9. 社畜SE、魔法陣を最適化する
次の日。
私は荘厳な校舎の前に立っていた。
レンガ造りの建物は歴史を感じさせ、正面には原作の挿絵で見た学園の紋章が刻まれている。
目の前に広がる光景に、胸が高鳴った。
(ここが、アルディエラ魔法学園……!)
アルディエラ王国の貴族の多くが通う、由緒正しい魔法学園。
エスメラルダも本来は通っていたのだが、レティシアに火の玉をぶつけた件が落ち着くまでは登校を控えるよう父に言われていた。だが今日から、ようやく許可が下りたのである。
レオンハルトやレティシアがいることは不安ではある。
だが原作ファンとしては、学園に通えるというだけで胸が躍った。
(しかも制服が可愛いのよね!)
黒に近い紺色のジャケット。胸元には金糸で学園章が刺繍され、ワインレッドのタイが胸元に収まっている。ジャケットと同じ色のプリーツスカートが上品に揺れ、足元は薄茶色のロングブーツ。
鏡で見た時、私は何度も見惚れてしまった。
さすがエスメラルダ。顔がいいと制服も映える。
(断罪ルートはまだ残っているけど……友人を作って、真面目な生徒を演じていれば、きっと大丈夫!)
──そう思っていたのだが。
(そうだった。エスメラルダは劣等生だった……!)
私は早くも心が折れかけていた。
エスメラルダは公爵家の令嬢でありながら、魔力量が弱い。試験の点も芳しくない。さらに努力嫌い。
鞄に入っていたノートも教科書も真っ白。教師たちからは「今日は問題を起こすなよ」と言わんばかりの視線を向けられる。
そして現在、屋外での魔法実技の授業。
他の生徒たちは仲の良い者同士で集まっている。だが、私の周囲には不自然な空白ができていた。
(能力もなく、努力嫌いで、友人もいないなんて……!)
良いところが地位と顔くらいしかない。ズキズキと頭痛がひどくなったような気がした。
やがて、すらりとした男性教師がやってきた。
彼は私をちらりと睨む。他の教師にも散々睨まれたので、少し慣れてきている自分が悲しい。
「魔法陣を展開し、あの的に当てるのが今日の授業だ。魔法の種類は何でもいい」
教師が指差した先には、五十メートルほど離れた場所に藁のカカシが並んでいた。
「的に当てた者から帰っていい。当てられなくて癇癪を起こすなどしないように」
再び私を見た。じとりとした生徒たちの視線も集まる。
この反応を見るに、過去のエスメラルダは当てられなくて癇癪を起こしたのだろう。何だか泣きたくなってきた。
「では、はじめ!」
教師の声と同時に、生徒たちが横並びになり、次々と呪文を唱え始めた。一斉に魔法陣を展開される。
火の玉、水の刃、風の塊。色とりどりの魔法が飛び交い、的へ向かっていく。
「わぁ……っ」
圧巻の光景に思わず声をあげた。すると、一際大きな歓声が聞こえてくる。
視線を向けると歓声の先には、レオンハルトがいた。
彼の前には五つの魔法陣が浮かび、そこから雷の玉が立て続けに放たれている。的には当たっていないものの、そのたびに周囲から感嘆の声が上がった。
「すごいぞ! 五連発だ!」
「さすがレオンハルト様!」
どうやら魔法を連続して放てることは、魔力量の多さを示すらしい。レオンハルトは当然だと言わんばかりに顎を上げ、生徒たちの称賛を受けていた。
「五連発とは見事だ。学生でそこまで連続発動できる者は多くない」
教師も満足そうに頷いた。
だが次の瞬間、じっとりとした視線がこちらへ向けられる。早く撃て、と無言で催促されている。
私は慌てて左手を掲げ、魔法陣を展開した。
(どうせエスメラルダは、一発撃つのが精いっぱいよね)
なんなら五十メートル先の的まで届くかどうかも怪しい。
(まあ居残りになっても、残業には慣れているし……)
悲しい慰めをしていると、魔法陣の内側に並ぶ文字が目に入った。
古代語だ。
読めるか不安だったが、一文字ずつ目で追っていくうちに、奇妙な既視感を覚えた。
(これ……プログラミングコードとそっくりじゃない?)
前世で嫌というほど見続けたものだった。
上から順に処理が流れ、指定された命令を実行する。細かな表記こそ違うが、基本的な構造はコードそのものだ。
読み解いてみると、今展開している魔法陣には火球を一つ生成し、放出する処理が記されていた。
そしてレオンハルトを見ると、彼は雷を撃つたびに新しい魔法陣を一つずつ呼び出している。
つまり五連発するために、同じ処理を五回繰り返しているのだ。
「……効率が悪すぎるわ」
思わず呟いてしまった。
一度魔法陣を展開するだけでも、魔力を使う。
それなのに、同じ魔法を放つために何度も同じ魔法陣を呼び出すなんて、無駄が多すぎる。
(最初から、同じ処理を繰り返すように書けばいいだけじゃない)
いわゆるループ処理だ。
「おそらく、ここがエントリーポイントで……上から順番に処理が走っているのよね」
左手の魔法陣を見つめながら、右手の人差し指へ魔力を集める。
指先が淡く光った。
「なら、この命令の後ろに、繰り返し処理を加えて……」
魔法陣へ直接文字を書き加えていく。その瞬間、近くにいた生徒が息を呑んだ。
「お、おい……何をしているんだ?」
「魔法陣に触っているぞ」
「そんなことをしたら、暴発するんじゃ……」
ざわめきが広がり始める。
教師も異変に気づいたらしく、険しい顔でこちらへ歩き出した。
「エスメラルダ、何をしている! 今すぐ魔法陣から手を離せ!」
だが私は最後の数字を書き込むことに集中しており、全く聞こえなかった。
(何発がいいかしら)
レオンハルトが五発放ってあれだけ騒がれているのだ。なら、十発でも十分驚かれるだろう。
そう思いながらも、魔法陣を書き換えられることが楽しくて、つい指が滑った。
(まあ、動作確認だもの。少しくらい多くてもいいわよね)
最後の文字を書き終える。魔法陣が、ひときわ強く輝いた。
「待て、エスメラルダ!」
教師の制止が響く。
次の瞬間、一発目の火球が魔法陣から飛び出した。
轟音とともに、火球が五十メートル先のカカシへ命中する。続いて二発目、三発目、四発、五発とどんどん放たれていく。
「連発しているぞ!」
「まさか、五連発……!」
十発目が放たれた時、周囲から大きなどよめきが上がった。
だが、魔法陣の光は消えない。
「まだ止まないぞ!」
「二十……三十……!」
火球は間断なく空を駆け抜け、次々とカカシへ突き刺さる。
轟音が重なり、地面が震えた。
五十発を超えたあたりで、誰も数えられなくなっていた。
「嘘だろ……」
「何発出るんだ!?」
そして最後の火球が、焼け残っていたカカシを吹き飛ばした。
ようやく魔法陣の光が消え、静寂が落ちた。立ち込めていた煙が、ゆっくりと風に流されていく。
五十メートル先に並んでいたはずのカカシは、一つ残らず消えていた。
地面は黒く焼け焦げ、ところどころから細い煙が立ち上っている。
誰も、声を発しなかった。
先ほどまでレオンハルトを称えていた生徒たちも、私を落ちこぼれを見る目で見ていた教師も、呆然と焼け野原を見つめている。
レオンハルトもまた、信じられないものを見るように目を見開いていた。
「ひゃ……」
誰かが、掠れた声を漏らす。
「百発だ……百発、放ったぞ」
その言葉を合図に、周囲の視線が一斉に私へ集まった。
私は左手に残る魔法陣の残光と、跡形もなく消えたカカシを見比べる。
(や、やりすぎた……!)
どうやらこの世界の火魔法は、前世のテスト環境よりもずっと物騒らしい。
冷や汗をかいていると、教師が大股でこちらへ近づいてきた。
「エスメラルダ! その魔法陣を見せろ!」
「え?」
「今、何をした?」
教師は私の左手を覗き込み、残された魔法陣を食い入るように見つめた。
やがて、彼の目が大きく見開かれる。
「まさか……魔法陣に、直接書き加えたのか?」
その言葉に、生徒たちが再びどよめいた。
「魔法陣を書き換えた?」
「そんなことできるはずが……」
「でも実際に百発も……」
少し前まで私を避けていた生徒たちが、今は驚きと畏怖の入り交じった目でこちらを見つめている。
私は、そんな彼らの反応に戸惑っていた。
(そ、そんなに驚くこと?)
私が加えたのは、基本的なループ処理だ。
火球を放つという命令に、繰り返す回数を指定しただけである。前世なら、駆け出しのエンジニアでも扱うような処理だった。
だが教師は信じられないものを見る顔で、私と魔法陣を何度も見比べている。
そして震える声で呟いた。
「これは……新しい魔法式だ」
その場にいた全員の視線が、私へ突き刺さる。
私は焼け野原となった訓練場を見つめながら、引きつった笑みを浮かべた。




