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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第九章 デボルト子爵領編

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第124話 贖罪者たちの最初の朝

モルガン・デボルト子爵視点


 アレス様の配下となった翌朝。


 東の空が赤く染まり始めるころ、わしは子爵家の屋敷裏にある私設訓練場へ立っていた。


 昨夜は、ほとんど眠っていない。


 助け出された者たちを家族のもとへ送り届け、不正に奪った財産を返すための命令書を作った。さらに、違法な賭場や人身売買に関わった者たちを捕らえさせた。西区の井戸、南橋、領都へ続く街道の状態も昨日のうちに調べさせ、今朝から修復へ取りかかるよう命じてある。


 これまでなら、すべて家令へ命じ、自分はベッドで報告を待っていた。だが今は違う。自分の目で確かめろと、アレス様から命じられた。


 逆らうつもりなどない。あの夜から夜明けまでのことを思い出すだけで、胸の《贖罪契約》が熱を持ったような気がして、身体が勝手に震える。そのうえ、夜明け前には別の命令まで届いた。


 動きやすい服へ着替え、私設訓練場へ来い。


 何をさせられるのか分からなかった。だが、あの夜より恐ろしいことなど、そうあるものではない。そう思っていた。


「全員、そろっているな」


 訓練場の中央に立ったアレス様が、わしたちを見回した。


 その隣にはニーナ様とルナ様、少し後ろにはクロウ殿がいる。さらに、見覚えのない大柄な男と、ニーナ様の誘拐を実行した一団の元頭領だというベッツまで並んでいた。


 わしを含め、訓練場へ集められた者は二十名。


 子爵家の家令バートン。赤灯亭で裏の仕事を取り次いでいた仲介人マーロウ。バッシュをまとめ役とする、鳳凰商会の倉庫へ火を放った四人。そして、アークハルト家へ送り込んだコレット。


 不当な徴税を行っていた役人三人。不正資金の出所を隠すため、店舗や名義を貸していた商人四人。放火の夜に巡回を外れ、そのほかの悪事にも手を貸していた元衛兵五人。数えて、ちょうど二十名だった。


 誰一人、無実ではない。だが、アレス様が昨日、一人ずつ話を聞いたうえで残した者たちでもある。


 命令されたとはいえ人を害した者。金に目がくらみ、見て見ぬふりをした者。家族や借金を盾に脅されていた者。罪の重さも事情も同じではない。それでも自分の罪を認め、証拠を差し出し、助け出された者たちの保護と、奪った財産を返すことに協力すると誓った者だけが、この場に立つことを許された。


 わし以外の十九人も、罪が消えたわけではない。それぞれの罪に応じた《贖罪契約》を結び、二度と人を害さず、過去のつながりを使って不正を行わず、これから知る商会と傭兵団の秘密を漏らさないと誓った。


 奪ったものを返しながら生きて償うため、アレス様の命令に従う新たな配下となったのだ。


 人身売買を取り仕切った者や、自ら進んで弱い者を傷つけていた者はここにいない。すでに牢屋へ入れられ、法の裁きを待っている。


 わしも本来ならそちら側だった。領主として償わせるために、辛うじて生かされているにすぎない。


「昨日、伝えたことをもう一度言う」


 アレス様の声に、二十人の背筋が一斉に伸びた。


「ここにいる者の罪は消えない。俺の配下になったから許されたと思うな。奪ったものを返し、今まで人を害するために使っていた知識と力を、これからは人を守るために使え」


「はい、アレス様!」


 誰よりも早く答えた。


 あの夜、返事が遅れた時の目を覚えている。


 残る十九人が、わずかに遅れて声をそろえた。


「はい、アレス様!」


「では、走れ」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……は?」


「訓練場の外周を走れと言った。まずは全員、五周だ」


 私設訓練場は、領都の兵や私兵を鍛えるために造らせたものだ。外周は一周だけでもかなりの距離がある。


 わしは指揮する側であり、この訓練場で自ら走ったことなど一度もない。


「ア、アレス様。わしも、ですか?」


「全員と言った」


「しかし、わしは領主ですぞ。これから領地を立て直す者たちへ指示を出さねばならず、走って体力を使い果たすわけには――」


「自分の領地を歩いて確かめる体力もない者が、どうやって領民を避難させる?」


「それは兵や役人へ命じればよいのでは……」


 アレス様の目が細くなった。


「走ってまいります!」


 すぐに駆け出した。


 だが、二十歩も進まぬうちに腹の肉が上下へ揺れ、呼吸が苦しくなった。隣では、家令のバートンが青い顔をして胸を押さえている。長年、帳簿と命令書ばかり扱ってきた男だけあって、わしと大差ない。


「旦那様……少し、速すぎるのでは……」


「黙れ……! アレス様が、見ておる……」


 二人で恐る恐る後ろを振り返ると、アレス様と目が合った。


「前を見ろ」


「はい!」


 首を戻した勢いで足がもつれ、危うく転びかけた。


 先頭を走るのは、元衛兵たちだ。その後ろへ放火実行役の四人が続き、コレットと商人たち、役人たちが次第に遅れていく。


 マーロウだけは、裏町を歩き回ってきたためか、細い身体で意外なほど軽快に走っていた。


「マーロウ!」


 アレス様が声をかける。


「は、はい!」


「身体を左右へ振りすぎだ。今のままでは、逃げ道を塞がれた時に方向を変えられない。歩幅を狭くしろ」


「承知しました!」


「バッシュ。腕の力だけで走るな。肩の力を抜け」


「はい!」


「コレット。呼吸を急ぐな。三歩で吸い、三歩で吐け」


「はい、アレス様!」


 一人ずつの走り方を見ながら、すぐに癖を見抜いていく。わしにも何か助言があるはずだ。できれば、今すぐ歩いてよいと言ってほしい。


「デボルト」


「はい、アレス様!」


「腹を揺らすな」


「ど、どうすれば揺れなくなるのでしょうか!」


「痩せろ」


「今すぐには無理ですぞ!」


「なら、今は揺らしながら走れ」


 周囲から、笑いをこらえるような息が漏れた。子爵であるわしを笑ったのだ。本来なら、その場で牢屋へ入れてやるところだ。


 前を走るバッシュへ目を向けると、頬を膨らませ、必死に笑いをこらえている。


「バッシュ」


「は、はい!」


「何を笑っておる!」


「申し訳ございません、旦那様!」


「話す余裕があるようだな」


 アレス様が告げた。


「デボルトとバッシュは一周追加だ」


「なぜ、わしまで!」


「訓練中に他人へ余計な命令をした」


「アレス様! 笑ったのはバッシュですぞ!」


「旦那様が声をかけなければ、俺だけで済んだんですがね!」


「貴様、領主へ向かって――」


「二人とも、もう一周追加するか?」


「仲よく走ってまいります!」


 バッシュと声がそろった。


 後ろから、ルナ様の楽しそうな笑い声が響く。


「くくくっ。よいではないか。昨日よりずいぶんとまともな顔になっておるぞ」


「ルナ様、どうかその話は……」


「ブヒヒと鳴けば、少しは速くなるやもしれぬぞ?」


「ご勘弁ください!」


 あの夜のくやしさがよみがえり、足だけはわずかに速くなった。


 どうにか一周を終えた時には、肺が焼けるように痛んでいた。


「も、もう……限界です……」


 バートンが地面へ膝をつく。


「止まるな」


 アレス様の声が飛んだ。


「走れない者は歩け。訓練が終わるまで、一度も動きを止めるな」


「歩いてもよろしいのですか?」


 思わず尋ねる。


「今のお前が無理に走り続ければ、身体を壊す。鍛えることと使い潰すことは違う」


 あの夜、わしへ向けられたものとは違う声だった。冷たいだけではない。アレス様は、一人ずつの限界を本当に見ている。


「ただし、歩けるから楽だと思うな。デボルトとバートンは、残りの周を早歩きだ。止まれば最初からやり直させる」


 やはり、冷たかった。それでも、走り続けろと言われるよりはましだ。


 そう思って早歩きへ変えた直後、クロウ殿の肩から黒い甲虫が飛び立ち、わしの頭へ留まった。


「な、なぜ虫が!」


「歩みを止めていないか、我が子が近くで見ております」


「虫にまで監視されるのですか!」


「信用が我が子以下なのは、昨日申し上げたとおりでございます」


 黒い甲虫が、同意するように触角を動かした。


 わしは虫に見張られながら、必死に足を前へ出した。


 五周を終えたころには、二十人全員の顔から血の気が引いていた。


 だが、アレス様は休めとは言わない。その視線は、すでに次の訓練へ向けられていた。

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