10. 白魔法でも治せない
(完全にやりすぎた……! でも……)
教師の言葉を聞きながら、私は左手に残る魔法陣を見つめた。
(これだけ驚かれる技術なら……もしかして、お金になるんじゃない?)
一千億ゴールドには到底届かないとしても、最初の一歩にはなるかもしれない。
頭の中で早くも皮算用を始めた、その時だった。
「よ、避けてください!」
切羽詰まった悲鳴が響いた。振り向くと、巨大な氷の塊がこちらへ向かって飛んでくる。
その先にいたのは、レオンハルトだった。
彼は突然のことに反応できず、目を見開いたまま立ち尽くしている。
(危ない!)
気づけば、体が動いていた。
私はレオンハルトの前へ滑り込み、左手に新たな魔法陣を展開する。
右手の指先に魔力を集め、先ほどと同じ要領で繰り返し回数を書き換える。三つの火球が、正面と左右から氷塊へ襲いかかった。
激しい衝撃音が響く。
炎に包まれた氷塊は空中で砕け、白い蒸気を噴き上げながら溶けていった。熱風が頬を打ち、思わず目を閉じる。
やがて周囲が静かになり、おそるおそる瞼を開いた。
振り返ると、レオンハルトは地面に尻をつき、呆然と私を見上げていた。
「……お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……」
返事を聞き、ほっと胸を撫で下ろす。嫌いな相手ではあるが、目の前で怪我をされたら寝覚めが悪い。
そこへ顔面蒼白の男子生徒が駆け寄ってきた。
「も、申し訳ございません! 制御できなくなって……!」
何度も頭を下げる男子生徒に、レオンハルトは上の空で答えた。
「ああ……問題ない」
てっきり怒鳴りつけると思っていたので、少し意外だった。
どうしたのだろうと顔を見ると、彼は私をじっと見つめていた。
今まで向けられていたような露骨な嫌悪ではない。何を考えているかよく分からない表情。
首を傾げたその時、右腕の奥で何かが弾けた。
「っ……!」
鋭い痛みが腕を貫き、息が止まる。
反射的に右腕を押さえたと同時に、黒い薔薇の模様と「魔力の使用をきっかけに発症」という一文が浮かんだ。
(どうして忘れてたのよ……!)
コードに似ていると気づき、完全に夢中になっていた。
右腕の内側を、熱した刃でじりじりと抉られているようだ。熱が脈打ち、骨の内側から痛みが這い上がってくる。
「お、おい」
私の異変に気づいたのだろう。
レオンハルトが、不安げに呼びかけてくる。だが、返事をする余裕はなかった。
息を吸おうとしても、喉が締めつけられ、うまく空気が入らない。
視界が大きく揺れた。
生徒たちのざわめきも、教師の声も、遠い水の底から聞こえてくるようにぼやけていく。
膝から力が抜け、そのまま地面についた。芝生の冷たさが、制服越しに膝へ伝わる。
私は右腕を押さえたまま、浅い呼吸を繰り返した。
「エスメラルダ様!」
遠くから、誰かが私の名前を呼んだ。
顔を上げると水色の髪を揺らしながら、レティシアがこちらへ駆け寄ってきていた。
「大丈夫ですか!?」
彼女は私の前へ膝をつき、すぐに両手を掲げた。
淡い白い光が、その手のひらへ集まり始める。柔らかく、清らかな光。
白魔法だ。
その瞬間、痛みに霞んでいた意識の中に、一筋の希望が差した。
(もしかしたら、レティシアの白魔法なら……)
原作で何人もの命を救った白魔法なら、黒薔薇病さえ治せるかもしれない。
祈るような気持ちで、白い光を見つめる。
だが──痛みは少しも引かなかった。
むしろ右腕の奥で、黒い熱が反発するように強く脈打つ。
「っ、う……」
額から脂汗が流れ落ちる。
奥歯を噛みしめ、悲鳴を押し殺した。
「レティシア様でも治せないのか?」
「白魔法が効かないなんて……」
周囲から、戸惑いの声が上がる。
その瞬間、レティシアの表情がかすかに歪んだ。
ほんの一瞬だった。
慈愛に満ちた聖女の顔の奥から、焦りのようなものが覗く。そして、彼女の唇が小さく動いた。
「何で治らないのよ……」
苛立ちを含んだ声に、血の気が引いていく。
レティシアは私を心配して治療しに来てくれたのだと思っていた。少なくとも、最初はそう見えた。
けれど今の一言は、違う。
まるで悪女である私を救ってみせる姿を、周囲に見せたかったのに上手くいかない。そんな風に聞こえてしまった。
(今のは……)
私が痛みで、変に受け取っているだけだろうか。
分からない。考えようとしても、意識がまとまらなかった。
白い光。右腕を焼く痛み。周囲のざわめき。
そして、一瞬だけ歪んだレティシアの顔。
すべてが溶け合い、視界が暗く沈んでいく。
「あ……」
体を支える力が抜けた。
そのまま、地面へ倒れ込みそうになる。
「もういい。彼女から離れて」
よく通る、静かな声が響いた。
次の瞬間、ふわりと体が浮く。
誰かに抱き上げられたのだと、朦朧とした頭で理解した。温かな腕が背中と膝を支え、痛みで強張っていた体から、わずかに力が抜けていく。
「なぜ、お前が……!」
レオンハルトの声が聞こえた気がした。
だが、それに答える声はなかった。代わりに鼻先を掠めたのは、深く落ち着いた木の香り。
騒がしい周囲の音を、遠くへ追いやってくれるような香りだった。
(この香り……どこかで……)
そう思ったところで、意識は完全に途切れた。




