↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者: 雅
第八章 勇者セレスティア・グランベル

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

108/174

第108話 勇者の成長12

勇者セレスティア・グランベル視点


 頬には《鉄牙狼》の血が乾いている。視線の先には、私が倒した四体の《鉄牙狼》と、銀背の群れ主が横たわっていた。


 動かない。本当に、殺した。


「……怖かった」


 小さな声が漏れた。戦っている間は、考える余裕がなかった。今になって、牙が目の前へ迫った光景が何度も頭の中へ浮かぶ。


 もし盾を上げるのが遅れていたら。もしローガンが銀背の脚を斬ってくれなかったら。もしオーウェンの矢が外れていたら。どれか一つでも違っていれば、私は死んでいたかもしれない。後ろにいた治療師や負傷者も。


「ええ」


 ローガンが私の前へ立った。


「怖くて当然です」


「ローガンも、怖かったの?」


「もちろんです」


「まったく、そうは見えなかったわ」


「見せなかっただけです」


 ローガンが膝をつき、私の左腕へ触れた。


「骨は折れておりません。ただし、強く傷めております。しばらく動かさぬように」


「分かった」


「それから、先ほどの銀背を一人で倒したとは考えないでください」


「分かってる」


「私が前脚を斬り、オーウェンが目を射抜きました」


「分かってる」


「二人がいなければ?」


「私は、あの魔物に負けていたと思う」


 悔しくはなかった。事実だからだ。


「でも、二人が作ってくれたすきへ入ったのは私よ」


「そのとおりです」


「荷車も守った」


「はい」


「逃げた魔物も追わなかったわ」


「よくできました」


 初めて、ローガンから素直に褒められた。うれしいはずなのに、なぜか涙が出そうになった。


「今、褒めるのはずるい」


「なぜでしょう」


「だって、今まで一度も素直に褒めてくれなかったんだもの。泣きそうになるじゃない」


「泣いても構いません」


「みんなが見てる」


「勇者は泣いてはならないのですか?」


「……そんなことないわ」


 私はうつむき、右手で目元を拭った。泣いたのは、ほんの少しだけだった。周囲の兵士たちは、誰一人こちらを見ていないふりをしてくれた。


「今、見た人はいる?」


 私が小さく尋ねると、最も近くにいた騎士が、傷ついた腕を押さえながら真顔で答えた。


「何も見ておりません、お嬢様」


「俺もです」


「私も、ちょうど森を警戒しておりました」


 あまりにそろった返事がおかしくて、涙の残る顔のまま笑ってしまった。皆も、ほっとしたように笑った。


「勇者様」


 オーウェンが、二人の兵士を連れてきた。肩を借りている者は脚を負傷し、もう一人も鎧のあちこちが裂けていた。


 それでも、二人とも生きている。


「ダンとミハイルです」


「無事で……よかった」


「勇者様たちが来てくださらなければ、戻れませんでした」


 ダンと呼ばれた兵士が、頭を下げようとする。


「動かないで」


 慌てて止めた。


「二人が群れを引きつけてくれたから、四人も生きていたの。誰か一人のおかげじゃない」


「それでも、ありがとうございます」


 今度は、止めなかった。ありがとうと言われたことを、自分だけの手柄だと思わなければいい。私も頭を下げた。


「みんなで、砦へ帰ろう」


◇


 城へ戻ったのは、日が沈んでからだった。第三砦で応急処置を受けた左腕は、布で固定されている。頬と髪についた血は洗い流したが、服のすき間へ入り込んだ森と血の臭いが、まだ残っているように感じる。


 城門が見えた瞬間、お父様とお母様の姿を探した。二人とも、門の前で待っていた。その後ろには、ミレイユや城の使用人、訓練場にいた騎士たちまで集まっている。


 夕闇の中、ほどいた青髪が馬の背へ長く流れていた。血を洗い落とした白い顔には疲れが残り、左腕も固定されている。それでも私が無事に戻ってきたと分かると、こわばっていた皆の表情が一斉にほどけた。


「お帰りなさいませ、お嬢様!」


 城門を守る兵士が、声を震わせて迎えてくれた。その声へ応えるように、あちこちから「お帰りなさい」と重なった。


「ただいま。みんなも一緒に帰ってきたわ」


 私ではなく、後ろの荷車を示す。待っていた者たちはすぐに道を開け、負傷者を搬送するために走り出した。私が何を守るために出たのかを、皆が分かってくれている。


 馬から下りると、お母様がこちらへ歩いてくる。最初に顔を見て、次に固定された左腕、革の鎧についた傷へと視線を動かす。そして何も言わず、私を抱き締めた。


「ただいま戻りました」


「お帰りなさい」


 声がわずかに震えている。


「約束どおり、帰ってきました」


「ええ」


 お父様も傍へ来た。私の頭へ手を置こうとして、一度止める。子ども扱いしない方がよいと思ったのかもしれない。私は自分から、その手の下へ頭を入れた。


「なでてもよいです」


「そうかい?」


「今日だけです」


「それは残念だ」


 大きな手が、青い髪を優しくなでる。城へ戻ってきたのだと、ようやく実感した。


 その後、執務室でお父様とお母様へ正式な報告を行った。


 巡回隊六名は全員生還。このほか、捜索隊と第二陣では七名が負傷したが、巡回隊を含め、命に関わる者はいない。


 《鉄牙狼》十八体と、銀背の群れ主一体を退治。森の街道へまかれていた《魔誘香》の欠片も回収した。その表面には、帝国東部で使われる工房印とよく似た刻印があった。


「帝国軍が行ったと考えてよいのでしょうか」


「可能性は高い」


 お父様が答えた。


「だが、印だけでは証拠にならない。帝国の品を手に入れ、王国側の者が使った可能性もある」


「誰が、そのようなことを?」


「国境で争いが起きれば得をする者は、帝国軍だけではない。武器を売る商人も、対立をあおって立場を強くしたい貴族もいる」


 思っていたより、ずっと複雑だった。目の前に帝国兵がいれば、敵だと分かる。けれど、残された炭と印だけでは、誰が何のために行ったのか決められない。


「では、何もできないのですか?」


「いいや。できることをする」


 お父様が地図へ目を向けた。


「国境の巡回を増やす。《魔誘香》がどこから運ばれてきたのか調べ、北の岩山で何が起きているのかも確かめる。帝国側へも、正式な経路を通じて調査を求める」


「認めるでしょうか」


「認めなくても、こちらが知っていると伝える意味はある」


 戦うことだけが、領地を守る方法ではない。報告し、調べ、相手へ知らせる。今日の私が、魔物を追わず負傷者を搬送したことと、少し似ているように思えた。


「セレス」


 お父様に呼ばれる。


「はい」


「今日、自分が何をしたと思う?」


「四体の《鉄牙狼》と、銀背の群れ主を倒しました」


「それだけかい?」


「荷車と治療師を守りました」


「ほかには?」


「周囲の魔物の位置を伝えました。負傷者を搬送し、最後には追撃を止めました」


「一番難しかったのは?」


 少し考えた。銀背へ剣を振るったこと。最初の《鉄牙狼》を殺したこと。負傷者を搬送したこと。どれも難しかった。


「二人を探しに行かなかったことです」


 正直に答えた。


「助けを求めていると分かっていたのに、荷車の傍に残りました」


「後悔している?」


「いいえ」


 今なら分かる。私まで捜索へ加わっていれば、荷車の下から入り込んだ《鉄牙狼》を止める者が一人減っていた。治療師が襲われ、重傷者の治療ができなくなっていたかもしれない。


「オーウェンたちを信じて、自分の役目を守り、荷車の傍に残りました。苦しかったですが、間違っていなかったと思います」


「私も、そう思う」


 お父様がほほ笑んだ。


「今日の働きをもって、すぐ国境へ出してもらえるとは考えていないね?」


「はい」


「少しは期待していた顔だ」


「だって、少しくらいは期待するでしょう?」


「ずいぶんと正直だね」


「お父様が顔に出ているとおっしゃったのです」


「今のお前は、守られるだけの子どもではない。だが、一人で戦場へ立てるほどでもない」


「分かっています」


「ならば、これからも人と一緒に戦うことを学びなさい」


「ローガンたちとですか?」


「それもある」


 お父様が、机の端に置かれていた一通の手紙を手に取った。封に押された印を見て、胸が大きく跳ねる。


 アークハルト男爵家の紋章。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。