第111話 空間魔法の使い道
日が沈む前に、ロイド、セルジュ、グレイグ、フェルを地下倉庫へ呼んだ。全員が、俺と鳳凰商会・フェニックス傭兵団との本当の関係を知る中心人物だ。ルナたち四人も同席している。空間魔法の存在は、今後も必要な者以外へ明かさない。
呼び集めた四人の視線が、俺の背後に開いた黒い裂け目へ集まっていた。
「アレス様。あれは、まさか……」
セルジュが、普段の落ち着いた声をわずかに震わせる。
「俺が作った亜空間だ」
「では、本当に空間魔法を?」
「ああ。今日、習得した」
「今日?」
フェルの耳がぴんと立った。
「正確には、わらわが魔法書を渡してから半刻も経っておらぬ」
ルナが苦々しそうに付け加えると、四人の間から声が消えた。
「……空間魔法は、世界に数ある魔法の中でも、最も習得が難しいものの一つと聞いております」
最初に口を開いたのは、セルジュだった。
「適性を持つ者でさえ、基礎を理解するだけで十年は必要になると。それを、半刻もかからず……」
「十年かかるものを、半刻で……」
フェルは亜空間と俺の顔を何度も見比べた。
「すごい、なんて言葉では足りません」
「空間魔法の使い手が一人いるだけで、軍の動かし方が変わります」
グレイグが黒い裂け目をにらむように見つめる。
「食料や武器を好きな場所へ運び、人まで一瞬で移せるようになれば、城壁も補給路も意味を失います。世界でも特に優れた力です。それを、魔法書を受け取ったその日に身につけられたのですか……」
「もし、この事実が外へ漏れれば、王家も大国も放ってはおかないでしょう」
ロイドの顔から、商人らしいおだやかな笑みが消えていた。
「とても珍しいという言葉では足りません。値をつけることさえできない、世界の常識を変え得る力です」
「今は、まだ小さな亜空間を作れるだけだ」
「それだけでも十分に異常でございます」
ロイドが即座に返した。
俺は倉庫に積まれていた空の木箱を、次々と亜空間へ入れていった。
二十。三十。五十箱を入れても、まだ半分以上空いている。
「これは……倉庫一つを、そのまま持ち歩けるようなものですね」
ロイドが亜空間の中を見回した。
「今は、な」
俺は机の上へ空間魔法書を開いた。
「空間魔法は、亜空間を作るだけではない。鍛えれば、訪れた場所の座標を刻み、離れた場所へ瞬時に移動できる。視界に入る場所へ直接移る術もある」
「それでは、各地に支店ができた後、その倉庫へ一瞬で品物を運べるということでございますか?」
セルジュが尋ねる。
「そうする」
「商売へお使いになるのですか?」
グレイグが腕を組んだ。
「そのために習得した」
傷ついた者を運び、戦場へ駆けつけることもできる。だが、戦いが始まった時だけ使うつもりはない。商売によって金を生み、人を雇い、各地へ店を出す。品物が動けば、人も情報も集まる。平時から使い続けてこそ、この力は将来の備えになる。
「まずは亜空間を、鳳凰商会の保管庫と輸送に使う。高価な品や、大量に運ぶ必要がある品を中心に入れる。俺が座標を刻めるようになった後は、本店と各支店の倉庫を空間でつなぐ」
ロイドの目が商人のものへ変わった。
「荷馬車で十日かかる場所へ、その日のうちに品を届けられる」
「傷みやすい薬草や食料も、これまでより新しい状態で売れます」
セルジュもすぐに可能性を理解した。
「各地の相場の変化に合わせ、必要な土地へ必要な品を送ることもできます。輸送中の盗賊被害も減らせますね」
「ああ。ただし、空間魔法の存在は隠す」
表から荷馬車をすべて消せば、何か特別な手段があると気づかれる。普通の商隊も残す。国境を越えて品を運ぶ時の税も支払う。その裏で、価値の高い品、急ぎの品、大量に動かす必要がある品を空間魔法で運ぶ。すべてを空間魔法へ頼るのではなく、最大の利益を生む場所へ使う。
「俺が表へ出ることもない。商会の方針として、ロイドとセルジュが決めたように見せろ」
「承知いたしました」
「帳簿にも、あなた様のお名前は残しません」
二人がうなずいた。鳳凰商会は、アークハルト家の商会ではない。俺が空間魔法を使っても、男爵家の倉庫や騎士団を経由させるつもりはなかった。鳳凰商会が自ら商売を行い、得た利益で店と人を増やしていく。
「最初の支店は、デボルト子爵領へ出す」
俺は机へ地図を広げ、アークハルト領の南を指した。
「デボルト子爵領でございますか」
ロイドが地図をのぞき込む。
「隣領ですので、商人や荷の往来は多くございます。最初の支店を出す場所として、不自然ではありません」
「商売だけが理由ではない」
全員の視線が俺へ集まった。
「半年前、ニーナをさらおうとした者たちがいた。実行犯は俺の配下にしたが、依頼人にはまだたどり着けていない」
依頼人はニーナを名指しし、彼女が七日に一度、裏山へ山菜を採りに行くことまで知っていた。だが、ニーナが火魔法を使えることは知らなかった。何のためにニーナをさらおうとしたのか。なぜ、屋敷で働く大勢の使用人の中から、ニーナを選んだのか。その真の目的は、今も分かっていない。
「デボルト子爵家が怪しいと考えている」
グレイグの目が鋭くなった。
「証拠はあるのですか?」
「ない」
「では、なぜそのようにお考えなのですか?」
「デボルト子爵は、父上をうらやみ、憎んでいる。権力と金はあるが、領主としては無能な男だ。それでも野心だけは一人前にあり、自分より爵位が下でありながら、陛下やグランベル辺境伯から信頼されている父上を邪魔に思っている。父上を不利な立場へ追い込むため、屋敷の人間へ手を出したとしても不思議ではない」
それだけではない。滅びた世界で見たデボルト子爵領の腐敗も、俺の中には残っている。だが、未来の記憶だけで罪を決めるつもりはない。
「疑っているだけだ。決めつけない。だから、今の証拠を集める」
「商会なら、店を構えながら人と品と金の流れを調べられます」
セルジュが言った。
「宿、酒場、商人組合、荷運び人。普通に商売をしているだけでも、領内の噂は集まるでしょう」
「噂だけでは足りない」
俺はクロウとフェルへ目を向けた。
「《鳳凰の目》を作る」
「鳳凰の目、でございますか」
クロウの赤い瞳が細くなる。
「商人や旅人から集めた話を、クロウの虫で確かめる。街道、宿、倉庫、役人が出入りする場所。疑われない小さな虫なら、人の目が届かない場所まで入れる」
「ふぉふぉ……虫を放ち、その目と耳で裏を取るのでございますな」
「そうだ。ただし、クロウ一人へすべてを任せない」
次にフェルを見る。
「フェル。お前の《魔獣使役》と《飼育》で、翠羽鳥を増やせるか?」
「はい。今いる六羽からなら増やせます。遠くまで飛べるのは、まだ三羽ですけど」
「支店ごとに翠羽鳥を置く。集めた情報を短い報告にまとめ、毎日決まった時刻に飛ばせ。急ぎの時は、時間を待たなくていい」
「分かりました。遠くても迷わないように、今から訓練します」
「クロウの虫が情報を集め、フェルの翠羽鳥がそれを伝える。商会の人間が集める表の噂と重ね、セルジュが整理する」
虫だけでは、広い土地から情報を運び切れない。翠羽鳥だけでは、隠された事実を見つけられない。商人の耳、クロウの虫、フェルが育てる魔鳥。三つをつなげて、一つの目にする。
「それが《鳳凰の目》だ」
クロウが胸へ手を当てた。
「承りました。小さな虫一匹が見つけた違和感まで、拾い上げてみせましょう」
「俺も、必ず届けます」
フェルが力強くうなずいた。
「まずはデボルト子爵領へ根を張る。商会の支店を作り、虫を広げ、翠羽鳥が往復できる道を作れ」
「支店を出す方法と時期は、私とロイド殿にお任せいただけますか」
セルジュが尋ねる。
「任せる。現地で小さな店と提携するか、新しく店を借りるかも二人で決めろ。働く者も、可能な限り現地で雇え」
「承知いたしました」
「グレイグ。護衛が必要になれば、鳳凰商会から正式な依頼を受けろ」
「承知しました。出す人数と受ける依頼は、俺が決めます」
「それでいい」
鳳凰商会とフェニックス傭兵団は、それぞれの責任者が自ら判断して動く。俺が決めるのは、大きな方針と、表へ出せない仕事だけだ。
すべてを一人で動かそうとすれば、俺がいない場所で組織が止まる。それでは、遠く離れた場所へ手を伸ばすことなどできない。
話を終えると、ロイドとセルジュは早くも支店に必要な資金と人員を話し合いながら、地下倉庫を出ていった。グレイグも、護衛へ出せる者を確かめるため訓練場へ戻る。フェルは翠羽鳥の餌と繁殖場所についてクロウへ相談しながら、二人で後に続いた。
ガルムも、亜空間に食料を入れたままにできないと知り、興味を失ったらしい。最後まで亜空間を警戒していたアイゼンを連れ、宿舎へ戻っていった。
残ったのは、俺とルナだけだった。ルナは空間魔法書を胸へ抱き、木箱の並んだ亜空間を見ている。
「王家の秘宝を、受け取ったその日のうちに商売へ使う者など、そなたくらいじゃ」
「使える力を使わない方が、おかしい」
「普通は、もう少し有り難がるものじゃ」
「有り難がっている」
「どこがじゃ」
「大切に使う」
「商売でか?」
「商売でも、だ」
空間魔法で品を運べば、鳳凰商会は利益を得られる。利益があれば人を雇える。各地へ店を出せば、クロウの虫とフェルの翠羽鳥をさらに遠くへ送れる。集まった情報を、空間魔法で必要な場所へ届けることもできる。
物と人と情報。そのすべてを、災厄が起きる前に動かす。
「そなたは、いったいどこまで手を広げるつもりじゃ」
「必要な場所までだ」
「答えになっておらぬ」
「今度は俺が言う番か?」
「わらわの真似をするでない!」
ルナの声が地下倉庫へ響く。俺は亜空間へ続く黒い裂け目を見た。
今はまだ、一つの倉庫を持ち歩けるだけだ。だが、座標を刻めるようになれば、距離は意味を失う。視界の先へ移れるようになれば、今まで届かなかった場所へも手が届く。
滅びた世界では、どれほど速く走っても間に合わない場所があった。たどり着いた時には町が燃え、砦が落ち、守ろうとした者が冷たくなっていた。
今度は違う。
品を運ぶ道を作る。
情報を運ぶ目を作る。
そして、助けを必要とする者のもとへ、仲間たちの力を届ける。
空間も、商会も、傭兵団も、《鳳凰の目》も。
すべて、そのために使う。
まずは、その目をデボルト子爵領へ伸ばす。半年前、ニーナを狙った者へ続く糸を見つけるために。
今度こそ、手遅れになる前に。
必ず、間に合わせる。




