27. 贅沢な一日
花の女神祭、当日。
王都の大通りは、見渡す限り花で埋め尽くされていた。
建物の窓辺には色とりどりの花カゴが並び、通りの上には花を編んだ飾り紐が幾重にも渡されている。風が吹くたびに花びらがひらひらと舞い、陽光を受けてきらめいた。
道の両側には、屋台が隙間なく並んでいる。
焼き菓子の甘い香りや肉を焼く香ばしい匂いが満ち、人々の舌を楽しませていた。
笛や太鼓の軽快な音色に合わせ、子供たちが花冠を被って走り回っている。少し先では大道芸人がハトを飛ばし、観客から歓声が上がっていた。
「すごい人ね……」
思わず声が漏れる。これほど大きな祭りに参加するのは、前世も含めて初めてだった。
学生の頃は勉強とアルバイトに追われ、社会人になってからは祭りとは無縁の生活だった。会社の窓から遠くの花火を眺めて、コンビニのおにぎりを食べたことならある。
人々が楽しんでいる様子を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
そんな私の横で、ベリルは楽しそうに周囲を見回した。
「どこから見て回ろうか」
ベリルは白いシャツに濃紺のベストを合わせた、普段より軽やかな装いをしていた。細身の黒いズボンと、歩きやすそうな革のブーツを合わせている。
ベストの胸ポケットには一輪の白薔薇が挿されていた。投票用の花だった。
私は屋台の一つを指差す。
「あの焼き菓子が気になりますわ」
クマの形をした可愛らしい焼き菓子を指差す。するとベリルはふっと笑った。
何かおかしかっただろうかと見上げると、彼はふわりと微笑んだ。
「かわいいね」
急な真っ直ぐな褒め言葉に、顔が赤くなる。
照れていたことがバレたくなくて、私は拗ねたように言った。
「……子供っぽいと?」
「ううん」
ベリルは楽しそうに否定した。そして先ほどと変わらないやわらかい笑みを浮かべる。
「行こうか」
そう言って、私の手を取る。
「人が多いから、はぐれないように」
「……やっぱり子供扱いされてますね?」
「違うよ」
ベリルは「そうだなぁ」と少し悩んだあと、言葉を変えた。
「僕がはぐれるかもしれないから」
いい年をした青年が「はぐれるかもしれない」などと言うのがおかしくて、思わず小さく笑ってしまう。
私はそのまま、彼の手をそっと握り返した。
焼き菓子の屋台へ行き、ベリルが小銭を払う。屋台の主人から包みを受け取り、さっそく焼き菓子を一口かじった。
さくりと軽い音がした。
香ばしい生地の中から甘酸っぱいベリーのクリームが溢れ、口いっぱいに華やかな香りが広がる。
「……おいしい!」
思わず素の声を上げてしまった。
そんな私の反応にベリルは声を上げて笑った。
その後も、祭りをベリルと楽しんだ。
花の蜜を炭酸水で割った飲み物を二人で飲んでいると、通りの向こうから大きな歓声が上がった。見れば、魔法で作られた無数の花びらが空へ舞い上がっている。
本物の花びらと光の花びらが入り交じり、街の上を大きな渦となって流れていく。子供たちは手を伸ばし、大人たちも足を止めて空を見上げていた。
私も言葉を忘れて見入ってしまう。
その時、花びらの一枚が頬に触れた。
魔法で作られたものなのか、すぐに淡い光となって消えていった。
「きれい……」
自然と声が漏れた。
花に飾られた街。賑やかな音楽。美味しい食べ物。
何かを急かされることもなく、誰かの顔色を窺う必要もなく、ただ楽しいと思える時間。
「……贅沢ね」
小さく呟くと、ベリルが首を傾げた。
「これくらいで?」
「ええ」
私は街を見渡した。
「昼間から好きなものを食べて、景色を眺めて、何も急がずに歩ける。私にとっては十分贅沢なの」
ベリルは一瞬、意外そうに目を見開いた。
それから握っていた私の手に少しだけ力を込める。
「なら、今日はもっと贅沢をしよう」
「まだ食べるつもりですか?」
「うん。君が満足するまで」
「では、覚悟してください。お腹を空かせてきましたから」
私が胸を張ると、ベリルは声を上げて笑った。
そして二人で花と人々の笑顔に満ちた大通りを、ゆっくりと歩いていった。
*
王都へ着いた時は高い位置にあった太陽が、いつの間にか傾き始めていた。
すると王都の中心から大きな鐘の音が響いた。祭りの音楽や人々の笑い声を押しのけるように、重厚な音が街中へ広がっていく。
周囲を歩いていた人々が一斉に足を止め、中央広場の方角へ顔を向けた。
「そろそろ、花の女神を決める時間みたいだね」
ベリルの言葉に頷く。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまったらしい。
少しだけ名残惜しく思いながらも、繋いだ手を握り直した。
「行きましょう。せっかく候補者に選ばれたのですもの」
私はベリルを見上げながら、強気に笑ってみせる。
「選ばれるつもりで向かわなくては」
「頼もしいね」
ベリルは楽しそうに笑い、人々の流れに乗って中央広場へ向かった。
通りを進むにつれ、人の数はさらに増えていく。やがて建物の間から、開けた空間が見えてきた。
「わぁ……!」
中央広場へ足を踏み入れた瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。
広場の中央には、巨大な円形舞台が設けられていた。舞台を囲む柱には白薔薇と金色のリボンが巻きつけられ、その上では、魔法で作られた光の花びらが絶え間なく舞っている。
舞台の背後には、女神リュミエラを模した巨大な像がそびえていた。
さらに広場の四方には白い台が置かれ、その上には細長いガラス製の装置が設置されている。
「あれが香りを拡散するアーティファクト?」
「ええ」
花の女神祭で香水を宣伝するため、私が設置を提案したものだ。すでに装置は起動しているらしく、広場には爽やかな花の香りが漂っていた。
「いい香りだね。それに……この前つけたものとは違う?」
「今日のために作った限定品です」
胸を張って答えると、ベリルは感心したように笑った。
舞台の周囲には、大勢の観客が集まっていた。前方には貴族用の席が並び、その後ろには民衆が立ち見できる広い区域が設けられている。
観客たちの手には、一輪ずつ白薔薇が握られていた。
候補者たちが舞台へ並び、花の女神にふさわしいと思う女性に白薔薇を投げ入れる。つまりあの花の数が、そのまま民からの評価となる。
改めて考えると随分と残酷な仕組みである。
(原作のエスメラルダは、一輪ももらえなかったのよね……)
舞台で一人だけ花を得られず、怒りと恥辱で顔を歪めていた悪女の姿が脳裏に浮かぶ。
背筋が少しだけ冷えた。
これまで評判を回復させてきたとはいえ、悪女という噂は今も完全には消えていない。もしかしたら本当に一輪も投げてもらえない可能性だってある。
そんな不安が胸をよぎった時、隣から声がした。
「緊張してる?」
「まさか」
反射的に否定する。
だが誤魔化せてなかったのか、ベリルはじっと私の顔を見つめた。私は少しだけ息をつき、観念して本音を漏らす。
「……もし一輪ももらえなかったらと、少し思っただけです」
「なるほど」
「何ですか、その顔は」
「いや。君でも不安になることがあるんだなと思って」
彼は穏やかに笑うと、繋いだ手へ少しだけ力を込めた。
「大丈夫だよ」
そう言って、ベリルは自分の胸元へ手を伸ばした。
胸ポケットから白薔薇を抜き取ると、私の髪へそっと差し込んだ。白い花びらが頬のすぐそばで揺れる。
「僕は、君を選ぶから」




