第129話 麻痺耐性を得るために
魔の森は、北へ進むほど魔物の数が増し、一体一体の力も強くなる。森のさらに北には海があり、その海を隔てた先には《魔大陸》が存在する。
魔大陸は、大陸全土が濃い瘴気に覆われた、人間の住めない土地だ。海上から近づくだけでも身体をむしばまれ、上陸して長く活動できた人間は、ほとんどいない。
その魔大陸から流れ出す瘴気の影響を受けるため、魔の森は北へ進むほど危険になる。浅層ではCランク以下の魔物が中心だが、中層にはBランク、奥にはAランク以上の魔物も珍しくない。初代レグナスが残した砦は、その奥にあった。
俺たちは木々の間を北へ進む。三人は、三か月前より明らかに動きがよくなっていた。昼間の弱った身体へ慣れ、少ない力で速く走る方法を覚えている。ルナは周囲へ薄く魔力を広げたまま移動し、アイゼンは常に先頭とルナの間へ立てる位置を保つ。ガルムは大盾を背負いながら、ほとんど足音を立てない。
毎日修練を欠かさず、三人で冒険者の依頼を続けた成果だ。このままなら、昼間でも並のCランク冒険者を大きく上回っている。だからこそ、次の段階へ進める。
森へ入って一刻ほど経ったころ、右前方の茂みが揺れた。
「来るぞ」
声をかけた次の瞬間、青白い角を持つ鹿が茂みを突き破って現れた。普通の鹿より二回りほど大きい。首から背中へ青い筋が走り、枝分かれした角の間では、小さな光が弾けている。
Cランク指定魔物《痺角鹿》。角に雷の力をため、触れた相手の身体をしびれさせる魔物だ。
「わらわがやる」
ルナが片手を上げ、闇の槍を作り出す。
「待て。殺すな」
「なぜじゃ?」
痺角鹿が地面を蹴ると、アイゼンが剣を抜き、ルナの前へ出た。
「俺が首を落とす」
「避けろ。だが、斬るな」
「だから、なぜだ!」
痺角鹿がアイゼンへ突進する。アイゼンは紙一重で角を避け、その胴を蹴ろうとした。
「攻撃もするな」
「貴様は、俺に何をさせたい!」
「次の突進は避けるな」
アイゼンの動きが止まった。ルナも、俺を見たまま固まっている。
「今、何と申した?」
「避けるなと言った」
「あの角が光っておるのが見えぬのか?」
「見えている」
「では、なぜ受けねばならぬ!」
「《麻痺耐性》を得るためだ」
三人の顔から、同時に表情が消えた。
痺角鹿が向きを変え、再び地面を蹴る。今度は俺がその正面へ立った。
青白い角が腹へ当たる直前、身体の力を抜き、衝撃を受け流す。角そのものはつかまず、まとっている雷だけを身体へ通した。青白い光が全身を駆け抜け、筋肉がわずかにこわばる。指先の感覚も鈍くなったが、《鑑定眼》で見極めたとおり、命に関わるほどの威力ではない。
痺角鹿の首へ手を添え、進む向きをそらす。
「この程度だ」
俺が振り返ると、ルナが額へ手を当てていた。
「そなたには《超再生》があるであろう!」
「今の攻撃で死なないことに、《超再生》は関係ない」
「そういう問題ではない!」
「三人とも、順番に受けろ。身体の力を抜き、直撃する瞬間に後ろへ跳べ。角ではなく、雷だけを受ける」
「姫様へ、魔物の攻撃を受けろと言うのか!」
アイゼンが剣を握り締める。
「アイゼン。お前が先でいい」
「俺ならよいという意味でもない!」
「戦闘中に身体がしびれて、姫様を守れなくなってもいいのか?」
「くっ……」
アイゼンの動きが止まる。
「ずるいぞ、アレス」
「必要なことを言っただけだ」
痺角鹿が、三度目の突進へ入った。アイゼンは歯を食いしばり、剣をさやへ戻す。
「来い!」
角が胸へ触れる直前、アイゼンは後ろへ跳ぶ。青白い光がその身体を包んだ。
「ぐっ!」
地面へ着地した直後、アイゼンの膝が崩れる。片膝をつき、震える右手をにらんだ。
「手に……力が入らん……」
「しびれているからな」
「見れば分かる!」
「声を出す余裕はある。もう一度だ」
「なぜだ!」
「一度で耐性を得られるとは限らない」
「先に言え!」
次に、痺角鹿がガルムへ向かう。ガルムは背負っていた大盾を下ろし、正面へ構えた。
「盾は使うな」
ガルムが止まり、ゆっくりと俺を見た。
「なぜだ」
「盾で防いだら、お前の身体へ雷が届かない」
「盾は、攻撃を防ぐものだ」
「今日は防ぐな」
ガルムは大盾と俺を交互に見た。いつも表情の変わらない顔に、わずかな悲しみが浮かんでいる。
「盾を置けば、肉を増やす」
ガルムは、すぐに盾を地面へ置いた。
「来い」
「ガルム! そなたはもう少し悩め!」
痺角鹿の角がガルムの腹へ触れ、青白い光が大きな身体を包んだ。ガルムは一歩だけ後ろへ下がった。
「どうだ?」
「しびれる」
「動けるか?」
ガルムは右腕を上げようとしたが、途中で止まった。
「肉を持てない」
「なら、耐性が必要だな」
「うむ。もう一度だ」
「そこまでして肉を食べたいのか?」
アイゼンがあきれた声を出す。
「食えないのは困る」
「姫様を守れないことを先に心配しろ!」
「ルナ様も、肉を食う」
「そういう意味ではない!」
最後に、痺角鹿がルナへ顔を向けた。ルナは一歩下がった。
「わらわは魔法使いじゃぞ」
「知っている」
「魔法使いは、敵の攻撃を受けぬ場所から戦うものじゃ」
「いつもそうできるとは限らない」
「ガルムがおる」
「今はしびれている」
ガルムは立ったまま、まだ右腕を動かせずにいた。
「アイゼンがおる」
「そいつもしびれている」
アイゼンも、剣を抜こうとしてさやごと落としている。
「クロウは?」
「アークハルト領で仕事中だ」
「では、そなたが守れ!」
「今後、俺が隣にいない時もある」
ルナが言葉に詰まる。滅びた未来では、俺が間に合わなかったせいで、何度も仲間を危険へさらした。常に俺が守れるとは限らない。だからこそ、俺がいなくても生き残れる力を身につけさせる。
「安心しろ。危険な威力ではない。しびれが強く残れば、すぐに治す」
「安心できる言葉が一つもないぞ」
「これも《愛の修練》だ」
ルナのまゆが動いた。
「デボルトたちへ向けておった愛を、わらわたちにも向けるつもりか?」
「全員、同じ配下だからな」
「わらわは、その呼び名を気に入っておった」
「そうだな」
「今、初めて名づけた者を恨んだぞ」
痺角鹿がルナへ向かって駆ける。ルナは逃げたい気持ちを押し殺すように両足へ力を入れ、正面から雷を受けた。青白い光が弾け、長い紫色の髪が一斉に逆立った。
「……アレス」
ルナが、ゆっくりと俺を見る。
「何だ?」
「後で、わらわの闇魔法も受けよ」
「俺がまだ持っていない耐性を得られるなら、構わない」
「なぜ喜ぶのじゃ!」
痺角鹿の突進を順番に受け続ける。一度目より二度目。二度目より三度目。三人は雷が身体を走る瞬間にも力を抜き、しびれた状態で体勢を立て直せるようになっていく。
途中、アイゼンが無意識に突進を避けたため、一回追加した。それをルナが笑ったため、アイゼンとルナにはさらに一回ずつ追加した。ガルムだけは、肉を増やすため、言われてもいないのにもう一度受けようとした。
「もういい」
「まだ受けられる」
「耐性を得た。これ以上は必要ない」
「肉は?」
「増やすと言った分は出す」
「なら、よい」
《鑑定眼》で四人の状態を確認すると、俺を含め、全員に《麻痺耐性》が加わっていた。まだ根づき始めたばかりだが、あるのとないのとでは大きく違う。今後、雷によるしびれや麻痺毒を受けても、動ける可能性が高くなる。
「全員、取れたな」
俺は痺角鹿の前へ出る。役目を終えた魔物が、再び角へ雷を集めた。
突進してきた頭を片手で逸らし、反対の手で首を打つ。骨が折れる音が響き、痺角鹿はその場へ崩れ落ちた。苦しませるつもりはない。一撃で命を断った後、《亜空間》の入口を開き、痺角鹿の身体を収める。
「今夜の肉だ」
ガルムの目が、わずかに輝いた。
「よい訓練だった」
「そなたは肉さえあれば、それでよいのか!」
「耐性も増えた」
「順番が逆じゃ!」
ルナの髪は、まだ少し逆立っていた。アイゼンはしびれの残る手で何度も剣を握り直し、そのたびに俺をにらんでいる。
「これが《愛の修練・魔の森出張編》か」
アイゼンが低い声でつぶやいた。
「そうだ」
「一つ聞く。今ので終わりか?」
「まさか」
三人の顔がこわばる。
「奥までに、斬撃、打撃、毒、炎熱、地属性。得られるものは、できる限り得る」
「帰るぞ、アイゼン」
ルナが即座に振り返った。
「承知しました」
「待て」
「離せ、アレス! わらわは、急にグランベル支店の様子が気になった!」
「仕事をクロウへ任せたと言っていた」
「今、気になったのじゃ!」
ルナとアイゼンのマントをつかみ、森の奥へ向き直らせる。
「安心しろ」
「その言葉を、わらわはもう信用せぬ!」
「次も、死なない相手を選ぶ」
「死ななければよいと思うておるのか!」
その時、森の奥から低いほえ声が響いた。木々の枝に留まっていた鳥たちが、一斉に南へ飛び立つ。今の声は、少なくともCランクの魔物ではない。
ルナとアイゼンが動きを止め、ガルムが地面へ置いていた大盾を背負い直した。
「ちょうどいい」
俺は、ほえ声が聞こえた方角を見る。
「次は、もう少し強い相手だ」
「何一つ、ちょうどよくないわ!」
ルナの叫び声が、魔の森へ響き渡った。
だが、その声を聞いていたのは、俺たちだけではなかった。




