31. 黒薔薇に、白い祝福を
「やった……! 動いた……!!」
アーティファクトが起動し、白い光が周囲へ広がっていく。すると近くにいた男性が驚いたような声を上げた。
「黒薔薇が……消えてるぞ!」
その叫びをきっかけに、周囲からも次々と声が上がった。
「私の腕も!」
「痛みがなくなったわ!」
「黒い模様が消えたぞ!」
私たちの近くにいた患者たちの腕から、黒薔薇の模様が消えていた。
(成功した……!)
確かな手応えに、胸が熱くなる。そして確信した。
(白魔法とブランジェムを組み合わせれば、黒薔薇病を治せる!)
そう手応えを感じたのも束の間だった。
安定していたはずの魔法陣の光が、徐々に弱まっていく。
「え……?」
慌てて術式へ目を走らせる。書き換えは失敗していない。術式そのものは正常に発動している。
(どうして……?)
そう考えた途端、体が鉛のように重くなった。全身から力が抜け、思わず肩で息をする。
私はかすれた声で呟いた。
「まさか……魔力切れ……?」
何度も術式を起動し、修正を繰り返したせいで、私の魔力は底をついてしまった。魔法陣の光がさらに薄れていく。
「待って……!」
咄嗟に魔力を注ぎ込もうとする。だが伸ばした指先の前で、魔法陣は完全に光を失った。
顔を上げれば、広場にはまだ苦しむ人々が大勢残されていた。遠くから新たな悲鳴が上がる。
このままでは感染が止まらない。広場を越えて、王都中へ広がってしまう。
息が次第に荒くなる。汗が額を伝い、視界がちかちかと明滅した。
術式は完成している。
治す方法だってもう分かっている。
(魔力さえあれば、全員を救えるのに!)
焦りで頭の中が真っ白になりかけた、その時だった。
「大丈夫」
私の手の上に、温かな手が重なった。
ハッと顔を上げると、ベリルがいつものような笑みを浮かべている。手のひらから魔力が流れてこんできた。
「君ならできるよ」
濃紺の瞳には、迷いも恐れもなかった。
私を信じてくれている。その事実が私に勇気を与えてくれた。
私は力強く頷く。
そして二人で同時にアーティファクトへ魔力を流し込む。その瞬間、胸の奥に強い既視感が走った。
(この感覚、どこかで……)
冷たい水のように澄んでいて、不思議と心地よい魔力。
以前、ギルドで感じたオーナーの魔力とあまりにもよく似ていた。すると胸に引っかかっていた違和感が、次々と蘇ってくる。
「君の黒薔薇病は?」
──なぜ私の黒薔薇病を知っていたの?
「ブランジェムと白魔法を組み合わせるのだろう?」
──なぜその二つを組み合わせると知っていたの?
バラバラだった違和感が一つの答えへ収束していく。私は息を呑み、ベリルの顔を見た。
「貴方は……」
掠れた声が漏れる。ベリルは私の視線に気づき、紺色の瞳でまっすぐに見つめ返してきた。
私は動揺を隠すように、アーティファクトへ視線を戻した。
驚きも、戸惑いもある。だが不思議と騙されていたことへの怒りは湧かなかった。
(全てが終わったら、必ず答えを聞かせてもらうわよ)
そう心に決め、再び魔力を流し込んだ。
ガラスの中で砕かれたブランジェムが白く輝き始める。その光は香水と混ざり合い、細かな粒子となって装置の中を舞った。
次の瞬間──圧倒的な白い光が、中央広場いっぱいに広がった。
広場を、静寂が包んでいた。
眩い光に耐えきれず閉じていた目を、私はおそるおそる開く。
先ほどまで空中を覆っていた魔法陣は、跡形もなく消えていた。広場に満ちていた白い光も、今は淡い残光となって宙を漂っている。
成功したのか。それとも、また途中で消えてしまったのか。
周囲を確かめようとした、その時だった。
「君は……本当に、すごいね」
すぐそばから、ベリルの声が聞こえた。
「え……?」
言葉の意味を尋ねようと振り向く。
だがその瞬間、地面まで揺れるかと思うほどの歓声が、広場中から一斉に湧き上がった。
「黒薔薇が消えたぞ!」
「痛くない……痛くないわ!」
「治った! 本当に治ったぞ!」
人々が、自分の腕を見つめながら次々と声を上げている。先ほどまで黒薔薇に覆われていた肌は、元の色を取り戻していた。
泣きながら抱き合ったり、何度も自分の腕を確かめる人たちを見て、ようやく現実が胸へ押し寄せてきた。
(成功したんだわ……!)
手が震える。すると、周囲のざわめきが少しずつ別の形へ変わっていった。
夥しい数の視線が私へ集まっている。治療を受けた人々だけではない。警備兵や医療班、舞台にいた候補者たち。
誰もが、私の方を見ていた。
「エスメラルダ様が治してくださったんだ!」
一人の男性が、大きな声を上げた。それを皮切りに、至るところから声が響く。
「エスメラルダ様!」
「ありがとうございます!」
「私たちを救ってくださった!」
次々と降り注ぐ感謝の言葉に、私は呆然と立ち尽くした。
私が身につけてきた力が、誰かの命を救った。そして感謝と共に私の名前を呼んでくれている。
胸の奥から熱いものが込み上げた。
(私がしたことで、こんなにも喜んでもらえるなんて……)
堪えきれず、涙が頬を伝う。
私の名前を呼ぶ声も。感謝を伝える声も。
私はただ降り注ぐ言葉を受け止めながら、その場に立ち尽くしていた。
やがて一輪の白薔薇が宙を舞った。
ゆるやかな弧を描き、私の足元へ落ちる。
驚いて顔を上げる。
投げたのは、先ほど黒薔薇病を発症していた一人の令嬢だった。彼女は涙を浮かべながら、私へ深く頭を下げている。
「私の花は、エスメラルダ様に」
その言葉に、広場が一瞬だけ静まり返った。
次の瞬間、二輪目の白薔薇が飛んできた。続いて三輪目、四輪目とどんどん続いていく。
一つ、また一つと、白い花が私の足元へ落ちていく。
「私も、エスメラルダ様へ!」
「私たちを救ってくださった方こそ、花の女神にふさわしい!」
「エスメラルダ様!」
声が重なるたび、白薔薇の数も増えていった。やがてそれは、数え切れないほどの花の雨へ変わる。
無数の白薔薇が、夕暮れの空を舞った。
黒薔薇に命を脅かされていた私の周囲を、今度は祝福するように白い花が埋め尽くしていく。
花の中で息を呑んだ。原作のエスメラルダは、この舞台で一輪の花すら与えられなかった。
けれど今、私の足元には数え切れないほどの白薔薇がある。
誰かから奪った花ではない。金で買った票でもない。
私が積み重ねてきたものを見て、人々が自ら選び、投げてくれた花だった。
涙で滲む視界の向こうにベリルの姿が見える。彼は誰よりも誇らしそうに、私を見つめていた。
髪に挿してもらった最初の一輪へそっと触れる。私は涙を拭い、ベリルに微笑む。
そして白薔薇を投げてくれた人々へ向かって、深く頭を下げた。




