25. 「花の女神祭」のエスコート
日差しの強い季節がやってきた。学園の制服も上着から薄手のシャツへと変わり、廊下を歩いているだけで額にうっすらと汗が滲む。
そんな中、向こうから歩いてきた令嬢たちが私の姿を見つけて足を止めた。
「ご機嫌よう、エスメラルダ様」
「ええ、ご機嫌よう」
にこやかに挨拶を返すと、令嬢たちはぱっと顔を輝かせた。
私とすれ違ったあとも「お話しできたわ」「笑いかけてくださった」と、興奮の収まらない様子で囁き合っている。
謹慎が解け、学園へ戻ったばかりの頃とは大違いだった。
あの時は廊下を歩くだけで遠巻きにされ、ほとんどの生徒から蔑むような目を向けられていた。教師たちからも問題児を見るような視線を浴びせられていた。
それが今では、生徒たちの方から挨拶をしてくる。
(結果を出すだけで、これほど変わるのね)
前世では、どれほど働いても成果は上司に奪われた。休日を潰して仕上げた仕事も、徹夜で修正した機能も、評価されるのはいつだって別の誰かだった。
だがこの世界では自分が積み重ねたものが、きちんと自分へ返ってくる。努力に対して正当に報われている。
その実感が何よりも誇らしかった。
──だが、そんな良い気分は長く続かなかった。
「エスメラルダ」
突然名前を呼ばれ、足を止める。振り返った先にいた人物を見て、思わず顔をしかめそうになった。
「……レオンハルト様。ご機嫌よう」
どうにか表情を取り繕って頭を下げる。レオンハルトは挨拶を返すこともなく、ずかずかと大股でこちらへ近づいてきた。
嫌な予感しかしない。
「何かご用でしょうか?」
「花の女神祭のことだ」
その名を聞いた瞬間、原作の記憶が脳裏に蘇った。
『花の女神祭』
女神リュミエラを讃える、アルディエラ王国最大の祭典である。王都中に花が飾られ、大通りには露店が並び、貴族だけでなく民衆も参加する。
そして祭の最大の目玉が、その年の『花の女神』を決める投票だった。
観客には一人一本、投票用の白薔薇が配られる。
最後に候補者たちが舞台へ並び、花の女神にふさわしいと思う女性の前へ薔薇を投げ入れる。そして最も多くの花を捧げられた女性が、その年の花の女神となるのだ。
(そういえば、エスメラルダも候補者に選ばれていたわね)
原作のエスメラルダは、花の女神になるために随分と派手に動き回っていた。
他の候補者を脅し、票を買収し、レティシアの評判を落とそうとまでしたのだ。当然ながら、その目論みはレオンハルトとレティシアに暴かれてしまう。
そんな原作の記憶を思い返していると、レオンハルトは妙に尊大な態度で口を開いた。
「お前はまだ、エスコート役が決まっていないのだろう?」
なぜ断定するのだろう。そう思ったものの、決まっていないのは事実である。
私が答えずにいるとレオンハルトは腕を組み、いかにも恩を与えるような口調で言った。
「仕方がない。俺がお前をエスコートしてやろう」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
原作では彼がエスコートする相手はレティシアだったはずだ。
それにレオンハルトは私を嫌っている。その彼がわざわざ私をエスコートするなど、一体どういう風の吹き回しだろう。
私が驚いているのを喜んでいると勘違いしたのかもしれない。レオンハルトは満足げに顎を上げた。
私は淡々と答える。
「結構ですわ」
「……何?」
レオンハルトの表情が固まった。
どうやら本当に聞こえなかったらしい。仕方なく、今度はより丁寧にはっきりと伝える。
「お断りすると申し上げました」
「待て。俺が誘っているんだぞ?」
「ええ。ですから、丁重にお断りしています」
レオンハルトは、理解できないものを見るような目で私を見つめた。
以前のエスメラルダなら、彼から誘われただけで涙を流して喜んだのかもしれない。実際、原作ではエスコートを断られ、悔しさのあまり人目も憚らず泣いていた。
だが、私は違う。王太子の隣など、断罪ルートへ続く特等席にしか見えなかった。
「花の女神に選ばれたいのだろう?」
レオンハルトは苛立ちを隠すように、さらに腕を強く組んだ。
「俺が隣に立てば、お前への票も増える。悪い話ではないはずだ」
なるほど。王太子である自分を、広告塔として利用させてやるということらしい。
一瞬だけ頭の中で損得を計算する。
確かに、王太子とともに祭へ出れば注目は集まるだろう。彼を支持する民から、白薔薇を投げてもらえる可能性もある。
「確かに、票は増えるかもしれませんわね」
「ならば──」
「ですが、余計な騒動まで増えそうです。費用対効果が合いませんわ」
「ひ、費用対効果……?」
レオンハルトの頬が引きつった。私はスカートの裾を摘み、軽く頭を下げた。
「お気遣いには感謝いたします。けれど、エスコート役は自分で選びますわ」
彼の返事を待たず、私は踵を返した。
背中に突き刺さるような視線を感じたが、振り返らない。
今世の私は、もう誰かに選ばれるのを待つつもりはない。隣に立つ相手くらい自分で選ぶ。
しばらく廊下を歩いたところで、私は小さく呟いた。
「花の女神、か……」
これまで事業に追われていたせいで、祭の存在そのものをすっかり忘れていた。
原作のエスメラルダのように、何が何でも花の女神になりたいとは思わない。王国で最も愛される女性など、肩書きだけを聞けば随分と重たそうだ。
だが、利用価値がないわけではない。
花の女神に選ばれれば、民からの信用と知名度は一気に上がる。その肩書きを新しい事業の宣伝へ使えば、さらに大きく稼げるかもしれない。
(花の女神という看板があれば、香水事業ももっと広げられるわね)
頭の中で、次々と計算が回り始める。
選ばれるために、原作のエスメラルダのように他の候補者を排除するのは論外だ。相手を蹴落とすのではなく、民衆自身に、私へ花を投じたいと思わせなければならない。
「香りを広げるアーティファクトを中央広場に置けないかしら。香水の試供品も配って……」
祭りでしか手に入らない限定の香りを作るのもいい。花の女神候補が手がける香水となれば、話題性もある。
投票と宣伝を同時に行えるなら、これほど効率の良い機会はない。
ぶつぶつと作戦を練っていたところで、先ほどのレオンハルトの言葉がふと蘇った。
『俺が隣に立てば、お前への票も増える』
レオンハルトは願い下げだが、エスコート役が重要なのは事実だ。
民から人気があり、私と一緒に立っても悪い噂が広がらず、なおかつ会話をしていて苦痛ではない人物。
誰が適任だろうか。そう考えた瞬間、真っ先に浮かんだのは銀髪と濃紺の瞳──ベリルだった。
彼なら、学園でも王都でも人気がある。立ち居振る舞いも申し分なく、家柄にも問題はない。
何より、悪女という噂だけで私を判断しなかった。
エスコート役としては、これ以上ないほど適任である。
(そうよ。あくまで票のため。民からの信用を得るために必要なのよ)
そう結論づけたはずなのに、なぜか耳の先が熱くなってきた。
倒れた私を医務室まで運んでくれたこと。売れなかったアーティファクトを使い、大勢の前でその価値を証明してくれたこと。私の手の甲へそっと口づけを落としたこと。
その時の感触まで鮮明に蘇り、胸の奥が妙に落ち着かなくなる。
(な、なんで今、そんなことを思い出すのよ……!)
私は熱くなった頬を冷ますように、片手で扇いだ。
票のため、事業のためだ。決して彼と祭りを歩いてみたいなどと思ったわけではない。
そう自分へ言い聞かせていると、前方から革靴の音が響いた。
「エスメラルダ様」
その声に、肩が跳ねる。
おそるおそる顔を上げると、ちょうど考えていた人物がこちらへ歩いてきていた。
レオンハルトくんが段々愛おしくなってる作者です。




