第104話 勇者の成長8
勇者セレスティア・グランベル視点
「……従います」
「迷ったね」
「はい。きっと、助けに行きたいと思います」
うそをついても意味がない。
「ですが、私が罠にかかれば、私を助けるために皆を危険にさらします。声の主を助けられないばかりか、荷車の負傷者まで失うかもしれません」
「では、見捨てるのかい?」
「違います」
首を横へ振る。
「助ける方法を探します。けれど、最初から一人で飛び込むことだけが、助ける方法だとは考えません」
アレス君の報告書に書かれていた言葉を思い出す。使えるものをすべて使う。それでも届かなかった時、最後に命を懸ける。順番を間違えてはいけない。
「敵が、森の向こうへ逃げたら?」
「追いません」
「勇者を臆病者と笑っても?」
「笑わせておきます」
「腹は立たない?」
「立ちます」
部屋の中から、小さな笑い声が漏れた。
「ですが、追いません。捕まえることより、巡回隊を連れて帰ることが任務だからです」
お父様は、しばらく私を見つめた。
やがて地図へ視線を戻す。
「同行を認めよう」
「本当ですか?」
「ただし、条件がある」
「何でしょうか」
「任務中、ローガンの命令は私の命令と同じだ。勇者としてではなく、捜索隊の一員として扱う」
「はい」
「荷車と治療師の護衛が、お前の役目だ。勝手に役目を変えてはならない」
「はい」
「一度でも命令に背けば、今後一年、国境への同行は認めない」
一年。長い。けれど、私を連れていくことで、お父様も責任を負う。
「分かりました」
「怖くはありませんか?」
お母様が静かに尋ねた。
大丈夫です、と答えそうになった。訓練では何度も勝っている。ローガンもいる。自分は勇者だ。そう答えれば、皆を安心させられるかもしれない。
けれど、本物の魔物が相手となれば、木剣のように寸前で止まってはくれない。負ければ、痛いだけでは済まない。
「怖いです」
両手を握った。
指先が、少し冷たくなっている。
「ですが、怖くないと言える日を待っていたら、いつまでも何もできないと思います」
「そうですか」
お母様が私の前へ歩み寄り、乱れていた青い髪をそっと整えた。
「必ず、帰ってきなさい」
「はい」
「勇者としてではありません」
青い瞳を、真っ直ぐに見つめられる。
「私たちの娘としてです」
「必ず帰ります」
今度は迷わず答えた。
◇
城門の前には、二十人の騎士と二台の荷車が並んでいた。一台には治療師と薬。もう一台には、負傷者を寝かせるための毛布や板、食料と水が積まれている。
私は動きやすい紺色の訓練着の上へ革の鎧を身につけ、腰へ真剣を下げていた。高く結んだ長い青髪が風に揺れ、城門から差し込む陽光を受けて透き通るように輝く。
豪華なドレスをまとった時とは違う。けれど、鎧姿の私を見た兵士たちは、一瞬だけ声を失った。
十二歳のかわいらしさを残した顔立ちと、鍛錬を積んだ剣士の立ち姿。その二つが重なる私は、彼らが物語で思い描いてきた勇者そのものに見えたのかもしれない。
すぐに二十人全員が、そろって胸へ拳を当てた。
「セレスティア様と共に、必ず全員を連れ帰ります!」
先頭の騎士が声を上げる。
「みんな、お願いね」
私も一人ずつの顔を見て、頭を下げた。
「それと、私もみんなと一緒に帰るから、置いていかないでね」
一瞬の静寂の後、張り詰めていた兵士たちの顔へ笑みが広がった。
「もちろんです、お嬢様!」
勇者様ではなく、お嬢様。
いつもなら子ども扱いされたようで少し不満になる呼び方が、今日は心強かった。
木剣ではない。幼いころから何度も持ったことはある。さやから抜き、型を確かめたこともある。けれど、誰かを傷つけるかもしれない場所へ持っていくのは初めてだった。腰が、いつもより重く感じる。
「似合っておりますよ、セレスティア様」
ミレイユが笑顔で告げた。
「本当に?」
「はい。けれど、少しだけ顔が白く見えます」
「そうね。少しだけ、緊張してるの」
「お戻りになったら、温かいお食事をご用意いたします」
「甘い物もね。今日は二つにして」
「もちろんでございます」
「勇者様が、出発前から帰った後の菓子の話ですか」
聞き覚えのある声に振り返ると、赤茶色のひげをたくわえた大柄な兵士が立っていた。
「オーウェン!」
「お久しぶりでございます、勇者様」
鑑定の儀式の直後、左肩に矢を受けて戻ってきた国境守備隊の小隊長、オーウェンだ。傷はすでに治っている。左腕を以前と同じように動かし、背には大きな弓を背負っていた。
「今回の捜索に加わるの?」
「先に出た巡回隊は、俺の部下です。寝て待っているわけにはいきません」
「肩は、もう大丈夫?」
「少し深いかすり傷でしたから」
「まだ、そんなことを言ってるの?」
「お嬢様が手紙に本当のことを書いたせいで、妻には大層しかられました」
「うそを書かなかっただけ」
「おかげで、二か月は酒を止められました」
「けがが治ったのなら、よかったじゃない」
「まったくでございます」
オーウェンが目尻に深いしわを作って笑う。
その顔を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
「それにしても、五人をまとめて倒されたそうですな」
「もう聞いたの?」
「城の兵士で知らぬ者はおりません。朝からその話で持ち切りです」
「少し大げさよ」
「皆、うれしいのですよ」
オーウェンは笑みを残したまま、けれど真っ直ぐに私を見た。
「剣を引きずって訓練場を歩いていたお嬢様が、今では我らの隣で戦える。古くからいる連中ほど、自分のことのように自慢しております」
「……それなら、今日も自慢してもらえるように頑張る」
「無事にお戻りになることが、一番の自慢になります」
「分かってる。だって、帰ったらお菓子が二つ待っているもの」
「それは何としても戻らねばなりませんな」
「セレスティア様」
ローガンが呼ぶ。
「出発いたします」
「分かった」
用意された馬に乗る。
お父様とお母様が、城門の内側で見送っていた。
二人へ、必ず帰るともう一度うなずいた。
門が開いた。
石畳の先に、東へ続く街道が伸びている。何度も通ったことのある道だ。領内の村を訪れた時も、お父様と砦の近くまで行った時も、この門から出た。
けれど、今日は違う。守られるために城を出るのではない。誰かを連れて帰るために向かう。
馬が歩き始める。
腰の剣が、馬の鞍に触れて小さな音を立てた。
怖い。
それでも、目を逸らさない。
アレス君も、初めて魔の森へ入った時は怖かったのだろうか。報告書には書かれていない。強いから怖くなかったのだと、勝手に決めるべきではないのかもしれない。
いつか会えたら、聞いてみたいことが一つ増えた。
けれど、その前に。
自分が今日、何を見て、何を選ぶのか。
まずはそれを、自分の目で確かめなければならない。
私は手綱を握り、国境へ続く道を進んだ。
鑑定の儀式の直後、勇者という名だけを抱えて、行かせてほしいと願った場所へ。
今度は、自分が果たす役目を背負って。




