21. 次なる課題
「素晴らしい売上よ!」
サラとミラが暮らす別荘の応接室で、私は上機嫌にそう告げた。
二人の顔がぱあっと輝く。サラは両手を胸の前で握りしめて飛び跳ね、ミラはいつもより少しだけ目を大きくした。双子でも反応が違うのが面白い。
ベリルと一緒にパーティへ参加した宣伝効果は、想像以上だった。
人によって、そして日によっても印象が変わる。その珍しさは社交界の貴族女性たちの心をしっかり掴んだらしい。
買付依頼は止まらず、追加注文の相談も続いている。
最初は悪女の事業だと警戒していた者たちでさえ、今ではこっそり注文を入れてくる始末だ。
「流石はミラだわ。あんなに素晴らしい香りを生み出せるなんて」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
ミラは静かに微笑んだ。
香水事業が始まって約二ヶ月。
私や香水職人たちと話す機会が増えたからか、彼女の表情は以前よりずいぶん柔らかくなっている。最初に会った時の、どこか人形めいた無表情は薄れつつあった。
「香りを組み合わせるのは、幼い頃から趣味でやっていたので。活かせてよかったです」
「十分すぎるほど活きているわ」
私の言葉にミラは嬉しそうに微笑んだ。
幼い頃から香りに触れてきた経験はもちろん、何よりミラの特別な嗅覚がなければ、ここまで早く商品にはならなかっただろう。
今回の香水は、人や日によって香りが変わる。性差や気温の高低、肌の質感の違いなど、本来なら膨大な試作が必要になったはずだ。
そういったあらゆる条件と香水の組み合わせを、ミラは驚くほど正確に想像できる。おかげで試作にかかる時間を大幅に省くことができた。
「それから、初めての大型受注も入ったわ」
「大型受注ですか?」
サラが目を瞬かせる。
「えぇ。香水としてではなく、パーティ会場の香りとして使いたいという依頼があったのよ」
「会場の香りとしてですか? 一体どうやって……」
困惑するサラに、私はテーブルの上へ置いたものを指し示した。
筒状の細長い硝子に、豪華な金の飾りを組み合わせた置物だ。
中央の筒は硝子でできていて、その中に薄い桃色の液体が揺れている。上下には金色の細工が施され、花や蔓を思わせる模様がぐるりと囲むように刻まれていた。
飾ってあるだけでも、十分に高級な調度品に見える。
「香りを拡散するアーティファクトよ」
サラは驚いたように目を見張った。
これは前世の経験が活きた発明だった。
中の液体を水魔法で霧状にし、人が近くを通った時だけ一定量を外へ放出する。さらにループ処理と条件分岐を組み込むことで香りを少量ずつ、一定の間隔で漂わせられるようにした。
プログラミングの基礎を知っていれば決して難しい処理ではない。
(流石に、デザインと粒子状にする方法はオーナーの力を借りたけどね)
液体を霧状にする仕組み自体は、水魔法を応用すれば実現できた。デザインについては完全にオーナーへ一任している。
その対価として、アーティファクトに使う魔法技術を渡すことで話をまとめた。
(売上を取られなくてよかったわ……!)
広い会場で使うにはこのアーティファクトが複数必要になる。さらに豪華な装飾で高級感を出している。実際、かなりお高い品だ。
売上の一部を取られていたら、悔しさで血の涙を流していただろう。
とはいえまだ買付は一件しか入っていない。だが口コミで広がれば、これから受注も増えるだろうと確信があった。
サラは興奮したように言った。
「事業を起こすだけではなく、魔法陣まで改良できてしまうなんて……本当に素晴らしいです!」
「ありがとう」
手放しに褒められて思わず照れてしまう。
この香水事業は、悪女のレッテルを剥がすのに大いに役立っていた。
ブローチ型アーティファクトの評判は、主に学園内での噂に留まっていた。だが香水が社交界全体へ広がり始めたことで、ブローチ型アーティファクトも比例して売れるようになった。
まさに万々歳である。
すると、ミラが静かに尋ねてきた。
「オーダーメイドの香水については、お問い合わせなどありましたか?」
「それがないのよね」
私は少しだけ肩を落とした。
香水事業は順調なのは間違いないが、一つ悩みがあった。
パーティ会場で大々的に宣言した「オーダーメイド香水」は、まだ一件も受注できていないのだ。
問い合わせ自体はある。だが値段を見せると、どの貴族も驚いた顔をしてそそくさと去ってしまう。ベリルも「僕が一番はじめの客になろうかな」と言ってくれていたが、最近は忙しいらしく、あれから一度も会えていなかった。
皮肉なことに、通常の香水の存在も壁になっていた。
一人一人香りが変わる香水のせいで「オーダーメイドを頼むくらいなら、こちらで十分では?」と思われてしまったのだ。
(値段を下げるべきかしら……でも……)
ミラが一対一でヒアリングをし、その人のためだけに香りを作る。
手間も時間もかかる仕事だ。安易な値下げはしたくない。
値下げではなく、オーダーメイド香水でしか味わえない体験を売る必要がある。
そう考えていた、ある日のことだった。
私はとあるパーティへ参加していた。香りを拡散するアーティファクトが実際に使われるところを見るためだ。
会場全体には食べ物や飲み物を邪魔しない程度に、ふわりと上品な香りが漂っている。甘すぎず、強すぎず、歩くたびにかすかに香りが移ろう。
高級感を底上げするには十分な効果があった。
(いい感じね)
内心満足しながら、私は隣に立つ父へ視線を向けた。
「お父様、香りはいかがですか?」
「悪くないな」
短い返答だった。だが表情を見る限り、かなり高評価であることは見てとれた。
今日、私は父と共にパーティへ出席していた。
しかも、このパーティには貴族界の重鎮たちが参加している。王家にも影響を与えるような人物が集まる場だ。
そんな重要な場所に、父が私を連れてきてくれた。
(お父様と一緒に参加できるなんて……!)
屋敷で謹慎処分を受けていた頃を思い出し、内心で涙を流す。
これは、父が私を少しは認めてくれていると思っていいはずだ。
少なくとも恥として隠しておきたい娘ではなくなったということだろう。
「エスメラルダ、来い。知人を紹介してやろう」
「はい」
私は父の後ろについていった。
今日参加している貴族たちは、どれも大きな権力と財力を持つ者ばかりだ。顔を売っておいて損はない。
父は会場の一角へ向かった。
そこでは数人の貴族たちがソファーに腰掛け、ワイングラスを片手に語り合っている。父は一言二言挨拶を交わすと、自然な様子でその輪に入った。
私も控えめに頭を下げ、少し後ろで話を聞いた。どうやら軍事費拡張のために増税すべきかどうかを話し合っているらしい。
「今年は豊作という調査も出ていますし……」
「国境の警備強化は急務ですからな」
「地方の穀物税を少し引き上げるのが妥当では?」
どうやら、地方の穀物税を増やす方向で意見がまとまりつつあるようだった。
(消費税、住民税、社会保険料……うっ、頭が……)
給料明細から容赦なく引かれていた記憶が蘇り、胃がキリキリ痛む。
税金、なんて嫌な響きだろう。元社畜にとって、これほど胃が痛くなる言葉もない。
その時、ずっと黙っていた五十代ほどの男が口を開いた。




