24. 香水事業、大成功!
「***」で視点が変わります。
ルドラフの香水を完成させて二週間後。
私はやわらかな光の中で目を覚ました。
体を少し動かすとふわふわのベッドが優しく沈む。あまりの心地よさに、もう少しだけ眠っていたくなる。
けれど差し込む朝の気配に誘われて、私はゆっくりとベッドから降りた。
身を包んでいるのは、なめらかなシルクの寝巻きだった。肌を滑る感触があまりにも心地よく、思わず袖を撫でてしまう。
厚みのある絨毯を足裏で感じながら窓に近づく。カーテンを開けると、たっぷりの日差しが部屋へ流れ込んできた。
眩しさに目を細める。
前世ではスーツ姿のまま疲れ果ててワンルームの部屋に帰宅し、玄関の硬い床で眠っていた。朝起きたら全身がバキバキで、絶望から一日が始まっていた。
それに比べて今はどうだ。
広い部屋に置かれたふかふかのベッド。高級感ある絨毯や柔らかな寝巻き。窓の向こうに広がる庭園。
(……最高ね)
私は眼下に広がる庭を眺めながら、しみじみと幸福を噛みしめた。
その時、扉を叩く音が聞こえた。返事をするとサラが入ってくる。
「おはようございます、お嬢様。ご朝食を召し上がられますか?」
「えぇ、テラスで食べようかしら」
「かしこまりました」
私の部屋には、庭園を見下ろせるテラスもついている。
テラスに出てアンティーク調の白い椅子に腰を下ろすと、朝の空気が頬を撫でた。庭では鳥たちが飛び交い、木々の葉が陽光を受けてきらきらと揺れている。
なんという平和な朝だろう。
私が景色を眺めている間に、サラはてきぱきと朝食の準備を進めてくれた。
「お待たせしました」
純白のテーブルクロスの上に、金の縁取りが施された上質な食器が並ぶ。
薔薇のように飾られた生ハムと、色鮮やかなサラダ。
カゴには、こんがりと焼き色のついたクロワッサンとブリオッシュが盛られている。焼きたての香ばしい匂いが朝の空気へ溶けていった。
カットガラスの器には、宝石のような果物が美しく重ねられている。そして中央には、ふわりと焼き上げられた黄金色のオムレツが置かれていた。
私はまずクロワッサンを手に取り、一口大にちぎって口へ運んだ。
さくり、と軽い音がする。次の瞬間、たっぷり使われたバターの香りが口いっぱいに広がった。
(あぁ、美味しい!)
幸福感で思わず目を細める。
前世では、スナックタイプの栄養食をエナジードリンクで流し込んでいた。野菜や果物とはほとんど無縁の生活。
食べる喜びを感じる余裕さえなかった。
それが今では、焼きたてのパンを味わい、新鮮な野菜を食べ、甘く熟した果物を好きなだけ口にできる。とろりとしたオムレツを一口食べ、私はしみじみと頷いた。
「う〜ん、幸せ!」
朝食を平らげて最後にぶどうを摘んでいると、トルンが手紙を持ってやってきた。
「お嬢様、オーダーメイド香水の受注依頼です」
「ありがとう」
書類を受け取り、目を通す。そこにはずらりと貴族たちの名前が並んでいた。
しかも、誰もが社交界で影響力を持つ重鎮たちばかりだ。
ルドラフ・トルアレン侯爵の香水効果は絶大だった。
滅多に褒め言葉を口にしない彼が、オーダーメイド香水を絶賛したのだ。その噂は瞬く間に広がり、今では受注依頼が止まらない状況になっている。
「あと、こちらはトルアレン侯爵からです」
トルンが差し出した箱を受け取り、私は蓋を開けた。
中に入っていたのはネックレスだった。金色の大きな宝石が、朝の光を受けて眩いほどに輝いている。
添えられていた手紙を開き、私は文字を追った。
『インペリアルトパーズだ。香水の礼に、ぜひ使ってほしい』
その宝石の名前を見た瞬間、体が固まった。
インペリアルトパーズ。
世界でも滅多に産出されず、王家への献上品に使われるほど希少な宝石だ。普通の貴族でさえ、簡単に手にできるような代物ではない。
私はそっとネックレスを持ち上げた。
朝の光を受けた宝石が、蜂蜜を固めたような濃い金色に輝いている。
(これを私に……!?)
私はちらりと部屋のクローゼットを見た。そこには他の貴族から贈られた宝石やドレスがぎっしりと詰まっている。
私の名声が上がるにつれ、様々な贈り物が届くようになったのだ。
前世では必要最低限の服しか収まっていなかった私のクローゼットが、今では宝石とドレスで埋まっている。
(人生、何が起こるか分からないわね……!)
連続発動のアーティファクトも、香水事業も、順調すぎるくらい順調だ。
このままいけば三年以内に必要な金額を貯めることも不可能ではない。
もちろん油断はできないが、少なくとも道は見えてきた。
(この贅沢生活を守るためにも、絶対に頑張らなきゃ!)
私は朝の光を浴びながら、みずみずしいぶどうをもうひとつ口へ運んだ。甘い果汁が舌の上で弾ける。
その幸福を噛みしめながら、私は改めて決意した。
***
「エスメラルダ様の香水、もう予約が取れないそうよ」
「トルアレン侯爵が認めたのでしょう? それなら本物ね」
「あの侯爵が? お世辞など死んでも言わない方でしょう?」
「悪女と言われていたけれど、違っていたのかしら」
ある邸で開かれていたお茶会で、令嬢たちは噂話に花を咲かせていた。
卓上には美しい菓子と紅茶が並んでいる。だが彼女たちの関心は目の前の菓子ではなく、エスメラルダ・ベルメールに向けられていた。
そのうちの一人が、桃色の髪をした女性へ顔を向ける。
「そう思われませんか? レティシア様」
「えぇ」
レティシアは話を振られても微笑みを崩さなかった。だが膝の上で重ねた指先は、白くなるほど強く握られている。
令嬢たちは、再び噂話に戻っていく。
「どうすればエスメラルダ様に気に入っていただけるかしら」
「やっぱり香水の予約をお願いするのが一番かしら」
「素晴らしい才能ですわね」
「あの若さで事業を成功させるなんて、すごいわ」
そこにエスメラルダを蔑む言葉はなかった。
レティシアを讃える言葉も、何ひとつなかった。
彼女は微笑んだまま奥歯を噛みしめる。
(エスメラルダ……!)
連続魔法のアーティファクトを作ったあたりから、風向きが嫌な方向へ変わり始めたとは思っていた。
けれど香水事業が始まってから、その流れは完全に変わってしまった。悪女だったはずのエスメラルダが、有能な令嬢として語られている。
それだけではない。レオンハルトの様子も明らかに変わっていた。
先日も何気ない会話の途中で、彼はふと考え込むように口にした。
「最近のエスメラルダは……以前とは別人だな」
その声にはかつてのような嫌悪も侮りもなかった。
レティシアは胸のざわめきを押し隠し、笑顔を崩さないまま答えた。
「そうでしょうか。きっと一時の気まぐれですわ」
彼女の言葉に、レオンハルトはわずかに眉を寄せた。
「気まぐれだけで、トルアレン侯爵に認められるほどの結果は出せないだろう」
まるでエスメラルダを庇うような言葉だった。驚きのあとに、激しい怒りが込み上げてくる。
以前の彼なら、エスメラルダの名を自分から口にすることすらなかった。それなのに今は彼女の功績を認め、軽んじる言葉に反論までしたのだ。
最近では何かあるたびレティシアへ意見を求め、寄りかかってくることも減っている。
自分だけを見ていたはずの視線が、少しずつ別の方向へ向き始めていた。
その時、令嬢の一人がふと話題を変えた。
「そういえば、もうすぐ『花の女神祭』ですわね」
「今年の花の女神は誰になるのかしら」
その言葉にレティシアははっとした。
花の女神──美しさや慈悲深さ、そして民からの人気を象徴する存在だ。選ばれた女性はその年の「国で最も愛される女性」として扱われる。
「レティシア様ではないですか? 民にも人気がある方ですし」
そう言われ、レティシアはふわりと微笑んだ。胸の内に渦巻く黒い感情を、少しも表に出さないまま。
「ふふ。選ばれたら嬉しいですわ」
人気を取り戻すには、この祭りしかない。
聖女として誰よりも美しく、誰よりも慈悲深く、誰よりも民に愛される存在だと示す。
レティシアは微笑みながら、膝の上で拳を握りしめた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
第2章は、こちらの話で完結です!
明日からは最終章に入ります。最終話まで駆け抜けますので、ぜひ読んでくださると嬉しいです!
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