7. 情報屋ギルド『黄昏の書庫』
「はぁ……」
私はため息をつきながら、王都の裏路地を歩いていた。
先ほどの一件で、民衆たちに貼られていた悪女のレッテルは、少しだけ剥がせたはずだ。それ自体はよかった。
しかしレティシアのあの目を思い出すと、背筋がうっすら冷える。
(あれ、完全に恨まれたわよね……)
断罪ルートを回避するために動いているはずなのに、別方向から加速している気がする。とはいえ、立ち止まって落ち込んでいる暇はない。私には時間がないのだ。
自分にそう言い聞かせ、目の前の店を見上げた。
裏路地の奥にある、古びた武器屋。看板は擦り切れ、窓も薄汚れている。通りからは見えにくい場所にあり、存在を知らなければ一生立ち寄ることはなかっただろう。
私は帽子を深く被り直し、ぎい、と軋む扉を押し開けた。
店内は狭かった。
壁には短剣や剣、槍の穂先がひしめくように並べられている。鉄と油の匂いが鼻をくすぐり、薄暗い空気が肌にまとわりついた。
奥にはもう一つ扉がある。その前のカウンターには、一人の男が気だるそうに座っていた。
私はまっすぐ彼の前へ行き、声をかける。
「錆びない短剣が欲しいの」
男の眉がぴくりと動いた。
「何色の剣だ?」
「夜明けの紫。柄には血塗れのルビーを」
そう答えると、男は無言で立ち上がった。
「ついてきな」
奥の扉が開く。
真っ暗な廊下へ足を踏み入れながら、私は内心で小さく笑った。
(合言葉が完全に厨二病なのよね……)
前世の私が言ったら痛々しいことこの上ないが、今の私はエスメラルダだ。
この美貌なら、夜明けの紫だろうが血塗れのルビーだろうが、多少は絵になったはずだ。多分。
廊下の先には、薄暗い空間が広がっていた。
中央には黒いフードを被った人物が座っている。周囲には書籍、鉱石、小瓶、羊皮紙などが乱雑に置かれていた。
まるで研究室のようでもあり、怪しげな商談部屋のようでもある。
店主は短く声をかける。
「オーナー、客だ」
「珍しいな」
フードの男が顔を上げる。
茶色の髪に、緑の瞳。思っていたよりずっと若い。整った顔立ちをしているが、目元には人を値踏みするような鋭さがあった。
店主はそれだけ告げると、さっさと元の店へ戻っていく。
オーナーと呼ばれた男は、頬杖をつくようにして私を見た。
「この場所を知っているなんて、よほどの通だな。何か依頼かい?」
「えぇ」
私は頷いた。
回りくどい駆け引きに時間を使う気はない。
「ブランジェムの入手方法を知りたいの」
その瞬間、男の空気がわずかに変わった。
ほんの一瞬だけ、場が固まる。彼は考え込むように指先でテーブルをとん、と叩いた。
「そりゃまた、珍しいものをお求めだ」
口元に笑みを浮かべる。
けれど、その目は笑っていない。
「情報が欲しいなら、対価を」
話が早くて助かる。
私は父からもらった麻袋を、そのままテーブルへ置いた。
「ここに一千万ゴールドあるわ」
オーナーの顔が、分かりやすく輝いた。
原作で見た通りだ。この男は無類のお金好きである。
ケチな貴族には情報を渋るが、気前よく払う相手にはおまけまでつける。そういう場面があった。
(父からの報酬が一気に消えるのは痛いけど……命には代えられないわ)
ここで惜しんではいけない。
今必要なのは、確実な情報だ。
「どうぞ、おかけください」
オーナーの態度が明らかに変わった。
先ほどまでの気だるさはどこへやら、にこやかな笑みで椅子を勧めてくる。胡散臭い。とても胡散臭い。
けれど私は素直に椅子へ腰を下ろした。
オーナーは指を組み、穏やかに尋ねる。
「それで? なぜブランジェムが必要なのですか?」
「情報が欲しいなら、対価を」
先ほどの言葉をそのまま返すと、彼は一瞬だけきょとんとした。
そして次の瞬間、腹を抱えるように笑い出す。
「ははっ、そうでしたね。失礼しました。では、対価にこちらを」
彼はテーブルの上から、小さな鉱石を一つ取り上げた。
白みがかった透明の石。光を受けると、内側に淡い虹のようなきらめきが浮かぶ。
「そちらがブランジェムです」
「……これが?」
私は思わず鉱石を見下ろした。
医学報では、とんでもなく高価な鉱石だと書かれていた。それをこんなに簡単に渡してくるなんて。
オーナーはにこにこと笑っている。
「それでは、もう一度伺いましょう。なぜ必要なんです?」
私は小さくため息をついた。ここまでされたら、答えないわけにもいかない。
ワンピースの袖をまくる。そこには、黒い薔薇の模様が浮かんでいた。
オーナーの目が見開かれる。
「黒薔薇病を治すために、大量のブランジェムが必要なのよ」
「なるほど」
彼は短く頷いた。
私は手の中のブランジェムを見下ろす。
「……これは、どうやって治療薬になるのかしら」
「飲むんです」
「え」
「粉々にして、飲むんです」
「え」
「あ、この情報は無料でいいですよ。サービスです」
オーナーは爽やかな笑顔で言った。
この男は、報酬を支払われた情報については絶対に嘘をつかない。原作でもそうだった。
想像以上に力技な治療法に、頭が痛くなる。
「はぁ……この金槌、借りていいかしら?」
「どうぞ」
私は諦めて、テーブルの上にハンカチを広げた。
その上にブランジェムを置き、近くにあった金槌を手に取る。何とも言えない気分のまま振り下ろすと、鉱石はぱきんと割れ、やがて細かな欠片になった。
私は粉末に近くなったそれを見つめ、ごくりと喉を鳴らす。
(これで死んだら、あまりにも間抜けすぎるわね……)
けれど、他に道はない。私は一気にブランジェムを飲み込んだ。
幸い、味はしなかった。
喉にざらつく感覚もほとんどない。痛みも苦しさもない。
一瞬、騙されたのではと疑いかけたが、腕を見ると黒薔薇の模様が完全に消えていた。
オーナーが勝ち誇ったように笑う。
「ほら、良くなったでしょう?」
「……そうね」
私は認めざるを得なかった。
そしてすぐに顔を上げる。
「次は、ブランジェムの情報について教えてちょうだい」
「世界中から見てもかなり珍しい鉱石で、魔力の流れがある地層でしか発掘できません。主な用途は魔法の触媒。市場には滅多に出回らず、そのため偽物や粗悪品も多い……といった情報は、ご存じのようですね」
「当然よ」
「さすが、ベルメール公爵家の一人娘だ」
私はぎくりとした。
数秒迷ったあと、諦めて帽子を脱ぐ。
やはり、最初から気づいていたのだろう。情報屋相手に変装が通じると思った私が甘かった。
オーナーは一本指を立てる。
「では、とっておきの情報を。ブランジェムは流通を制限されている可能性があります」
「制限? 一体誰が?」
「断定はまだできません」
「……は?」
思わず声が低くなる。
一千万ゴールドを払っているのに、肝心なところで「分かりません」と来た。
私の不満を察したのか、オーナーはにやりと笑う。
「曖昧なまま情報を渡すのは、私の矜持に関わりますので。いただいた報酬分の情報は、必ずお渡ししますよ」
「……つまり、もう少し待ってほしいということ?」
「えぇ」
悪びれもなく微笑む男を、私はじっと見た。
一千万ゴールドは返してもらうべきだろうか。それとも、この男に賭けるか。
原作知識から考えれば、情報ギルドのオーナーは有能だ。少なくとも、彼以上に裏の情報へ近づける相手を私は知らない。
ならば、ここで関係を切るのは得策ではない。
しばし考え、私は苦肉の策を口にした。黙って「はい、そうですか」と引き下がるわけにはいかない。
「銀行でも、お金を預ければ利息が発生するわ。あなたの情報を待つ間にも、当然、利息は発生するのでしょうね?」
「ふふ、利息と来ましたか」
オーナーは楽しそうに目を細めた。
「いいでしょう。利息に見合う情報は提供しましょう。手始めに、こちらを」
そう言って、彼は懐から名刺を取り出した。
そこには『黄昏の書庫』という文字が書かれていた。
「これは?」
「その名刺を持っていれば、連携店舗で様々な恩恵を受けられます」
裏面を見ると、宿屋やカフェなど実に様々な店舗名が名を連ねていた。一日並んでも入れないという人気店まである。
こんな店まで裏で牛耳っているのかと思いつつ、文字を指差して尋ねた。
「『黄昏の書庫』って何?」
「この情報ギルドの名前ですよ」
「あ、そう……」
合言葉といい、ギルド名といい、この男の血には厨二の魂が流れているに違いない。
そんなことを考えながら、私は名刺をしまい、薄暗い部屋を後にした。
「……ふうん。浅慮な人物と聞いていたが、噂とはだいぶ違うねえ」
エスメラルダが去っていった廊下を眺めながら、オーナーは楽しそうに呟いた。
一千万ゴールドを惜しげもなく置いていく度胸。黒薔薇病を抱えながらも、必要な情報を冷静に取りに来る判断力。利息を要求してきた図太さ。
噂の悪女とは、まるで違う。
薄暗い部屋の中で、彼の唇が小さく動く。短い呪文が空気に溶けると同時に、茶色だった髪が月光を帯びたような銀色へ変わっていく。緑色の瞳は深い紺色に染まり、先ほどまでの胡散臭い情報屋の姿は、瞬く間に一人の貴公子──ベリル・ランフォードへと変わった。
彼は名刺をしまい、口元に薄い笑みを浮かべる。
「少し追いかけてみるか」
作者の心は厨ニなので「夜明けの紫」「血塗れのルビー」のくだりは、ウキウキで考えてました。




