第101話 勇者の成長5
勇者セレスティア・グランベル視点
「始め!」
ローガンの声が響くより早く、五人が動いた。
正面からセドリック。左右の四人は、わずかに時間をずらして踏み込んでくる。最初から全員で斬りかかるのではない。
一人目を受けた直後へ二人目、その回避先へ三人目を置き、最後の二人が逃げ道を塞ぐ。昨日、四人で私に負けた後に考えたのだろう。
「でも、遅いわ」
五本の木剣すべてを見る必要はない。足音。呼吸。土を蹴る強さ。肩と腰の向き。半年前から何度も剣を交えた相手なら、視界の端にいるだけで次の動きが分かる。
私は退かず、正面のセドリックへ踏み込んだ。
「また正面から――」
セドリックの木剣が振り下ろされる前に、小盾をその胸に押し当てた。木剣を右腕ごと外へ流し、セドリックの身体を右から迫っていた騎士の進路へ押し込む。
「うわっ!」
「セドリック、退け!」
二人の足が止まる。
その瞬間、左側から来た騎士の木剣が私の肩を狙った。
身体を低く沈める。
木剣が青い髪の上を通り過ぎた。私は屈んだまま身体を回し、相手の足首へ木剣を当てる。
「一本!」
ローガンの声が飛ぶ。
一人目。けれど、残りは四人いる。
背後から、風を切る音が二つ重なった。左右から同時に木剣が迫る。
右足へ魔力を集めた。
「《風駆》!」
靴底と地面の間で風が弾ける。
身体が斜め前へ押し出され、二本の木剣が私の背後でぶつかった。着地と同時に右足を軸として反転し、体勢を崩した一人の胴へ木剣を当てる。
「二本目!」
もう一人は、すでに木剣を引き戻していた。速い。けれど、その目は私の木剣だけを追っている。
盾の陰で集めていた魔力を、指先から放った。
「《火花》!」
小さな火の粉が、目の前で弾ける。
「くっ!」
熱はほとんどない。目を焼くほどの光でもない。ただ、一瞬だけ視界を奪えば十分だった。
相手の懐へ入り、木剣を握る手首を小盾で打つ。跳ね上がった木剣の下から、柄頭を胸当てに押し当てた。
「三本目!」
見学していた兵士たちから歓声が上がる。
「まだです!」
声に重なって、セドリックの木剣が右肩へ迫った。
避け切れない。
私は肩を引きながら、その内側へ入った。木剣の先が訓練着をかすめる。同時に、私の木剣もセドリックのわき腹に触れた。
「四本目!」
「相討ちです!」
セドリックが抗議する。
「お嬢様の方がわずかに早い」
ローガンの判定は冷静だった。
「ですが、実戦なら右腕を斬られております」
「分かってる!」
答えながら、最後の一人へ向き直る。
最も身体の大きな騎士だった。仲間が倒される間、無理に入ってこなかった。私が魔法と身体強化を使い、呼吸が乱れるのを待っていたのだ。
「参ります」
「どうぞ」
騎士が地面を蹴る。速さより、重さを選んだ踏み込み。木剣を小盾で正面から受ければ、腕ごと押し潰される。
私は半歩だけ横へずれ、小盾を斜めに構えた。
木剣が盾へ触れる。衝撃を受け止めず、そのまま外へ流すと、騎士の身体が前へ泳いだ。
けれど、相手もすぐに左足を踏ん張った。空いていた左手が、私の小盾をつかもうと伸びる。
左手が来ることは分かっていた。盾を自分から手放す。
「なっ――」
重さを失った騎士の身体が、さらに前へ傾いた。
その横をすり抜け、背中へ木剣を当てる。
「五本目! そこまで!」
訓練場へ、ローガンの声が響いた。
私は大きく息を吐き、木剣を下ろす。
「ありがとう」
五人に向かって礼をする。
「……ありがとうございました」
セドリックたちも礼を返した。
五人とも悔しそうだった。けれど、訓練場の端からは、それを吹き飛ばすほど大きな歓声が上がった。
「お見事です、お嬢様!」
「五人抜きだ!」
「だから見とれるなと言っただろう!」
「最後のは関係ないでしょう!」
息を切らしているのに、思わず笑ってしまった。
勇者に選ばれた直後、兵士たちは私を見るたびに背筋を伸ばし、「勇者様」とかしこまった。今も公の場ではそう呼ばれる。けれど、ここにいる者たちは、私が幼いころに訓練場へ忍び込み、重すぎる木剣を引きずっていた姿も知っている。
彼らが誇らしげに笑うのは、勇者が強くなったからだけではない。グランベル家のお転婆な娘が、毎朝泥だらけになりながら、ようやく自分たちと肩を並べ始めたことを喜んでくれているのだ。そのことが、私はうれしかった。
半年前は、一対一でも十回に三回はセドリックに負けていた。今では、騎士団の標準的な騎士が一人なら、身体強化も魔法も使わずに負けることはほとんどない。
身体強化と《火花》《風駆》を使えば、四人を同時に相手にしても十回に七回は全員から一本を取れる。そして今日、初めて五人を相手に勝った。
「五十九呼吸です」
ローガンが告げた。
「昨日、四人を倒した時よりも二呼吸長いだけでした」
「もう少し、うれしそうに言ってよ」
「事実を申し上げております」
「五人よ? 少しくらい褒めてくれてもいいじゃない」
「では、反省点は必要ありませんか?」
「……聞くわ」
褒めてもらうことは諦めた。
「最初にセドリックを押し込んだ判断はよろしいでしょう。五人を同時に相手にせず、互いの動きを妨げさせた。三人目を倒したところまでは問題ございません」
「分かったわ」
「その後、二度死んでおります」
「勝ったのに?」
「勝敗と、死んだ回数は別です」
ローガンが、私の右肩を指した。
「セドリックの木剣が肩に触れました。真剣であれば、右腕の動きが鈍っております」
「かすめただけよ」
「毒が塗られていれば?」
「……死んでるわ」
「鎧を裂く魔法剣であれば?」
「右腕を失っているかもしれない」
「それが一度目です」
「もう一度は?」
「最後の打ち合いです。相手の力を流すことには成功しましたが、木剣へ意識を向けすぎました。左手が空いております」
最後に倒した騎士が、申し訳なさそうに左手を上げる。
腰には、訓練用の短剣が差してあった。
「使ってよかったの?」
「使わないように、始める前に命じられていました」
「それなら、死んでないじゃない」
「実戦の敵も、ローガン様の命令を守ってくださるのであれば」
「……二度、死んだのね」
認めるしかなかった。
「勝ったことを喜ぶなとは申しません。しかし、勝ったから見落とした傷が消えるわけでもございません」
「はい」
「一度目の負けで腕を失い、二度目の負けで命を失えば、五人に勝ったという結果も残りません」
胸に刺さる言葉だった。けれど、半年前のように腹は立たない。ローガンは、私を負かしたいのではない。私が本物の戦場で負けないよう、訓練の中で何度も殺してくれている。
「もう一度、お願い」
「休憩が先です」
「呼吸は乱れてない」
「右手が震えております」
言われて初めて気づいた。木剣を握る指先が、わずかに震えている。身体強化と二つの魔法を続けて使ったことで、腕だけでなく、魔力も消耗しているらしい。
「じゃあ、休憩の前に一本だけ、ローガンが相手をしてくれない?」
「話を聞いておられましたか?」
「一本だけ」
「お断りいたします」
「怖いの?」
「その挑発に乗るのは、セドリックだけです」
「ローガン様。なぜ私を見るのですか?」
セドリックが困ったように尋ねる。
「事実だからです」
「一本も当てなくていいの。先ほどの五人を倒した私が、ローガンを一歩動かせるか試したいだけ」
「休憩の後ではいけないのですか?」
「疲れている時に、どこまでできるのか知りたいの」
ローガンは黙って私を見つめた。
何を確かめているのかは分からない。
やがて、ローガンは訓練場の端に置いてあった木剣を手に取った。
五人を倒した喜びは、もう頭から消えていた。今の私が見ているのは、その先に立つ、まだ越えられない壁だけだった。




