入ると、木々の形が変わり始めた。幹は太く、根は岩のように地面から張り出している。葉の色も浅層より濃く、枝のすき間から差し込む日の光はわずかだった。


 空気に含まれる魔力も濃くなっている。正確には、魔力だけではない。北の海を越えた先にある魔大陸から、わずかな瘴気が流れ込んでいた。


 今いる場所の濃さであれば、人間の身体へすぐに害が出るほどではない。だが、長く生息する魔物は瘴気を取り込み、肉体や魔力を変化させていく。


 同じ種の魔物でも、浅層と中層では強さが違う。奥へ近づけば、その差はさらに大きくなる。


 俺は進みながら、方角と地形を記録していた。大きく曲がった黒いかしの木、二つに割れた灰色の岩、水の流れるくぼ地、魔物が集まりやすい湿地。帰還後、騎士団や冒険者が使える地図へまとめるつもりだ。


「右から来る」


 ルナが、俺よりわずかに早く告げた。周囲へ広げていた魔力が、木々の間を走る何かを捉えている。


「数は?」


「一体じゃ。速いぞ」


 直後、黒い影が木の幹を蹴り、四本のつめが光を反射した。Bランク指定魔物《刃爪豹》。前脚のつめだけではない。長い尾の先も刃のように硬く、身体を回転させて周囲を切り裂く。


「アイゼン」


「何だ」


「一人で倒せ」


「言われるまでもない」


 アイゼンが剣を抜く。


「ただし、その前に一度、つめを受けろ」


「やはり言われるまでもなかった!」


 刃爪豹が姿勢を低くした。


「俺はすでに《斬撃耐性》を持っている。三人だけでいい」


「一人だけ逃れるつもりか!」


「持っている耐性を取り直すことはできない」


「姫様に、あのつめを受けさせるわけにはいかん!」


「浅く受ければよい。命に関わる傷を負う向きは俺が逸らす」


「また安心できぬ説明を……!」


 刃爪豹が跳んだ。


 狙いはルナ。


 アイゼンが間へ入り、剣で前脚のつめを受け流す。金属同士がぶつかったような音が響いた。続いて迫った尾を俺が指で弾くと、進む向きの変わった刃がアイゼンの左腕を浅く裂く。


「ぐっ……!」


「今の深さだ。次は自分で調整しろ」


「俺の腕で試すな!」


「姫様を守れたな」


「それを言えば、俺が黙ると思うな!」


 そう言いながら、アイゼンはすでに次の攻撃へ備えている。刃爪豹の動きを見て、わざと薄皮一枚だけを切らせる。


 一度。


 二度。


 三度。


 傷はすぐに塞がっていく。四度目の攻撃を受けたところで、アイゼンの動きが変わった。今までより半歩早く刃爪豹の内側へ入り、つめを避け、尾を剣のつばで受け止める。


「もうよいのか?」


「ああ。《斬撃耐性》が根づいた」


「ならば、終わらせる」


 アイゼンの剣へ青白い雷が集まる。


「雷閃《瞬牙(シュンガ)》」


 刃爪豹が距離を取ろうとした瞬間、アイゼンの姿が消えた。


 いや。


 消えたように見える速度で、アイゼンが踏み込んだ。


 すれ違った後、アイゼンが剣を振り抜く。刃爪豹の首へ赤い線が走り、頭が地面へ落ちた。


 青白い雷が消えた後も、アイゼンの剣先に迷いはない。《斬撃耐性》だけでなく、三か月の修練で積み重ねたものが、その一撃に表れていた。


 だが、刃爪豹の鋭いつめには、まだ次の役目が残っていた。

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