8. 婚約者候補?興味がありません
私が武器屋を出た瞬間、半泣きの声が飛んできた。
「お嬢様!」
しまったと私はその場で固まる。護衛の存在を完全に忘れていた。
男は今にも泣き出しそうな顔で駆け寄ってくる。
「ど、どちらへ行かれていたのですか!? この店に入ったと思って私も中へ入ったのですが、お嬢様のお姿が見当たらなくて……!」
私は視線を泳がせた。情報ギルドに行っていました、などと言えるはずがない。
咄嗟に笑顔を作る。
「み、店の奥に珍しい武器があると言われて、見せてもらっていたのよ」
かなり苦しい言い訳だった。だが護衛は私が無事だったことに心底安心しているようで、それ以上深く追及してこなかった。
「ご無事で……本当にご無事でよかったです……!」
彼は涙目でそう繰り返すと、今度は表情を引き締めた。
「これより先は、必ずお嬢様の後ろからついてまいります!」
正義感に満ちた声だった。
情報ギルドで用事は済ませたし、もう平民の格好でこそこそ歩く必要もない。そもそも迷惑をかけたのは私である。
私は小さく息を吐き、帽子のつばを指先で直した。
「……分かったわ」
そう告げると、護衛はほっとしたように胸を撫で下ろし、私の少し後ろを歩き始めた。
王都の大通りへ戻ると、通行人たちの視線がちらちらと刺さる。
「エスメラルダ様だわ」
「あの悪女の……」
囁き声が耳に入る。
金細工店で少しは印象を変えられたかもしれないが、悪女のレッテルはそう簡単に剥がれないらしい。
(地道にやるしかないわね……)
そう自分に言い聞かせながら歩いていると、ふと視界に大きな建物が入った。
細やかな装飾が施された柱。磨き抜かれたガラス窓。中には美しいドレスやタキシードが飾られている。
高級ブティックだ。
「わぁ……」
思わず声が漏れた。
前世では、服をゆっくり見る暇なんてなかった。ファストファッションのセール品をまとめ買いして、ひたすら着回す日々。セーターの毛玉もスカートの染みも、気にする余裕すらなかった。
ガラス越しに飾られたドレスは、夢のように綺麗だった。
(お金が貯まったら、絶対に来よう)
そう心に決めた時、入口の扉が開いた。
出てきた人物を見て、私は思わず「げ」と声を出しかける。相手も、私の顔を見て同じような表情をした。
煌めく金髪。切れ長の紫の瞳。白く汚れ一つない服に、王族らしい気品。
『聖女の微笑みの裏には』のヒーロー、レオンハルト・ヴァランスだった。
「エスメラルダ」
苦々しげに名前を呼ばれる。
エスメラルダは、彼の婚約者候補だ。しかも転生前は、彼に嫌がられるほど付きまとっていたらしい。
私は内心で深く息を吐き、なんとか笑顔を作った。
「ご機嫌よう、レオンハルト様」
「また俺のストーカーか?」
挨拶を返されるどころか、第一声でストーカー扱いされた。
流石にかちんとくる。レオンは言葉を続けた。
「近頃は俺に付きまとわなくなったが、それも作戦だったのだろう?」
レオンの乱暴な物言いに言葉を失う。そんな私に彼は、さらに言葉を続けた。
「まったく浅はかなやつだ。しかもレティシアに火を投げつけ、火傷までさせたというじゃないか。どこまでも自己中心的だな」
レオンハルトは、うんざりしたように言い放った。
エスメラルダの行動も、レティシアの件も、すべて勝手に決めつけられている。
確かに過去のエスメラルダの行いは褒められたものではない。だからといって何を言ってもいいわけではないだろう。
私は拳を握りしめた。そして、ゆっくり息を吸い込む。
「レオンハルト様」
「……何だ」
私は彼の目をまっすぐ見た。
その視線が意外だったのか、レオンハルトはわずかに息を呑む。私はにっこりと笑った。
「申し訳ございませんが、婚約者候補など、もう興味はありませんの」
その瞬間の彼の顔は、滑稽だった。
ぽかんと口を開け、次に混乱し、最後には苛立ちが顔に滲んだ。歪んだ笑みを浮かべながら言葉を投げつけてくる。
「は、分かったぞ。またそういう作戦だな? 興味がないふりをして、俺の気を引こうと──」
「いいえ。私の本心です」
本当ならこの場で婚約者候補から降りると言ってやりたかった。
だが、そこは慎重になるべきだ。派閥や立場を軽く見て痛い目に遭うのは、会社員時代に散々経験済みである。
すると、レオンハルトは私の肩をぐっと掴んだ。指が食い込み、痛みに眉をひそめる。
「お前が、俺に興味がないなどと言う資格が──」
「何かお困りですか?」
澄んだ声が割って入った。
見上げると、そこには絶世の美青年がいた。
月光のような銀髪。深い紺色の瞳。先日のパーティで見かけた、ベリルという貴族だ。
彼はレオンハルトの手首を掴んでいた。
「何だお前は! 俺が何者か知っての行動か?」
「申し訳ございません、レオンハルト王太子殿下。ランフォード公爵家のベリル・ランフォードと申します」
「ランフォード家……?」
レオンハルトの顔に、わずかな動揺が走る。
ランフォード家。
確か、エスメラルダも通う学園の運営を担っている家だ。社交界の表舞台には滅多に出ないが、王家に対して一定の発言力を持つとされる、謎の多い家。
「王太子殿下が騒がれているところを見られるのは、あまりよろしくないのでは?」
ベリルが穏やかに言う。
レオンハルトははっとしたように周囲を見回した。何人かの通行人が、こちらを遠巻きに見ている。
彼は分が悪いと判断したのか、舌打ちしそうな顔で手を離した。
ベリルは涼しい顔でそれを受け流し、私へ視線を向ける。
「では、エスメラルダ様。エスコートの続きを」
「え、えぇ」
名前を伝えたことがあっただろうか。そんな疑問は浮かんだが、今はレオンハルトから離れたい気持ちが勝った。
ベリルの手を取り、歩を進める。背中にレオンハルトの視線が突き刺さるのを感じながら、ブティックの前を離れた。
レオンから十分に距離を取ったところで、私はベリルへ向き直った。
「ありがとうございます。助かりましたわ」
「いえいえ、役に立ってよかった」
「では、私はこれで……」
助けてもらったのはありがたい。だが、彼に近づきすぎると危険だと警報が鳴っていた。
まず顔が良すぎる。家柄も強い。関われば、また余計な噂を呼ぶ。今の私に必要なのは、静かに稼ぎ、病気を治し、断罪ルートから離れることだ。
美青年とのロマンスではない。
(近寄らないのが吉!)
そう判断して去ろうとした瞬間、手首をそっと掴まれた。
振り返ると、ベリルが微笑んでいる。眩しいほど綺麗な笑みだった。
「また会える日を楽しみにしてるよ」
「? え、えぇ」
こちらとしては、もう会いたくない。
とはいえ助けてもらった手前、そんなことは言えない。私は曖昧に微笑むしかなかった。
ベリルは満足したように手を離す。
私は小さく会釈し、その場を離れた。




