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喫茶 春風 〜あなたに一杯の珈琲を〜  作者: 秋田コウ


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7/10

第7話 眼鏡

今回のお客様は、新しい眼鏡を掛けた一人の女性です。

よく見えるようになった景色の中で、見えないものについて静かに考えます。

 カラン――。

 木の扉が静かに開いた。

 三十代半ばほどの女性が店へ入ってきた。

 肩まで伸びた髪を一つにまとめ、淡い水色のブラウスを着ている。

 細い縁の眼鏡がよく似合っていた。

「いらっしゃいませ」

 祐子が穏やかに迎える。

 女性は窓際の席へ腰を下ろした。

「カフェオレをお願いします」

「かしこまりました」

 祐子は珈琲を淹れ、リョウ子が温めた牛乳を静かに注いだ。


「お待たせしました」

「ありがとうございます」

 女性は眼鏡を少し直し、カフェオレを一口飲む。

 ほっとしたように息をついた。

 女性は眼鏡を外し、レンズを拭いた。

 しばらくカップを見つめていたが、小さく笑った。

「この眼鏡、新しくしたばかりなんです」

「前より、よく見えるようになりました」

 女性は小さく笑った。

「でも、不思議ですね」

「こんなにきれいに見えるのに、人の気持ちは見えないんです」

 そう言って眼鏡にそっと触れる。

「見えたものだけで、決めつけてしまうことがあるんです」

 祐子は静かに耳を傾けた。


「職場に、とても尊敬している男性の先輩がいるんです」

「仕事を教えてくださる、とても優しい方なんです」

 女性はカップを見つめながら続けた。

「私が話しかけると、ときどき考え込むような表情をされることがあるんです」

「そのたびに、『私、何か失礼なことを言ってしまったのかな』って思ってしまって……」

「家に帰ってからも、あの表情ばかり思い出してしまうんです」

 祐子は静かに尋ねた。

「その方に、お聞きになったことはありますか」

 女性はゆっくりと首を横に振った。

「ありません」

「聞くのが怖くて……」

「もし本当に私が失礼なことを言っていたらと思うと、そのまま何も聞けなくなってしまうんです」


 しばらく店内に静かな時間が流れた。

 女性はカフェオレを一口飲み、窓の外へ目を向ける。

 歩道では、小学生たちが楽しそうに笑いながら歩いていた。

 その様子を見て、女性はふっと笑った。

「先輩があんな表情をされた理由なんて、本当は分からないんですよね」

「私は、あの表情の理由を聞いてもいないのに」

「『私が悪いことを言ったからだ』って、自分で決めつけていたんですね」

 祐子は静かにうなずいた。

 女性は眼鏡を外し、ハンカチでレンズをそっと拭く。

 もう一度掛け直し、柔らかな笑顔を浮かべた。

「今度は、思い込む前に聞いてみます」

「ちゃんと、ご本人に聞いてみたいです」

 女性は笑顔で言った。


 カフェオレを飲み終えると、女性がスマートフォンを取り出した。

『今度、お時間のあるときに相談してもいいですか』

 そう入力すると、小さく息をついた。

 女性は笑顔で言った。

「ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 祐子も笑顔で応える。

 女性は送信ボタンを押してから店を出る。

 カラン――。

 ベルがやさしく鳴る。


「お帰りのときは、表情がやわらかくなっていましたね」

 ハル子が言った。

「ええ」

 祐子はカップを磨きながら微笑んだ。

「思い込みが一つほどけたのでしょうね」


 喫茶 春風。

 今日もまた、一人の心に、小さな春風が吹いた。

見えたことだけで、相手の気持ちまで決めつけてしまうことがあります。

ほんの少し勇気を出して言葉を交わせば、心の景色は違って見えてくるのかもしれません。

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