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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第九章 デボルト子爵領編

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第115話 罠を張る

 デボルトは、自分の命令が誰にも知られていないと信じ切っている。


 その思い込みを利用し、金も、後ろ盾も、逃げ道も、一つずつ奪う。だが、怒りのまま動くつもりはない。デボルト一人を殺すだけなら、今夜のうちに終わらせられる。


 あの男の下には、金で雇われた役人、商人、犯罪者がいる。王都には、賄賂を受け取っている侯爵までいるらしい。


 頭だけを潰しても、証拠がなければ残った者たちは口を閉ざす。デボルトが死んだ途端、帳簿や手紙を焼く者も出るだろう。それでは、ニーナを狙った者をすべて裁けない。奪われた者たちへ、金を返すこともできない。


「まず、今すぐ対処すべき問題は三つだ」


 俺は机の上へ新しい紙を広げ、中央に「デボルト」と書いた。そこから三本の線を引いた。


「一つ目は、アークハルト家へ潜り込んでいるコレット。二つ目は、鳳凰商会への放火。三つ目は、グランベル辺境伯軍へ送られるはずの食料や武器だ」


「コレットを、すぐに捕らえなくてもよいのか?」


 ルナが尋ねる。


「捕らえれば、デボルトは潜入に気づかれたと分かる。別の者を送り込むか、証拠を消す」


「では、泳がせると?」


「ああ。ただし、もう好きにはさせない」


 コレットが今後どこへ入り込もうとし、誰へ近づき、何を見ようとするのか。すべてを監視する。そのうえで、こちらが見せたいものだけを見せる。


「敵の目なら、潰すより利用した方がいい」


「なるほどのう」


 ルナの口元へ、楽しげな笑みが浮かんだ。


「デボルトは、己が送り込んだ目で、そなたの用意した幻を見るわけか」


「そういうことだ」


 俺はクロウへ目を向けた。


「コレットの監視に移れるか?」


「名は判明しております。屋敷の使用人たちを見張らせれば、その顔を突き止めるのも難しくはございません。すでに数匹を、アレス様が開いた空間を通してアークハルト領へ戻しております」


「父上には、身元に不審な点のある侍女を監視しているとだけ伝える。オルドにも、屋敷の安全を守りながらコレットを見張ってもらう。デボルトの関与は、証拠がそろうまで伏せる。父上が知れば、グランベル辺境伯か王都へ正式に訴えなければならない。その時点でデボルトに気づかれれば、証拠を消される」


「それでは、アレス様ご自身で始末をつけられると?」


「ああ。あの男を、ただ裁いて終わりにはしない。奪ったものをすべて返させ、残りの一生を使って罪を償わせる。そのためにも、今はコレットを泳がせる」


「承知いたしました。コレットが屋敷で何を探り、誰へ情報を渡すのか、すべて見届けましょう」


「見つけても近づきすぎるな。相手側に、虫を警戒する者がいる可能性もある」


「承知しております。まずは屋敷の外から、コレットへ近づく者を探りましょう」


 クロウは甲虫の背を、節くれだった指でゆっくりなでた。


「もっとも、ただの人間が、わたくしの子らを監視の目だと見抜けるとは思えませぬが」


 柔らかな笑みを浮かべている。だが、デボルトの屋敷へ虫を忍び込ませ、離れた場所から会話を聞くような男だ。敵に回せば、これほど恐ろしい者もいない。


「二つ目の放火は、今夜にも動くであろうな」


 ルナが甲虫へ赤い瞳を向ける。デボルトは、鳳凰商会の倉庫へ火を放っても構わないと命じた。あの家令が有能なら、すぐに実行役へ命令を出す。無能でも、デボルトに怒鳴られた直後だ。急いで結果を出そうとするだろう。


「店を閉めますか?」


 ロイドが尋ねた。


「いや。明日も店は開ける。ただし、倉庫の在庫を失ったように見せるため、店頭に残した分だけで品数を絞る」


「ですが、放火されると分かっていては、店員を残せません」


「もちろん、今夜は全員を避難させる。倉庫に商品も残さない」


 実行役たちが成功を報告する今夜だけ、倉庫を焼いたと信じ込ませればいい。明日になって店が開いていても、そのときには糸の先にいる者まで押さえている。


 俺は椅子から立ち上がった。


「倉庫の中身は、俺の《亜空間》へ入れる」


 ロイドとセルジュが、すぐにその使い道へ気づいて目を見開いた。亜空間を初めて見るゲオルグは、言葉を失っている。一辺十メートルほどある空間を、倉庫の中身の一時保管に使うのは、これが初めてだ。


「あれだけの荷を、すべてでございますか?」


 ロイドが倉庫の方角を見ながら尋ねた。


「入る。棚は置いていくが、商品と帳簿は一つも残さない」


「では、火をつけに来た者を、その場で捕らえるのですね」


 ベッツが立ち上がろうとする。


「捕らえない」


「なぜです!」


「今捕らえれば、実行役しか手に入らないからだ」


 ベッツが言葉に詰まった。


「火をつけた者は、必ず誰かへ成功を報告する。報告を受けた者も、その上へ伝える。俺たちが欲しいのは、そのつながりだ」


「しかし、逃がせば……」


「逃がすんじゃない。帰らせるんだ」


 俺は紙の上へ、もう一本の線を引いた。実行役。報告を受ける者。家令。デボルト。


「下から順に捕らえれば、上の者が逃げる。だから、全員が一本の線でつながるまで待つ」


「クロウ。実行役が来たら、一人ずつに虫をつけろ」


「承知いたしました。何人に分かれて逃げようと、見失いはいたしませぬ」


「……俺は、また怒りに任せて動こうとしていました」


 ベッツが唇をかむ。


「構わない。次から考えろ」


「はい」


「今夜、お前には倉庫を空にするのを手伝ってもらう」


 ベッツが顔を上げた。


「ゲオルグと一緒に、火が隣の建物へ燃え移らないよう、倉庫を調べて対策しろ。ロイドは店員を帰らせ、セルジュは普段どおりに見える理由を作れ。臨時の棚卸しでも、ネズミが出たでも、何でもいい」


「ネズミが出たことにいたしましょう」


 セルジュが即座に答える。


「夜のうちに薬と食料を別の倉庫へ移し、駆除を行う。そう伝えれば、店員も不審には思いません」


「では、俺は商品の数を確認します」


 ロイドも続く。


「一箱でも不足すれば、明日の営業に響きます」


「私も手伝います」


 ミラが言った。


「倉庫へ近づく者の顔を覚えます。逃げた者を、後で町の中から探すこともできます」


「ああ、頼む」


 ロイドとミラはすぐに部屋を出ていった。ベッツとゲオルグも、その後を追う。セルジュは、金の流れに関する指示を待って、その場に残った。


「わらわは何をすればよい?」


 ルナが、自分だけ命じられていないと不満そうにまゆを寄せた。


「俺と一緒に来てくれ。暗闇の中で気配を隠すなら、ルナの闇魔法が一番だ」


「ふふ。最初から、そう言えばよいのじゃ」


 途端に機嫌が直った。


「辺境伯軍への補給物資は、俺が確認します」


 フェルが言う。


「空からなら、荷を止めている倉庫も探せます。矢と保存食なら、荷馬車の数も多いはずです」


「見つけても手を出すな。荷主、運送を請け負った商会、荷を止めた役人の名を調べるんだ」


「はい」


「国境で必要な食料や武器です。あまり長く止めておくわけにはまいりませんな」


 クロウの言葉に、俺はうなずいた。


「証拠を待って兵士を死なせるつもりはない。二日だ。二日でつながりを押さえて、三日目には必ず街道へ戻し、グランベル領へ向けて出す」


「かしこまりました」


 時間をかければ、より多くの証拠を集められる。だが、その間に傷つく者がいるなら意味がない。情報は人を守るために使うものだ。証拠を集めること自体が目的ではない。


「セルジュ。先ほど伝えたとおり、引き続き金の流れを追ってくれ」


 俺は、先ほどデボルトと書いた文字を指でたたいた。


「違法賭博場、高利貸し、人貸し屋。そこから上がる金は、最後にはすべてここへ運ばれている。だが、帳簿にはデボルトの名を残していないはずだ」


「複数の商会を経由させているのでございましょうな」


 クロウが言う。


「ああ。だから、一つずつ中継点を見つける」


「そこまで分かっているなら、金庫へ忍び込んで帳簿を奪えばよいではないか」


 ルナが首を傾げる。


「奪うだけならできる。だが、それではデボルトに警戒される」


「写しを取るのか?」


「それだけじゃない。誰が帳簿を持ち、誰が数字を書き換え、誰が金を運ぶのかも調べる。書面と証言がそろって、初めて逃げ道がなくなる」


「ずいぶんと面倒なことをするのう」


「貴族を正面から裁くなら、それだけの準備がいる」


 デボルトは子爵だ。普通の民が同じ罪を犯したなら、証拠が一つ見つかっただけでも捕らえられる。だが、貴族は違う。


 部下が勝手にやった。印を盗まれた。帳簿は偽物だ。証人は金で雇われている。そう言い張り、王都の後ろ盾へ金を渡せば、調べる者の方が罪に問われることさえある。


 だから、言い逃れをするたびに、そのうそを潰す証拠まで用意する。


「なるほど。そなたが一つずつと言った意味が、ようやく分かったぞ」


 ルナが獲物を追い詰めるような笑みを浮かべる。


「手足を縛り、牙を抜き、逃げ道を塞ぐ。それから本人の前へ姿を見せるのじゃな」


「ああ」


「やはり、よい顔をしておる」


「褒めているのか?」


「もちろんじゃ」


 おそらく、まともな意味ではない。


 そう思ったとき、机の上の甲虫がかすかに羽を震わせた。続いて流れたのは、待っていた命令だった。


『今夜だ。日付が変わるころ、鳳凰商会の裏手にある倉庫へ火をつけろ』

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