第109話 勇者の成長13
「ガレス様からですか?」
「ああ。アークハルト領でも、この半年で魔物の分布がわずかに変わっているらしい。魔の森と、帝国に接するこちらの国境で起きている異変につながりがないか、情報を共有したいと書かれている」
「お父様が、アークハルト領へ行くのですか?」
「いや。今は動かない」
胸の奥へ膨らみかけた期待が止まった。
「行かれないのですか?」
「国境で何者かが《魔誘香》をまいたばかりだ。帝国軍が動いたのか、それとも別の者が争いを起こそうとしているのかも分からない。この状況で、私が長く領地を空けるわけにはいかない」
「では、ガレス様がお越しになるのですか?」
「アークハルト領でも魔物の動きが変わっている。ガレスも同じだよ。魔の森を守る領主が、今その場を離れるべきではない」
「そう……ですよね」
分かっている。お父様も、ガレス様も、自分たちの領地を守る責任がある。私がアレス君に会いたいという理由で、その責任を軽くしてよいはずがない。
「代わりに、互いの地図と報告書を写し、信頼できる者へ持たせる。森で見つけた《魔誘香》の一部も送るつもりだ」
「アレス君も、魔物の変化を調べているのでしょうか」
「おそらくね。ガレスの手紙には、アレス君が魔の森で記録した出現場所も添えられている」
報告書の中だけでも、アレス君は私より先へ進んでいる。今度は、同じころに起きた異変を、それぞれ別の場所で見ていた。
「……私も、アークハルト領へ行きたいです」
口にしてから、首を横へ振った。
「いいえ。今は行きません」
お父様とお母様が、少し驚いたように私を見る。
「会いたくないわけではありません。とても会いたいです」
「ずいぶんと正直だね」
「お父様が、顔に出るとおっしゃるからです」
隠しても意味がない。
「ですが、今日、私は自分の役目を勝手に変えてはいけないと学びました。今の私の役目は、ここで剣を学び、次に国境へ出る時に備えることです。アレス君にも、アレス君の役目があると思います」
今日の森で、オーウェンたちを信じて荷車へ残った。苦しくても、自分の役目を守ったから救えた者がいる。会いたいという気持ちだけで、その順番を変えてはいけない。
「よい判断だ」
お父様が静かにうなずいた。
「少し残念そうですが」
お母様がほほ笑む。
「残念なのは、仕方ありません」
「その代わりになるかは分からないが、一つ話しておこう」
お父様が、机の引き出しから別の手紙を取り出した。今度の封には、王家の紋章が押されている。
「陛下は、勇者と聖女が選ばれて一年となるころ、王都で《勇聖奉告式》を行うことをお考えだ。勇者と聖女を王国中へ紹介し、女神へ感謝をささげる正式な儀式だ」
「奉告式……」
「まだ決定ではない。東部と王都の情勢が落ち着いていること。お前とリシア殿下の護衛を十分に整えられること。それらが条件になる」
「リシアにも会えるのですか?」
「実施されればね」
「アレス君は?」
尋ねると、お父様が笑った。
「やはり、そこへ戻るのだね」
「大切なことです」
「同じ時期に、陛下は東部の守りについてガレスと私から直接話を聞きたいと考えておられる。ガレスが王都へ招かれるなら、アレス君が同行する可能性はある」
「では、王都で会えるかもしれないのですね」
「あくまで、その可能性があるだけだよ」
「十分です」
今すぐではない。夏の終わりごろ。それまでに、まだ四か月以上ある。
今日の私では、ローガンを半歩しか動かせない。《鉄牙狼》も、一人で倒したわけではない。ならば、会う日までにもっと強くなればいい。
「次に会う時までに、ローガンを一歩動かします」
「私に会うのは、明日の朝でございます」
隣にいたローガンが冷静に告げた。
「アレス君に会う時まで、という意味よ」
「でしたら、期限は未定でございます」
「だから、必ずできるわ」
「理屈になっておりません」
執務室へ、小さな笑い声が広がった。
怖かった。痛かった。自分一人では何もできないことも知った。それでも、今日一日で、私は昨日まで知らなかった多くのことを学んだ。
会いたいからと、すぐ会いに行くことだけが前へ進むことではない。離れた場所で自分の役目を果たし、いつか同じ場所へ立つために備えることもできる。
私は壁に並ぶ五枚の報告書を思い浮かべた。次の一枚が届くまでに、私も新しい報告を一つ増やそう。
◇
その夜、私はリシアへ手紙を書いた。
『親愛なるリシアへ。
まず、無事に帰ったことをお伝えします。
今日、初めて国境の森へ行きました。《鉄牙狼》の群れと戦い、銀色の大きな群れ主を、ローガンやオーウェンたちと一緒に倒したわ。自分の剣で魔物を倒したのも、血を浴びたのも初めてだった。とても怖かった。
左腕を少し痛めたけれど、骨は折れていないから心配しないでね。行方が分からなくなっていた六人も、全員帰ることができました。
私一人で助けたわけじゃない。探す人、戦う人、傷を治す人、負傷者を搬送する人が、それぞれの役目を果たしたからよ。以前の私は、強くなるということは、自分一人で何でもできるようになることだと思っていたの。今日、少しだけ違うのだと分かった。
それから、《闘気》をほんの少し使えるようになったの。まだローガンを半歩しか動かせないけれど、次に会う時までには一歩動かすつもりよ。
もう一つ、お知らせがあります。陛下は、私たちが選ばれて一年になるころ、王都で《勇聖奉告式》を行うことをお考えだそうです。まだ決まったわけではないけれど、実現すればリシアに会える。
ガレス様も東部の守りについて話すため、王都へ招かれるかもしれません。そうなれば、アレス君も同行するかもしれない。
今すぐアークハルト領へ行くことはできません。少し残念です。でも今日、自分の役目を勝手に変えてはいけないと学んだわ。アレス君に会う日まで、私はここで強くなる。
三人で会うことができたら、リシアに言われたとおり、最初にきちんと挨拶します。その後で、訓練試合を申し込むつもりです。
あなたの従姉妹、セレスティアより』
最後まで読み返し、傍にいたミレイユへ尋ねた。
「これでいいと思う?」
「はい。とてもセレスティア様らしいお手紙かと存じます」
「訓練試合のところ?」
「すべてでございます」
少し意味が分からなかった。封を閉じ、明日の朝一番で王家の伝書魔鳥へ託すようミレイユに頼む。
壁には、アレス君の五枚の報告書が並んでいる。いずれ、アレス君について記された六枚目の報告も届くだろう。
けれど、今ここで増やすべきなのは、アレス君の記録ではない。私自身が今日、何を見て、何を選んだのかを書き残すのだ。
机の引き出しから新しい紙を取り出し、題を書いた。
『初めての実戦で学んだこと』
一、自分一人で何でもしようとしない。
二、仲間の役目を信じる。
三、追える敵を追わない勇気を持つ。
四、勝った後ほど、傷と失敗を確かめる。
五、必ず帰る。
「最後は、とても大切でございますね」
ミレイユが隣から紙をのぞき込んでいた。
「うん。お父様とお母様に約束したから」
「私とも、お約束ください」
「もちろんよ」
私の最初の一枚を、アレス君の報告書とは別の壁へ留める。
会える日がいつになるのかは、まだ分からない。王都の《勇聖奉告式》も、東部の異変が大きくなれば中止になるかもしれない。それでも構わない。会えない時間にも、私は進める。
報告書に記されたアレス君の背中を追うだけではなく、自分の足で、一歩ずつ。いつか三人で顔を合わせた時、勇者という名だけではなく、セレスティア・グランベルとして胸を張れるように。
そして、きちんと挨拶をした後で。
今の私とアレス君の間に、どれほどの距離があるのか。
必ず、この剣で確かめる。
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