第119話 印を刻んだ金貨
徴税所の倉庫は、高い塀に囲まれていた。門の前には槍を持った衛兵が二人。少し離れた場所には、空になった八台の荷馬車が並べられている。
俺はマントの頭巾を深く被り、ロイドとセルジュの後ろを歩いた。フェルは翠羽鳥と共に空から見張り、クロウの甲虫はすでに徴税所の中へ入っている。ルナは俺の影へ溶け込むように《闇幕》をまとっていた。
ここへ来る前に、俺たちは隣の宿へ寄っていた。戸口を見張る兵には、鳳凰商会が荷の依頼人へ事情を確認しに来たと告げ、運送商の責任者と御者たちへ会った。責任者は四十歳ほどの男で、顔には六日分の疲労が濃く浮かんでいた。
セルジュは、彼らの前で四十枚の金貨を机へ並べた。すべての縁に刻んだ、鳳凰の翼に似た二本の傷。その形を写した書面を見せ、金貨の数と印を一緒に確かめてもらった。責任者と御者たちは、確かに支払い前の金貨であることを確認し、一人ずつ書面へ署名した。
「鳳凰商会のロイドと申します。グランベル辺境伯領へ向かう荷について、お話がございます」
ロイドが告げると、衛兵はあからさまに嫌そうな顔をした。それでも鳳凰商会の名を無視できなかったらしく、一人が建物の中へ入っていく。
しばらく待たされたあと、腹の出た役人が姿を見せた。上等な服を着ているが、袖口にはぶどう酒の染みがついている。
「例の荷なら、許可証に不備が見つかった。調べが終わるまで返すことはできん」
「王都の印も、グランベル辺境伯家の受取証もございます。どこに不備があるのでしょうか」
セルジュの問いに、役人は鼻を鳴らす。
「それを調べていると言っておる」
「六日も必要でございますか?」
「急ぐのであれば、方法がないわけではない」
役人の視線が、ロイドの持つ革袋へ落ちた。
「街道の安全確認と、特別な検査には人手がかかる。協力金として金貨四十枚を納めるなら、今日中に調べを終えてやろう」
「協力金の定めは、王国法にもデボルト子爵領の通行規則にも見当たりませんが」
「商人組合へ入りたての商会が、この領の決まりへ口を挟むのか?」
役人の目が細くなる。
「払えぬのなら帰れ。明日からは、倉庫の保管料も一日金貨五枚になる」
ずいぶんと分かりやすい。俺がロイドのマントを軽く引くと、ロイドは悔しそうな表情を作り、革袋へ手をかけた。
「お待ちください」
セルジュが、金貨の印を写した書面を取り出した。
「後から枚数が足りない、偽金が混じっていたと言われては困ります。衛兵の方にも、四十枚の数と金貨の特徴をご確認いただきます」
「そのようなものまで必要か?」
「金貨四十枚もの取引でございます。確認できないのであれば、お支払いもできません」
役人は革袋をにらみ、面倒そうに衛兵二人へあごをしゃくった。衛兵たちは金貨を一枚ずつ数え、すべての縁に同じ二本の傷があることを確かめる。二人が書面へ署名すると、役人も徴税所の印を押した。
「……四十枚、確かにございます」
役人は袋を奪うように受け取った。その手首へ、壁をはっていた小さな甲虫が落ちたが、役人は気づかない。
「最初から素直に払えばよいのだ」
「積荷を返していただけるのですね」
「検査が終わればな」
「今、今日中に終えるとおっしゃいました」
セルジュが一歩も引かずに見返す。
「商会の金を支払った以上、口約束では帳簿へ記せません。積荷を返すよう命じた書面をいただきます」
「わしを疑うのか?」
「商人は、金と約束を書面へ残すものです」
「……生意気な奴だ」
役人は舌打ちすると、衛兵へ紙と筆を持ってこさせた。積荷の検査を本日で終え、運送商へ返すこと。倉庫の責任者は、すぐに八台分の荷を引き渡すこと。役人は腹立たしそうに書き、自分の名を記すと、徴税所の印を押した。
「これで満足か?」
「確かに」
セルジュは書面へ目を通し、丁寧に折り畳んだ。
「では、積荷を受け取らせていただきます」
「待て。鳳凰商会の荷ではないだろう」
「立て替えた金は、運送商とグランベル辺境伯家へ請求いたします。あなたには関係ございません」
役人の顔が引きつった。だが、自分で書いた命令書がある以上、止める理由はない。
隣の宿から、先ほど会った運送商の責任者と御者たちが連れ出された。
「本当に、荷を返してもらえるのですか?」
「今から倉を開けます。数と状態を確かめてください」
ロイドの言葉に、男は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、通行料まで立て替えていただくなど……」
「礼は、食料や武器を無事に届けてからにしてください」
倉庫の扉が開く。矢を詰めた木箱、保存食の樽、傷薬と包帯。フェルの報告どおりの荷が、奥まで並んでいる。ロイドとセルジュが目録を読み上げ、運送商の責任者が一つずつ確認した。木箱の封は切られているが、中身はそろっている。保存食の樽も無事だ。ただ、傷薬だけが六本足りない。
「一本でも誤魔化せると思うな」
俺が声をかけると、倉庫番の肩が跳ねた。
「な、何だ、この子どもは」
「数を間違えていると言っただけだ」
開けられた木箱の陰。布を被せた籠の中に、抜き取った傷薬が六本置かれている。倉庫番は顔を青くし、慌てて箱へ戻した。
「なぜ、分かった……」
「顔に書いてある」
実際には、倉庫へ入る前からクロウの甲虫が見つけていた。だが、説明する必要はない。
一刻ほどで、すべての荷が八台の荷馬車へ戻された。運送商の責任者が受取書へ署名し、徴税所の命令書の写しも受け取る。
「今日中に、グランベル領へ入れますか?」
「馬を休ませながらでも、日暮れまでには国境の砦へ着けます。ただ、また街道で止められれば……」
「止めさせない」
ベッツとミラ、ゲオルグが、鳳凰商会の者たちを連れて門の外へ現れた。倉庫の片づけを終えたあと、そのまま呼び寄せていた。
「鳳凰商会の護衛として、国境まで同行する。道を塞ぐ者がいれば、俺たちへ任せろ」
ベッツの言葉に、運送商の責任者が目を見開いた。
「ですが、そこまでしていただくわけには……」
「兵士へ必要な物を届ける仕事です。遠慮しないでください」
ミラがおだやかに言う。
「荷馬車の車輪は、俺がすべて見ました。途中で壊れることはありません」
ゲオルグも大きな手で車輪をたたいた。
「ロイドさん、足りない留め具は交換しておきました」
「ありがとうございます、ゲオルグさん」
「坊ちゃん。必ず、今日中に届けます」
「頼んだ」
八台の荷馬車が、東門へ向けて動き出す。ベッツたちは前後へ分かれ、その周囲を固めた。徴税所の役人は、苦々しい顔で一行を見送っている。
「これで、兵士へ食料や武器が届くのう」
「まだだ。国境を越えるまで油断はできない」
「では、わらわもついていこうか?」
「今のお前は昼の身体だぞ」
「それでも、護衛を務めるには十分じゃ」
「昨夜から休んでいない。無理をするな。フェルに空から見てもらう」
ルナが不満そうに唇をとがらせる。
「わらわにも、もっと役目を寄越せ」
「今からある」
「何じゃ?」
「払った金を追う」
ルナの機嫌が、すぐに直った。
◇
鳳凰商会へ戻ると、金貨を受け取った役人が自分の部屋へ鍵をかける音が、クロウの甲虫を通じて奥の部屋へ流れてきた。俺たちが徴税所を離れるのを待っていたらしい。
『四十枚、確かにあるな』
金貨を机へ並べる音。役人は数を確かめたあと、十枚を小さな袋へ、残る三十枚を別の袋へ分けた。
『衛兵どもには、これで十分だ。残りは今夜、いつもの者へ渡すか』
「いつもの者、か」
セルジュがつぶやく。
「受け取りに来る者まで待つ」
夕刻。徴税所へ、一台の小さな屋根付き馬車が入った。御者台にいたのは、デボルト子爵家へ食材や酒を納めている商人だ。商人は空のぶどう酒樽を下ろし、代わりに役人から金貨三十枚の袋を受け取った。
『今月は多いな』
『グランベル行きの荷から取った。帳簿には倉庫保管料として載せておけ』
『分かっている。家令殿には、いつもどおり渡せばいいんだな?』
『ああ。余計なことを聞くな』
商人のマントへ、別の甲虫が潜り込む。屋根付き馬車は徴税所を出ると、町の中央にある店へ一度立ち寄り、日が落ちてからデボルト子爵家の屋敷へ向かった。
俺たちは、甲虫から流れる音へ耳を澄ませ続けた。裏門が開く音。商人が馬車を降りる音。屋敷の使用人へ挨拶をする声。そして、家令の声。
『今月分でございます』
『少ないな』
『徴税所からは金貨三十枚です。グランベル辺境伯軍への補給物資を止め、特別通行料を取ったと』
『鳳凰商会が立て替えたそうだな』
『はい』
『また、あの商会か。まあよい。金を払うというのなら、いくらでも払わせればよい』
袋が机へ置かれる。
『十枚は旦那様へお渡しする。残りは王都へ送る金へ回す』
『領の金庫へ納めなくてよいのですか?』
『帳簿の上では、西区の井戸を直したことにしておけ』
『井戸は、まだ直しておりませんが』
『だから、直したことにしろと言っている』
『承知いたしました』
金貨が再び分けられる。その中には、俺が縁へ傷をつけた金貨が確かに混じっている。
「徴税所から商人。商人から家令。ここまではつながった」
セルジュが、紙へ金の流れを書き加えた。
「金貨そのものは、まだ屋敷の中でございます」
「今は場所が分かればいい。最後に金庫を開けた時、印をつけた金貨が出てくれば、今日の流れを否定できない」
「命令書と、荷物を運んだ商人の話もございます。徴税所の帳簿へうそを書き加えれば、その帳簿まで証拠になりますな」
クロウが楽しげに目を細める。
「ふぉふぉふぉ。隠そうとするほど、新しい証拠が増えてまいります」
その時、窓の外から翠羽鳥の鳴き声がした。フェルが窓を開け、鳥の脚に結ばれた紙を外す。短い文へ目を通すと、口元へ笑みを浮かべた。
「国境の砦へ到着しました。食料や武器は、すべてグランベル辺境伯軍へ引き渡されたそうです」
部屋の空気が、わずかに緩んだ。
「ベッツたちは?」
「今夜は砦で休み、明日の朝に戻ると」
「そうか」
これで、矢も、保存食も、傷薬も、必要とする兵士へ届いた。証拠を集めるために、誰かを危険へさらしては意味がない。守るべきものを守り、そのうえで敵を追い詰める。
机の上には、放火を命じた手紙。徴税所が発行した積荷の返還命令書。印を刻んだ金貨を確認した運送商と衛兵の署名。セルジュがまとめた金の流れ。そして、赤灯亭の地下からルナが写してきた裏帳簿が並んでいる。
「火をつけさせれば、実行役が証拠を持って逃げ込んできた。兵への補給物資を止めれば、払った金が家令のもとまで道を作った」
ルナが、紙に書かれた線を指先でなぞる。
「デボルトは、そなたの罠へかかっておることにも気づかず、自分で縄を編んでおるのじゃな」
「ああ」
俺は、デボルトと書いた名から伸びる二本の線を赤く塗った。放火。兵への補給物資を途中で不正に止めた件。どちらも、まだデボルト本人の署名があるわけではない。だが、金と命令は確実に家令へ届いている。家令からデボルトへ渡る最後の一本を押さえれば、もう切り離せない。
「まだ二本だ」
「二本も、であろう?」
「足りない。あいつは、部下が勝手にやったと言い張る」
「ならば、言い張れぬほど増やせばよい」
「そのつもりだ」
机の上の甲虫から、家令の声が響いた。
『赤灯亭の者は、まだ見つからぬのか!』
『申し訳ございません。裏口から逃げたようで……』
『見つけ次第、手紙を取り戻せ。口を封じたあと、死体は川へ捨てろ』
『はい』
家令は、証人がすでに俺たちのもとで契約を結び、手紙も帳簿も写しを取られていると知らない。取り戻せない証拠を求め、自分からさらに人と金を動かそうとしている。
「次の糸が動きましたな」
クロウが甲虫の背をなでた。
「追え。命令を受けた者も、渡された金も、すべてだ」
「かしこまりました」
姿の見えない場所から、一本ずつ糸を引き寄せる。デボルトが誰かへ命じるたび、誰かを切り捨てようとするたび、その糸はこちらの手へ渡る。
やがて、すべての糸は一本の縄になる。
その縄が自分の首へかかっていることを、デボルトはまだ知らない。
次に俺たちが姿を見せる時、あの男に残された逃げ道は、もう一つもない。




